「人に歴史あり、図書館にも歴史あり~『夢見る帝国図書館』~」
『夢見る帝国図書館』 中島京子 著 (文春文庫) 2024年9月25日読了
このところ、更新がなかなか進みませんでした。
夏の終わりから10月の初めにかけて、頭を悩ませる事象が発生し、心までやや落ち込み加減でした。
しかしどうにか、一旦は収まった感じですのでそちら関係の悩みは払しょくできそうです。ですので、やっと記事の文章をまとめることができました。
我が家の息子たちがまだ小さかった頃、といっても一番手のかかった赤ちゃん時期は過ぎていたので、そろそろ何かを始めたいなと思ったある日。
子育てサークル…それも子育てに関するフリーペーパーを作成して配布するという活動のためのサークルが地元で新規立ち上げのためメンバー募集をしていることを知り、興味がわいたので応募しました。
子育て中ということもあり何とか合格、応募してきたメンバー全員がやはり子育て真っ最中の人ばかりでした。
私は、当時はまだ司書としての仕事は、お腹に長男がいるのがわからないまま頼まれてやった図書室のバイトくらい(一か月ほど)で、本格的には全くやっていない頃ではありましたが、すでにネット上のサークルで絵本や児童書に関して詳しい人や大好きな人が集まった中で、知識をそういう人々から享受させていただいておりました。
そういうこともあり、そのフリーペーパーでの担当記事は、絵本に関する記事を書きたいと代表兼編集長に申し出ました。
記事を毎回書いていくにはその知識の足りない分を補うため、最新の絵本や児童書などの情報を得ようと絵本専門の雑誌なども読んでいく中で、ある雑誌のとある記事に引き込まれました。
そこには東京・上野にある、かつて帝国図書館と呼ばれた建物が国立国会図書館の支部として子どものための専門図書館(国際子ども図書館)に生まれ変わったことが書かれており、その内容は心惹かれるものでした。
それまで一部の高等教育を受けていた人や研究者などが利用するしかなかったある意味閉鎖的かなとも思える帝国図書館の、1935年に建設された重厚で趣のある建物に現代の有名な建築家が増築を施し、それはモダンなデザインで、元の石造りの外壁をあえてそのまま内部の壁として残してその周囲に廊下を作りガラスで覆ったとのことでした。
昔のクラシカルな、でも本格的な明治時代の西洋の建築をそのまま生かし、有名建築家が手を加えたなどという建物を子どものための図書館として活用するという粋な計らいに、田舎の一主婦は感動してしまったのです。
一流で上質の本物にこそ幼い頃から触れることで、情緒豊かに育つのではというコンセプトに共感し、さすが都会は懐が広いなあとつくづく感じたのでした。
何度目かのフリーペーパー発行の際、そのことを自分だけの感動もそのままに記事にして書いてしまったのですが、はたして読み手のママたちがどのような反応をしたか、興味があったかはまた別問題で、今考えるとあまり適当だったとは思えない独りよがりの記事にしてしまったなと、今更ながらに反省です。
このような思い出も非常に強烈に残っていたのでした。
そのこともあって、六年前に友人と東京観光を計画した時に、友人が上野動物園に行ってパンダを見たいというので、それならば私からは国際子ども図書館に行きたいと希望を言い、近所でもあるしおまけに国立西洋美術館もあるし上野界隈に行こう!とすぐに計画はまとまりました。
その国際子ども図書館のことが、いえ、前身の帝国図書館としての成り立ちから、現在までの歴史をもとに書かれたのが今回紹介する本です。前振りが長くなりすみません。
まずは今も昔も図書館と言うのは予算の壁に常に立ちふさがれて、思うような進化を遂げられずにいたのだな、当時も図書館に関わる愛情の深い人々が今の司書や図書館を運営する人たちと同じような悩みを抱えていたことに驚き、やけに親しみを覚えてしまうのでした。
英国の進んだ図書館の環境に感動し、ぜひ日本帝国にも同じように誰もが学び活用できる図書館をつくろうと奔走した人々(特に作家・永井荷風の父・久一郎は黎明期に活躍)が、激動の明治から昭和、平成と時代を超えて存在していたのです。
蔵書を増やそうにも予算、その入れ物である建造物を建てるにも予算…。
しかし時は、戦争や大きな震災に翻弄され、常に弱い立場の図書館界隈はその影響を受け、予算を削られ、周り…時の決定権を持つ人たちの理解をなかなか得られない立場でした。
本当に不毛な歴史をずっとかいくぐってきたのですね。
そんな帝国図書館にまさかの人格を持たせたかの如く、“図書館が”愛した人物たちもいました。
特に樋口一葉は、目があまりよくないにも関わらず、毎日図書館へ通っては読書を楽しんでいました。
その一葉の作品にほれ込み、帝国図書館時代に特別の思い入れのある人物、喜和子さんという年配の女性とフリーの文筆家である主人公の交流を軸に、恐らくこの主人公が調べ上げて作成されたであろう「夢みる帝国図書館」というこの図書館の歴史を交えた小説を交互に挟みながら進行していきます。
喜和子さんと、今は国際子ども図書館の近くで出会った主人公の女性は、彼女に文筆家であることを明かすと、ぜひとも帝国図書館の物語を書いてくれ、本にしてくれと頼まれてしまいます。
ずっとそのことは言われ続けるのですが、書こうとはまるで本気になれないでいるのでした。
性格もあっさりとしてどこかひょうひょうとしている喜和子さんとは、なぜか馬が合い、会う約束は全くしないのに時々ばったりと出会ったり、彼女の、本ばかりある古いアパートに遊びに行ったりと交流を重ねていきます。
それでもたまたま会う以外は特に約束もしないし、連絡先を交換することもしなかった二人は、いつしか疎遠になってしまい、主人公はある日突然そのことを後悔する日が来てしまいます。
不思議な女性、喜和子さんが語った帝国図書館のこと、子ども時代の思い出、大好きな樋口一葉のことやなぜ好きになったのか…。
会った時間は少ないけれど、どこか魅力的で図書館を愛する気持ちとその出発点を見つけるため、そして彼女が語った過去など、バラバラだったピースを集めてパズルを組み立てていくような作業をしていきます。
かつて学生だった私が、本気で熱心に図書館学等を丁寧に学んでいたら、ここまでの日本における図書館の歴史などを頭の片隅にでも残していたのかもしれません。
でも机の上でだけの勉強は現実味が乏しく、今一つ教授陣から教えていただいた知識は頭から素通りで出ていってしまい残り少なくなり、実際に仕事に就いて初めて興味も知識も貪欲に得ようとしていたのが現実です。
遅ればせながら、本当に遅れてしまいましたが、実務という現役就労も終わってしまった今、このような帝国図書館(国際子ども図書館)のことを知ったという情けなさ。
それでも、遅くなっても知ることができてよかったとは思っています。
この本の登場人物たちも、他のわき役たちも含めてとても魅力的な人物ばかりで、合間に挟まれる歴史と彼らの暖かい交流のエピソードに心も和みます。
この本の主人公がこの本の中で、雑誌の執筆のために国際子ども図書館を取材しに行った時期と、私が雑誌で国際子ども図書館のことを初めて知った(国立国会図書館のまだ古い分館として一部の人しか利用できなかった建物から、リニューアルして子どものための図書館になった)時期が微妙に重なっているので、余計に身近に感じられるのでした。
(紫式部文学賞受賞作)