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「当たり前が感動を呼ぶ~映画『小学校 それは小さな社会』~」
映画『小学校 それは小さな社会』
監督・編集:山崎エマ
製作:日本・アメリカ・フィンランド・フランス合作 2023年(99分)
今話題のドキュメンタリー映画『小学校~それは小さな社会』を観てきました。
平日ですし、ドキュメンタリーということでそこまで人気がないのはわかってはいましたが…私が行った時間帯の観客は私を含めて三人。
他のお二人は年配の男性でした。
自分がもう年取った女性だとは思うけれども、やはりちょっぴり不安ではありましたが、でもこのような教育的な内容の、それもわざわざドキュメンタリーを映画館に観に来る人間に変な人はいないだろうと、幾分気を引き締めて見続けました。
ある程度ネットニュースでその内容の情報を得ていたので、ほぼほぼそういうものだというのは事前に理解していました。
教育国フィンランドで好評だったらしく、いろいろなメディアも取り上げていて、それで私も知り得たわけですが。
映像密着に協力してくれた小学校は東京の世田谷区にある塚戸小学校です。
校舎の外壁やホワイトボード、体育館などズームアップして見ると学校はかなり古くて創立して長いのかなという印象を受けました。
その中の1年生と6年生に着目して、彼らの1年間の学校生活を四季を通じてそのまま映していきます。ナレーションは全くありません。
おかげでじっくりと、小学生たちの中に入ってゆけそうな気がしました。
新1年生として入学を控えるとある男の子の家庭。
男の子がお母さんの協力で、給食のお膳を模したお盆を持って、自宅の廊下をこぼさずに歩く練習をしています。
そして仲良しの女の子とドキドキの入学式。
時はちょうどコロナ禍で、みんなマスク姿、そして各個人の机にはアクリル板が囲ってあります。手洗いやアルコール消毒。
おしゃべりも注意されてしまう、子どもたちにはかわいそうな厳しい規則だらけの時期でした。
それでも名前を呼ばれたら元気よく「はい!」の返事。
まだ入学したばかりなのに、上手くいかないことに直面しているクラスメイトを気遣って手伝ってあげる優しさをすでに持ち合わせている子どもたちがとても素敵です。
練習をしていた給食配膳がいよいよやってきました。
中には食事を器に注いでいる子の後ろを勢いよく走ってぶつかり、お皿に上手く入らずこぼしてしまうハプニングも。
担任がすかさず、こういう場合は走らないよう注意をします。
しかしコロナ禍で特に対策が強化された時期になると、分散登校を余儀なくされ一部タブレットなどでの遠隔授業をしていましたが、ネット環境がたまに悪くなり映像が途切れることも。
また係決めも、なかなかやりたい係になれず悔しい思いをする男の子もいましたが、一人の女の子が替わってあげられると担任に打ち明ける場面も。
やはり子どもたちのやる気と優しさが際立つシーンがあって感動です。
6年生は放送部の男女に注目。
さすがにもうしっかりしています。自分たちがやるべきことを係として先生の指導もなくきちんとやりこなしていますが、男の子のほうにひとつ悩みがあるようです。
運動会で披露するなわとびがどうやらニガテのようで、同じ放送部員の女の子も意外そうな顔をしていましたが、当の本人は学校で練習してもなかなか上手くいきません。
でも6年担当の先生たちから、何事もどれだけ目標に向かって頑張れるかの経過が大事だという話が最初に話されます。
だから彼は、家に帰ってから何度も何度も縄跳びの二重飛びを練習します。
そしてどんどん飛べるようになり、本番では担任も笑顔になるほどの完璧な縄跳びを達成するのです。
彼のどこか満足げな顔が印象的でした。
また、初め予定されていた修学旅行が、コロナ禍により中止になりました。
中止の発表が先生からなされると、明らかにがっかりの表情の6年生たち。
「(当時そうだった)東京オリンピック2020はやるのに、なんで自分たちは修学旅行に行けないのか!?というのは、先生たちも悔しいの、よくわかるよ」
との言葉に、ああ、そうだった。あの頃は、多くの児童や生徒が様々なイベントを諦めざるをえない状況があった、とてもかわいそうな時期だったなあと、外野である私たちは忘れてしまいそうでした。
当事者たちはきっと悔しかっただろうなと、今更ながらに思います。
ひとりの子が言い放った「なんで自分たちが…。これができた時代の人たちはいいな…」という言葉にハッとさせられたのです。
(尚、その後事態が緩和に向かい、どうにか修学旅行が催されよかったです)
それから、つい昨日のように思えた1年生の入学式から半年以上たち、すでにお兄さん・お姉さんの様相も少しばかり出てきたころ、次に迎える彼らの後輩である新1年生の入学式にサプライズ演奏をすることになりました。
担当が一人や二人という少ない楽器は1年生だけで校内オーディションをすることになります。
一人の女の子が大太鼓を希望しオーディションに挑みますが、緊張のあまり何もできずに終わってしまいます。
でも、チャンスはもうひとつ、シンバルの担当オーディションが別日に行われるので、気持ちを切り替えそちらにも挑戦。
無事に選ばれることになるのですが、全体練習で全くできなくて先生に怒られてしまいます。
なぜ出来なかったのか?
彼女は楽譜がないと言いますが、他のみんなはすっかり覚えてしまい楽譜は必要なくなっていたのです。
「みんなはどうして楽譜がなくても弾けるのですか?」と尋ねる先生。
「家でたくさん練習したからです!」と答えるみんな…。
「あなたは練習をしなかったのですか?そういう無責任な人には演奏を任せられません。やめますか?」
女の子は泣きながら「家でいっぱい練習します」と先生に訴えます。
「では先生はあなたを信じますよ。しっかり練習をしてください!」
最後の全体練習で「先生に怒られるかも」と緊張のあまり、体育館の廊下ですくんでしまう彼女ですが、担任の女性教師がやさしく「いっしょに行ってあげるからこわくないよ」といざなってくれます。
そして彼女の演奏は完璧にできました。演奏担当の先生も笑顔です。
一瞬厳しいように思えますが、先生たちの真剣な態度に応えようと必死の小学生たち。
結果がすぐに見えるので、小学生たちの素直な心が一所懸命にやることでひとつになるからなのかなと思いました。
先生たちだってとても悩んでおられるところを見せていました。
6年生担任の男性教師は、どちらかというと厳しめの人で、信念を持って教育に勤しんでおられ、毎日一人できるだけ早めに出勤して準備をするほどの熱心さ。
だけど、厳しく子どもたちに接することが果たして正解なのか?
先生は先生でかなり悩んでおられます。
もう辞めてしまおうかとまで、実は追い詰められていたのです。
コロナ禍の当時は、どの先生たちも試行錯誤で正解もわからずやるしかなかった時期で、確かに辛かっただろうなと見ていて心が苦しくなりました。
職員室で先生たちの意見交換のような会で、その悩みをみんなで共有するシーンもすごく正直でよかったです。
そして卒業式。
予行練習で、一人ずつ壇上にあがり名前を呼ばれたら大きく返事をして、校長から卒業証書をもらう一連の動きの説明を受けます。
一人の男性教師がお手本をやって見せた時、大きな返事に思わず子どもたちから笑いが起きてしまいます。
そのことに真剣な表情で怒る教師。自分は真剣にやっているのに、なぜ笑うのかと子どもたちに注意するのです。
本当に真面目に取り組んでおられる先生たちは、大事な式が滞りなく子どもたちのための素敵な思い出になるよう必死なんですね。
すぐに会場は静かになりました。先生の真剣さがすぐに把握できたのですね。
本番では子どもたちも先生たちも涙・涙です。
私たちにも記憶がある小学校時代の、普通に通り過ぎて行った6年間の学校生活。
丁寧に学校を自分たちで掃除して、靴箱も美しく靴が揃って入れられているかのチェック、クラスで移動するときはきちんと隊列を組む、先生が「誰かお手伝いしてくれる人?」と言えば、すぐに数人が「はい!」と駆け寄り、黒板消しの掃除の仕事に勤しむ、大きなゴミ箱を協力してゴミ置き場に捨てに行く、そんな当たり前の活動が海外の国から見ると珍しくて驚異の姿だと言います。
このようなまだ感受性も強くて、教えを素直に受け止められる小学校のうちにみんなで学んで覚えていく、そのことで清潔好きで団体行動ができて他人を思いやることができる、時間厳守fができるなどの行いが大人になっても出来ている人間に育つというのが、外国の方々からみると奇跡のような教育に思えるらしいです。
これまでは日本の教育は間違っているのではないか?と疑われることさえあったのですが、今になって案外そうでもない部分もあるようです。
途中で教師向けの、大学教授による講座が行われるというシーンもありました。日々の教師の努力の中に不安もあるわけで、そういう不安も共有&払拭するための講座であるのかなと思うのですが、その中でやはり「日本の教育の団体行動を重んじる部分は、時にはマイナスになることもある。団体で競争させてしまうと、後れを取った集団は誰のせいで遅れたのかというような犯人探しが始まってしまう…云々」と、良い点ばかりでなく問題点も挙げられています。
改めて自分たちが受けてきた教育を、今の子どもたちの姿を通して、普通にやっていたことだよね、いい部分もあるじゃない、いやここまでストイックにやる必要あるの?といった、新たな視点なども気づかされるような映画でした。
監督はイギリス人の父と日本人の母を持つ山崎エマ氏で、ご本人も日本の小学校でこのような規律正しい教育を自然に受けていて、大人になって海外に行き、その素地がそのまま体と心の中に染み込んでいたことを理解したと言います。
私たちにはどこか懐かしい“あの頃”を見ることができて、思いださせてくれる映画でした。