荀子 巻第七王覇篇第十一 6 その2
前回は、国が治まっていると君主は楽、乱れていれば憂うるが、目・耳・口・鼻がそれぞれ良い色・音・味・香りを求めるように心も佚楽を求めてしまい、君主は性急に楽を求めてしまう。
心を含めた先の五つを求めるには具(要件)が必要だという話でした。
続きです。
治辧→治める。よく事務を処理する。
怡愉→喜ぶこと。喜び楽しむこと。
患難→悩みや苦しみ。難儀。患苦。
憂患→心配して心をいためること。
拙訳です。
『万乗の車を備えるような大国は広く富は厚いが、加えてさらに良く治めより強固とする道があり、この道があれば喜び楽しく難儀はなく、その後に五|つの欲求を満たす要件も備わる。たくさんの楽は治国より生まれるものであり心配事は乱国より生まれるものである。』
拙訳です。
『楽しみを性急に追い求め国を治めることをないがしろにする者は、実は楽しみを知らない者である。だから名君は必ず先に国をきちんと治めその後でたくさんの楽しみを得られるが、暗君は必ず楽しみを性急に求め国を治めることをないがしろにするために心配事は数えきれないほどになり、自身が死に国が亡ぶまで止むことはない。悲しい事ではないか。』
察する→③深く調べる。
拙訳です。
『楽しもうとしながら憂いを招き、安全であろうしながら危機を招き、福を得ようとしながら死を招く。悲しい事ではないか。ああ、君主たるものはこの事を考察すべきである。』
中々に奥深い内容です。
楽しみを性急に求める暗君は、楽しみを追うくせに実は楽しみを分かっていない。楽しみを追うことで憂いを招き、安全を求めて危機を招き、福を求めて死を招く、これは怖いです。
僕は幸せでありたいと願っていますが、本当の幸せが分かっているか甚だ疑問です。楽しみを追うことで憂いを招いていないか、安全を求めながら危機を呼んでいないか、福を求めながら死に近づいていないか。荀子の言う治国は、自分にとってはどのような行動になるのか。加える「治辧彊固の道」とは何か。
今日も考えます。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?