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荀子 巻第八君道篇第十二 7 その1

人主たる者は彊(強)を欲して弱をにくみ安を欲して危を悪み栄を欲して辱を悪まざるは莫し。是れ禹と桀との同じき所なり。此の三つの欲するものをもとめてこの三つの悪むものを辟(避)壁くるには果たして何れの道にしてか便ならん。曰わく、[宰]相を取ることを慎しむに在り、道は是れよりすみやかなるは莫しと。故に知[者]なりとも不仁なるは不可なり、仁[者]なりとも不知なるは不可なり。既に知にして且つ仁なるひとこそ是れ人主の宝なり、而して王覇の佐なり。[宰相を]得ることにつとめざるは不智なり。得るとも用いざるは不仁なり。其の人も無きに其の功の有ることをねがうは、愚なることれより大なるは莫し。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

道→③てだて。方法。また、技芸・学芸。
便→②都合がよい。やりやすい。また、ついで。てだて。
取る→③いろいろな方法で自分のものにする。
佐→①たすける。手助けする。
王覇→王道と覇道。王者と覇者。
拙訳です。
『君主と言う者は、強いことを望み弱いことを嫌い、安全を望み危険を嫌い、栄光を望み恥辱を嫌うものである。この事は聖王禹と暴君桀にも共通しているところだ。三つの望むものを求めて三つの嫌う所を避けるにはどのような方法が達しやすく良いであろうか。答えて言う、慎重に宰相を立てることであり、これより速やかな方法はない、と。(その宰相は)知恵があっても仁が無ければ不適格であり、仁者であっても智慧がなければ不適格である。知恵と仁を兼備している人こそが君主の宝であり、王者・覇者の助けとなる。宰相を得ることに努めないのは不知であり、得ても登用し活かさなければ不仁である。宰相がいないのに功績があがることを願うのは、最も愚かなことである。』

聖王であろとう暴君であろうと、強・安・栄を望み、弱・危・辱を嫌うとし、君主は自分を助けてくれる宰相を慎重に選ぶことで、組織に強・安・栄をもたらし、弱・危・辱を避けることができるとしています。その宰相の条件は、知と仁を兼ね備えた人です。
知と仁を兼備した人を見分けるのは難しいと思います。今の日本は、知を測ることには一所懸命ですが、仁を測ることにはあまり熱心ではないように思うのです。政治家は一流大学を卒業した知者揃いだと思っていますが、仁の方はどうなのか、疑問を持ってしまう人もいます。
仁の測り方が難しいなぁと、今日もあれこれ考えているのでした。

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