荀子 巻第十八成相篇第二十五 3 #3
前回は、堯・舜・禹の事績を読みしました。
禹は、黄河のデルタ地帯の中州を貫いて治め、洪水を制御したのでした。
続きです。
溥→敷く。
躬親→みずからする。
伯益・皐陶・横革・直成→(注より抜粋)伯益は禹を助けた賢人で、禹に天下を譲られたがそれを避けたという。秦の始祖とされる伯翳のこと。皐陶も舜に仕え、禹に仕えた賢人。横革・直成のことは明白ではないが、『呂氏春秋』求人篇にも禹の補佐としてみえる。
|契玄王→(注より)玄王は契のこと。契は堯の司徒で商に封ぜられた。のちの殷の始祖である。
天乙→古代中国の殷王朝の初代王。湯王(湯)、太乙、成湯、成唐とも呼ばれる。
論→⑥えらぶ。
当→🈔②あたる。(ア)よろしきにかなう。(イ)正しい。誤らぬ。
卞随→夏時代の賢者。殷の湯王が帝位を自分に譲ろうとするのを聞き、椆水に投身自殺したと伝える。
牟→🈪くらい。務と同じ。務光→中国の古代伝説上の高士。殷の湯王が天下を譲ろうとするのを聞いて、石を背負って投身自殺したという。
▢▢▢▢→(注より)ここは十一字一韻の例からすると四字が脱落しているとみられる。
賢聖→①賢人と聖人。聖賢。
道→いう。語る。述べる。唱える。
張→はる。ひろげる。大きくひろげる。
拙訳です。
『禹は土を敷くことで、天下(広大な黄河デルタ地帯)を平らげ、民衆のために自ら苦労を買って出て、伯益・皐陶・横革・直成らの賢人の補佐を受けた。契玄王は昭明を生み、初めは砥石に居たが商に遷り、十と四代後に天乙が生まれ、この天乙が成湯ととなる。天乙・湯は、人材を選び推挙することを誤らず、自らは卞随と牟光にその位を譲った。昔の賢人・聖人の事を語れば、(政治の)基は大きく広げられる。』
伯益・皐陶・横革・直成ら賢人の助けもあり、禹は苦労の末に黄河デルタ地帯の治水に成功しました。
玄王契は昭明を生み、その後十四代を経て天乙・湯王が登場し、適確に人材を登用しました。
古代の賢人・聖人を語れば、必ず政治の基を大きく広く学ぶことができます。歴史の面白さですね。
天乙・湯王は適確な人材登用をしたとありますが、その割に後継者選びについては、賢人卞随と牟光に断られ、しかも二人は自殺してしまっていて、ちょっと矛盾しているのではないか、とツッコミをいれておきます。