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荀子 巻第二十子道篇第二十九 3

 魯の哀公、孔子に問いて曰わく、子の父命に従うは孝なるか、臣の君命に従うは貞なるかと。三たび問えども孔子こたえず。
 孔子はしり出でて、子貢にげて曰わく、さきに、
君、きゅうに問いたまいて曰わく、子の父命に従うは孝なるか、臣の君命に従うは貞なるかと。三たび問いたまえるも、丘は対えざりき。は以て何如いかんすやと。子貢曰わく、子の父命に従うは孝なり。臣の君命に従うは貞なり。夫子ふうしなんの対うること有らんと。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

貞→正しい。誠実で正しい。心が正しい。
対→こたえる。応じる。相手(特に目上の人)の問いにこたえる。
はしり出でて→(注より)「趨」は君主の前での礼容で、急いで走るのではない。
郷→さきに。さきの。
何如→どうか。どう考えればよいか。
奚→「なに」「なんぞ」と読み、疑問や反語の意を表す。
拙訳です。
『魯国の哀公が、孔子に次のように下問した、「子が父の命令に従うのは親孝行か。家臣が君主の命令に従うのは誠実で正しいことか。」と。三度も下問されたが孔子は答えなかった。
孔子は礼に従い趨って退出し、弟子の子貢に次のように言った。「先ほど哀公は私(丘)に、子が父の命令に従うのは親孝行か、家臣が君主の命令に従うのは誠実で正しいことか、と三回も質問されたが答えなかった。お前(賜=子貢)はどう考えるか。」と。子貢が答えて言った、「子が父の命令に従うのは親孝行であり、家臣が君主の命令に従うのは誠実で正しいことです。先生がどうして答えることがあるでしょう、答えるまでもありません。」と。』

孔子曰わく、小人なるかな。賜はらざるなり。昔、万乗の国に争臣四人あれば則ち封疆くにざかいは削られず、千乗の国には争臣三人あれば則ち社稷しゃしょく危うからず、百乗の家には争臣二人あれば則ち宗廟こぼたれず、父には争子あれば無礼を行わず、士には争友あれば、不義をさず。故に子の父に従うはなんぞ子の孝ならん。臣の君に従うも奚んぞ臣の貞ならん。其のこれに従う所以をつまびらかにするを孝と謂い、貞と謂う。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

識→しる。見分ける。さとる。覚える。
万乗→1万台の兵車のこと。「乗」は車または車の単位をいう。
争→いさめる。あやまちや誤りを指摘し改めるように忠告する。
封→⑧くに。⇛邦。
疆→さかい。区切り。境界。
社稷→②朝廷または国家。
宗廟→中国において、氏族が先祖に対する祭祀を行う廟のこと。
毀→こぼつ。こわす。やぶる。そこなう。傷つける。
士→学問や知識のすぐれた人。
拙訳です。
『孔子が言う。「まだまだ小人だな。お前(賜=子貢)は分かっていない。昔、万台の兵車を持つ大国には、諫められる家臣が四人いれば、(他国に)国境を削られることはなく、千台の兵車を持つ国には三人の諫められる家臣がいれば国家に危機はなく、百台の兵車を持つ家には二人の諫められる家臣がいれば先祖の廟を損なうことはなく、父に諫められる子があれば父は無礼を働くことなく、知識人に諫められる友人があれば正義に反することをしなかった。このようだから、子が父にただ従うことがどうして孝行となるだろうか。家臣がただ君主に従うことがどうして誠実で正しいことであろうか。従う理由を明確にして行うことを親孝行と言い、誠実で正しいこととなるのだ。』

言われたからやった、というのではなく、言われたことを自分で考えて『理由を明確にして』から行う、考えた結果が言われたことに反するのであれば、そのことをきちんと伝えて再考を促すことが必要です。『党の指示だった。』と言って憚らない与党政治家に学んでほしいですね。

哀公から三度も「子の父命に従うは孝なるか、臣の君命に従うは貞なるか。」と問われたのに、孔子は回答することなく退出し、弟子の子貢には、言いなりになっている子や臣が、必ずしも孝や貞ではないと説明します。
哀公に答えず、弟子には教えるというのは変な感じですが、実はそこに礼があるのだと考えました。当時の君主というのは絶対的な存在で、否定することは失礼であり、間違っていても直接それを言うことは憚られ、だから孔子は『答えない』という態度で、哀公に再考を促したのだと考えます。

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