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荀子 巻第十一彊国篇第十六 4 #6

前回は、荀子が斉国の宰相に対し、「己れの足らざる所を損じて己れの余ある所を重ぬるなり。(自身の不足する所(道義)をさらに失い十分にあるもの(民衆と土地)をさらに増やすことだ。)」という説明をし、これで湯王・武王の功名に並びたいと願うのは、可能だろうかという問いで終わりました。続きです。

これをたとうるに是れ猶お伏して天を咶めくびつり(縊)を救わんとして其の足を引くがごとく、説必ず行われず。喩々いよいよ務めて喩々遠し。人臣たる者、己れの行いの行われざることをうれえずしていやしくも利を得んとするのみなるは、是れ渠衝きょしょうの穴に入りて而もするどきことを求むる[が如き]なり。是れ仁人の羞じて為さざる所なり。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

説→ある物事に対する主義、主張。
渠衝→攻城用の兵車。
利→②よい。役に立つ。つごうがよい。つごうよくする。
拙訳です。
『「これを例えれば、地に伏せて天をなめるようで、首を吊った人を助けようとしてその人の足を引っ張るようなもので、その主張は絶対に行われません。務めれば務めるほど目的から遠ざかっていきます。家臣であるものが、自身の行いが目的に達しないことを憂えず利益を得ようとするだけであれば、攻城用の兵車を穴に入れてしまいそれでも役に立つことを求めるようなもので、仁ある人は羞じて行わないことです。」』

故に人には生より貴きは莫く、安より楽しきは莫く、生を養い安を楽しむ所以の者は礼義より大なるは莫し。人の、生を貴び安を楽しむことを知りながら而も礼義を棄つるものは、これをたとうるに是れ猶お寿を欲しながら而もくび(刎)ぬるがごときなり。愚なることれより大なるは莫し。故に人に君たる者は民を愛すればすなわち安く、士を好めば而ち栄え、両者の一つも無ければ而ち亡ぶ。詩に价人かいじんまもり[衛]、大師は維れ垣、と曰えるは此れを謂うなり。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

寿→②いのちが長い。長生きをする。
君→①国などを治める人。天子。
士→位についてろくを受けている者。官にある男子。民の上に立つ者。
价→①よ(善)い。すぐれている。
大師→⑤大衆の意。
拙訳です。
『「ですから、人には生命より尊いものはなく、安らぎより楽しいものはなく、生命を保ち安らぎを楽しむ元は礼義より大きいものは有りません。人が生命を尊び安らぎを楽しむことを知りながら礼義を蔑ろにするものを例えれば、長寿を望みながら首を刎ねるようなものです。これ以上愚かなことはありません。国を治める役割を持つ人は、民衆を愛すれば安らぎを得られ、能ある官を好んで登用すれば栄え、両方がなければ亡びてしまいます。詩経に❝善人は国の守り、大衆は国の垣根である。❞というのはこの事を言うのです。」』

ここまで、#1~#6までゆっくり読んできましたが、僕のまとめは#6に重きを置いて、『目的に向かって行動するのに、その手段は適切であるか? 適切な手段の本になるのは礼義である。』です。
以下、ざっくりまとめてみます。

  • 「人に勝つの埶(人に勝る勢力)」より「人に勝つの道(人に勝る方法)」が重要。

  • 「人に勝つの道(人に勝る方法)」とは、正しいことを正しい、間違いは間違いとし、出来ることは出来る、出来ないことは出来ないとし、自分の私欲を抑えて必ず正道と道理を基準として行動すること。

  • 「人に勝つの道(人に勝る方法)」を推進し、宰相が王とともに国政の是非を正せば、国を挙げてみんなが正義を実行し、それが他国にも影響することで、結果天下統一ができる。

  • 斉国は四隣強国に囲まれ、「人に勝つの道(人に勝る方法)」を推進しなければ攻め込まれてしまう。

  • 湯王・武王は「礼義辞譲忠信」により民心を得て天下を取り、傑・紂は「汙漫争奪貪利」により天下を失った。

  • 「礼義辞譲忠信」をしければ、自身が安全で強くなる根拠(種)を棄てて、自身が危うく弱くなる根拠(種)を争い求めることになり、例えば地に伏せて天を舐めようとするようなもので、行動が目的に向かわない。

  • 人には生命より尊いものはなく、安らぎより楽しいものはなく、生命を保ち安らぎを楽しむ元は礼義より大きいものはない。


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