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荀子 巻第十議兵篇第十五 1 その1

今回より巻十議兵(兵事を論ずる)篇に入ります。

臨武君りんぶくん孫卿子そんけいしと兵[事]をちょうの孝成王の前にて[論]議せり。王曰わく、[用]兵の要を請う問うと。臨武君こたえて曰わく、上は天の時を得、下は地の利を得、敵の変動を観てこれに後れて発しこれに先きんじて至る。此れ用兵の要術なりと。

(「荀子」岩波文庫 金谷治訳注)

拙訳です。
『臨武君と荀子が、趙国の孝成王の御前で兵事について議論をした。孝成王が「用兵の要を教えてもらいたい。」と問うと、臨武君が次のように答えた。「上は季節や時間など天の時を謀り、下は地形や天気など地の利を踏まえて、敵の動きを見た後に行動を開始しながら敵の動きの先を制する、これが用兵の要です。」と。』

孫卿子曰わく、然らず。臣の聞く所のいにしえの道にては、凡そ用兵攻戦の本は民を壱にするに在り。弓矢の調ととのわざれば則ち羿げいも微につること能わず、六馬の和せざれば則ち造父ぞうほも遠きを致すこと能わず、士民の親附せざれば則ち湯・武も必勝すること能わず。故に善く民を附する者は是れすなわち善く用兵する者なり。故に[用]兵の要は善く民を附するに在るのみと。

(同)

凡そ→そもそも。総じて。一般に。話を切りだすときに用いる。
士民→士族と平民。また、武士と庶民。
親附→親しんで付き従うこと。
附する→①ついてゆく。従う。
善→②よくする。うまく。じゅうぶん。
拙訳です。
『荀子が言う。「そうではありません。私が聞く古代の道義においては、一般に兵を用いて攻め戦うための本は民衆を一つにまとめることにあります。弓の名人羿げいも弓矢が良くなければ小さな的を射ることはできず、馭の名人である造父ぞうほも六頭の馬が合わなければ遠くまで馬車を御して行くことはできません。武士と庶民が親しんで付き従わなければ、殷王朝の湯王や周王朝の武王でさえも必ず勝つというわけにはいきません。ですから、民をうまく従える者が用兵をうまくする者です。用兵の要は民をうまく従わせることにのみにあります。』

孝成王の問う「用兵の要」について、臨武君は戦い方を説明し、荀子は戦う前の準備というかあり方と言うかを説明して、それぞれ要だと主張しています。臨武君の方が戦いに対して具体的で、荀子の答えは確かにそうだけど遠回りだなという気もします。
議論は始まったばかりで、まだまだ続きがあります。続きは次回とします。

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