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荀子 巻第十一天論篇第十七 12

百王の変うること無きものは、以て道貫と為すに足る。一廃一起もこれに応ずるに貫を以せてり。貫を理むれば乱れず、貫を知らざれば変に応ずることを知らず。貫の大体は未だ嘗て亡びざるなり。乱は其のたが(違)うところに生じ、治は其のくわ(精)しきところにとど(止)まる。故に道の善しとする所[これに]あたれば則ち従うべく、かたよれば則ちおさむべからず、あやま(差)れば則ち大いに惑う。

(金谷治訳注「荀子」岩波書店、1962年)

貫→③ならわし。
大体→②物事の要点、また数量などを、大づかみにとらえるさま。あらかた。おおよそ。
詳→①細かいところまで行き届いている。くわしい。
尽→①つきる。(エ)やむ。とまる。
道→①みち。(イ)人の守るべきみち。物事のみちすじ。
畸→③ひとしくなくない。差別があること。⑧かたよる。ななめ。
匿→③かくす。おさめかくす。つつみかくす。かくしてあらわさない。⑤かくれた悪事。
拙訳です。
『何百代もの王に渡り不変であるものは、それを不変の道義・ならわしとして良い。一つ廃れば一つが新たに起こるがこれにもならわしにより対応する。ならわしを整えれば世の中は乱れず、ならわしを知らなければ異常事態に対応することができない。ならわしのおおよそは今までに亡びたことがない。世の乱れはならわしから外れるところから生じ、治世はならわしが細かいところまで行き届いているところに止まる。だから、ならわしが人の守るべき善に適えばこれに従い、偏りがあれば行ってはならず、隠して表さなければ大いに惑うことになる。』

「貫」を「ならわし」としましたが、歴史の重みです。
積み重ねられ、練り上げられたノウハウは非常に役立つものだ、と理解しました。科学は日進月歩で、新しいものが次々と開発されていますが、新しいものも今までのものの改良=積み重ねで作られているはずで、積み重ねの本が大切なんだと考えました。
大本が善であればどんどん積重ねていけばよく、偏っていれば改めて正し、あやまっていれば積み上げず棄てるしかありません。


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