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荀子 巻第四儒效篇第八 9
今回は、以前(巻第四儒效篇第八 1)にも出てきた周公のお話です。
客に道うものあり。曰わく、孔子は「周公は其れ盛んなるかな、身は貴くして愈々恭しく、家は富みて愈々倹に、敵に勝ちて愈々戒しむ。」と曰えりと。これに応えて曰く、是れ殆んど周公の行に非ず、孔子の言に非ざるなり。
拙訳です。
『客が次のように言った。それは、孔子が「周公は偉い人だ。身分が高くなればなるほど恭しくし、富めば富むほど倹しくし、敵に勝つほどに戒めを厳しくした。』と言ったと。これに対し、それらはほとんど周公の行いではなく、孔子の言葉でもないと答えた。
金谷先生は、客を食客と訳されています。なるほどです。
この後事例を挙げて、「恭しくなかった」、「倹しくなかった」、「勝って戒めを厳しくしなかった」を説明しています。概要を記載します。
武王が崩じた後まだ成王が幼かったため、周公が天子のように振舞った。恭しいと言えようか。
周公は天下を治めて71国を立てたが、その内同族のものが53人もあった。倹しいと言えようか。
殷を滅ぼした後、世の中は心を変えて思いを改め、周に感化され順応した。そのため天下にわたって堺がなくなり安心して門扉も閉じなかった。この時のことを見れば勝った後に戒めたと言えようか。
「恭しくなかった」、「倹しくなかった」については、周公はそんなに偉い人じゃなかったよという批判が感じられます。「勝って戒めを厳しくしなかった」については、必ずしも批判ではないような気がしています。
天下を治めて外敵がなくなり、安心して暮らせる世の中を実現した実績は素晴らしく、それにより門扉を開けていても安心して暮らせるようになったというのは、キレイにまとまります。周公の治績を褒めたいですよね?
武が不要となった世の中でも戒めて武を怠らないのが良いと荀子は言っていると思うのですが、武が不要となった世を実現したから戒めさえも不要として賞賛すべきではないのか、と思ってしまったわけです。
「四海の内は心を変じ慮を易ためてこれに化順せざるは莫し」という記載があります。四海の外にはまだ敵があって、用心が必要ということなのでしょうね。
蛇足を一つ、
曰わく、「周公の行に非ず」の説明はされているけれど、「孔子の言に非ざるなり」の説明はされてないなぁ、と。