"君のそばで会おう"(銀色夏生)は宇宙的。
中高生の頃、友達と一緒にハマっていて暗唱できるほど何度も読んだ、忘れられない銀色夏生の詩の数々。
なかでも、一番好きだったのが、「君のそばで会おう」という詩であった。
終わってしまった恋がある
これから始まる恋がある
だけど
僕たちの恋は決して終わりはしない
なぜなら
終わらせないと僕が決めたから
自信を持って言えることは
この気持ちが本当だということ
いろんなところへ行ってきて
いろんな夢を見ておいで
そして
最後に
君のそばで会おう
「恋」を、「人生」とか「愛」とか、あるいは、「いのち」とかに置き換えてみる。
もう記憶のない遠い昔?いつかの人生で、約束して、会おうと決めたのは、
それは、旦那くんだったかもしれない、息子だったかもしれない、親だったかもしれない。別れたあの人だったかもしれない。
それとも、大嫌いなあの人だったかもしれない、ふと道端で話したあの人だったかもしれない・・・・
二度と会うことはないだろう。でもまた必ず会えるだろう。そして、いつもそばにいるだろう。
忘れてるとしても。
回り道して、死にたいような人生や、面白すぎる人生や、バカみたいな人生や愛や恋を繰り返して、最後に会うのは・・・・。
アーシュラ・K. ル=グウィンの、『ゲド戦記』を、思い出した。
主人公ゲドが探し求めて、ついに霧の中で出会う自分自身の影のように、
いつか長い道のりを経て出会うのは、自分なのかもしれない、とも思う。でも、実は、ずっとそばにいた存在。
でたらめに生きたら、いいんじゃないか。
もっと、ね
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