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広島日記│Ice Blue days.
Feb.2025
Mon.
雪の降り積もる景色、というのをひさしぶりに見た。
しんと音を吸い込んだ、澄みきった朝の街を歩く。
ホステルを出て少しすると、遠くに原爆ドームが見えた。一度訪れたことがある。別の場所に観光に行こうかと思っていたのだけど、友人の言っていた「ここに来たのなら、ちゃんと忘れないでいたい」という言葉を思い出した。
以前に資料館に来たときには、あまりの人の多さにしっかり向き合うことができなかった。静かに祈ることも。展示されている解説をひとつひとつすべて読み、誰もいない慰霊碑の前に立って黙祷をする。
「あそこを出たあとで、街を歩く人を見ると、涙が出てくるんです。ああ、幸せなんだって」と言った女の子の言葉を、ようやく自分も理解できる日が来たのだと思えた。ひとりでここに来て良かった。
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Tue.
喫茶店が好きで、旅先ではいつも足が向いてしまう。雪の降りしきる夜に見つけたそこは、扉をひらくとバッハの音楽が聞こえてくる。足を踏み入れた先は、まるで洞窟か… 小さな修道院のようだった。
百種類はあるかという珈琲のメニュー、薄闇に浮かび上がるラファエロの聖母… マスターは無愛想だが、きっちりと正装をしている。珈琲は飲んだことのない味だった。それを形容する言葉は、いまでも思い浮かばない。
少し経って、珈琲に詳しい知人にその話をすると、どうやら源流となる店が思い当たるとのことだった。たった一杯のその世界は、底の見えない世界である。
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Wed.
アートが好きだという話をすると、好きな画家を聞かれることがある。比べられるものではないということは置いておいても、決まって3人の名前を挙げることができる。そのうちの一人が、オディロン・ルドンだった。
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彼の絵と出会った日を、今でも鮮明に覚えている。絵はものを言わない。けれどその色彩から、溢れんばかりの喜びが伝わってきた。それは地上では見たことのないような、色とりどりの花を束ねた大きなブーケのように、わたしの心に手渡された。
ひろしま美術館で開催されていた展覧会では、ルドンの「花そのもの」が描かれた絵もたくさんあった。そしてあの不思議な美しい花々は、空想ばかりではなく、妻が庭で摘んできたものだったらしい。
モネと同い年ながらも、印象派とはまったく別の世界に足を進めていったルドン。彼の絵を観ていると、その奥にある「見えない世界」への想像を掻き立てられる。
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Thu.
原田裕規さんの個展《ホーム・ポート》を観に行った。展示室を歩いていると、ガイドツアーのアナウンスが流れたので地下へ向かう。学芸員さんのお話を聞いていると、展示室の奥から若い男性が現れた。驚くことに、それは作家さんご本人だった。
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光の美しいこの美術館は、原田さんが日常から抜け出して、何度も通った思い出の場所だったらしい。展覧会はハワイの港の風景からはじまり、現地でしか話されていない「ビジン」という英語による映像作品、地球上の生物を読み上げていくインスタレーションなどがあった。
「遠くにやってきたはずなのに、元の場所に戻ってきてしまったような気がした」という言葉が印象的だった。どこにいたとしても、ずっと影のように共にいるもの。それは紛れもない、自分自身だ。
それでも幼い頃から絵を描いてきて、「自分の思い描く理想の風景の、手前の風景まで描けるようになった」という最後の作品の言葉が胸に残った。
わたしは理想の手前の風景を、描くことができるだろうか。けれどもその場所を目指して、真摯に歩いていく勇気をもらった。
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Fri.
瀬戸内にやって来て、日記を書くことが習慣になった。東京にいた頃には3日と続かなかった日記だが、気がつけば7冊目になっていた。
旅先にも日記をもっていくようにしていたが、忘れてきてしまった。長旅になればなるほど、必要なものだったのだなと気がついた。いつか忘れてしまうことを書き留めること。その日々の積み重ねが、いまの自分を救ってくれるものになるのだと実感している。
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Sat.
『文学フリマ広島』に一緒に出店するはずだった友人は来られなくなってしまった。本を作りはじめてから二度目のイベント。一度目はホームのような場所だったが、今回はそうではない。知らない土地に来ること、あのときに先導してくれた彼女がいないだけで、こんなに不安になるのだなと落ち込んだ。
けれど直島で暮らしていたときに出会った友人が、手伝いをするために神奈川から来てくれた。とても有り難かった。そういえば初めて出店した日の前の夜も、不安の方がずっと大きかったことを思い出す。この気持ちに慣れる日は来るのだろうか。
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Sun.
朝起きたとき、自分の体調が良くないことがわかった。起き上がると同時に吐き気に襲われる。友人とモーニングを食べる約束をしていたが、出発時間のギリギリまで横になっていることにした。彼女が心配してくれ、薬を買ってきてくれた。
なんとか会場に着くも、やはり体調は良くならなかった。けれど会場の11時からは、何とか気力で立つことができた。香川よりも落ち着いていて、途中で座ることもできたので、最後までお店にいられた。
事前に行きたいブースをチェックして、ご挨拶にも行きたいと思っていたが、歩いていく余裕がなく叶わなかった。けれどそうした出店者の方々、SNSを見てやってきてくれた人、noteを読んでくれている人、カタログをみて興味を持ってくれた人など、たくさんの人が来てくれた。本当に嬉しかった。ちゃんと気持ちを伝えられていたことを願うばかりだ。
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イベントを無事に終えることができたのは、隣で友人がサポートをしてくれたおかげだった。イベントのためにはじめてポストカードやフリーペーパーを自作した彼女は、「これから自分も本を作って、イベントに出てみたい」と言ってくれた。彼女にとってこれが、本をつくる最初の一歩になってくれていたら嬉しい。
万全の体調で望むことができず悔しかった面ももちろんあるが、瀬戸内海の向こう側へやってきて、はじめて出会えた人や景色があった。これからも恐れることなく、新しい場所へ行ける自分でありたい。
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◇ 今後の ZINE イベント
・ 3月2日(日) おかやまZINEスタジアム
・ 5月10日(土) ZINEフェス神戸
・ 8月3日(日) 文学フリマ香川 2
◇ サークル名【 海と石 】│ 藤石 アンナ(see.)
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