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なぜ歴史上の天才は性格が悪いのか

あらゆる分野の天才は何か一般の人とは違う感性を持っていたり、性格に難がある事は良くある。

物理学者のアインシュタインが公教育のアンチだったり、哲学者のヴィトゲンシュタインは日常の会話で誰かが不正確な発言をすると徹底的に問い詰めて終いには相手に向かってとんでもない侮辱をするなどのエピソードはよく知られている。私がこのことについて気になったのはこの本の影響だ。

この本は共に20世紀の大哲学者であるポパーとヴィトゲンシュタインの討論について書かれている。この討論はポパーがヴィトゲンシュタインの牙城であったケンブリッジ大学に乗り込み討論を仕掛けたのだが、ヴィトゲンシュタインにとってその討論のテーマは癪に触ったらしく最後には部屋の中で火かき棒を振り回して部屋から出て行ったというのである。
その事件について詳しく知りたい方はこの本を読んでいただきたいのだが、私が興味を惹かれたのはこの2人の性格である。

この本は2人のバックグラウンドや性格についても詳しく書かれてあるのだが、そのエピソードはかなり強烈である。

ヴィトゲンシュタインは先ほど述べた通りかなり神経質な性格ですぐ田舎に失踪したり、偉大な先輩哲学者(ラッセル、ムーア)に対してもごく普通に面と向かって批判する。またすぐ手が出る癖があり、小学生教師をやっていた時代には生徒に平手打ちしてしまった事もあるそうだ。
対するポパーも中々癖もので、自分と意見が違うものは徹底的に叩き潰す癖があり論破の仕方も酷い。まず相手の意見を良く聞いて持ち上げ、そのあと欠点をズラズラ並べて論破していくそうだ。

ヴィトゲンシュタインは「論理哲学論考」で人間の言語に着目し哲学そのものを終わらせてしまうようなスリリングな説を編み出し哲学界に大きなメスを入れ、ポパーは科学哲学や社会哲学で第二次世界大戦前後に大きな影響を及ぼした。2人とも問答無用の天才である。

では本題に戻ってなぜ天才は性格が悪いのか。それは単純で彼らは常に正確性と真理性を追い求めているからであろう。彼らにとって一番大事なのは真理であり、それ以外はどうでも良い事だから他人に忖度する必要もないのだ。
我々一般人はあらゆる物事についてある程度のところで妥協するのが普通だが、天才の場合はそれが許しがたく深く突き詰めていくため少し事実と違うことを他の人が言うだけで苛立たしく感じるのであろう。
しかし、妥協のできない人生はさぞ辛いだろう。常に自分の思考と格闘しなければならない。だからこそ天才は鬱になったり、自殺する事も良くある(哲学者と数学者は特に)。そう考えると一般人で良かったと思うことも私はしばしあるのである。


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