今は亡きオムライス
食べたものが食道を通って胃に落ちて小腸に入って大腸に到達した後の感覚が、それはそれは嫌いになったのは思春期のころ。栄養を吸収するのは小腸だけど、大腸にずっと溜まっている食物の残骸が太らそうと躍起になっているような気がして、ザリザリとした苛立ちと不安感をどうしても消し去ることができなかった。
だから、食べて吐くことで心の安寧を得ることができることを知ったが、それは底なしの沼だった。すっと引きずり込まれて、気付いたらそこから抜け出すことができなくなっていた。
私にはそこを超えたらいけないという体重のラインが明確にある。今も昔も変わらず、身長マイナス15キロだ。プラス2キロになると体が重くなる。さらに2キロ増えると呼吸が苦しくなる。軽やかに動くことができるのはその理想体重だった。しかし、それを維持するには充分に食べることができなかった。
あの時代、私は親に虐待されていて友人だと思った人間にはやんわりと裏切られて居場所はベッドの中だけだった。いつまでも寝ていると鬼の形相をした母が布団を剥ぎにやってくるので、実質逃げ場は頭の中に作った空想の中にしかないという悲惨な状況だった。酷すぎて詳細を書くのが憚られるが、目の前で親に飛び降り自殺された人に気の毒がられるほどだったから、ああ、自分はそこまでかわいそうな人間なのだと思ったことがある。
でも、肉体は現実にあるため想像力には限界がある。現実に存在するにはつらすぎる。さてどうしようかと思ったころ、繁華街の外れに目立たないほど小さな食堂を見つけたのだった。
あのころ、唯一私が吐かなかったのがその小さな食堂のオムライスだった。シンプルでさっぱりとしたトマトケチャップが美味しいオムライスだった。1週間に一度くらい逃げ込んで、たっぷり時間をかけて食べた。店員は数人いて、そのうちの一人はたぶん親くらいの年代のおばちゃんだった。
先日、その人と思いも寄らないところで再会した。向こうはほぼ覚えていなかったが少し長く話す機会があって、話しているうちに同じ高校の人を知っているかとか、そういう話になった。
しまった、と思った。独りで晴れの日も雨の日も無表情でただひたすら早足で逃げ続けたあの日々が、鮮明に脳裏に蘇ろうとする。喉元を強く掴まれたような不快な臨場感だった。胸の内側で鼓動が跳ねる。やめて。思い出したくない。いや、いやいやいや。大丈夫、もう何十年も前のこと。そう言い聞かせても、少しの息も吸えていない気がして焦りだす。トイレに渦を巻きながら吸いこまれていく吐瀉物、という巻き戻された古い記憶。ゴボゴボゴボという空気を孕んだ音。ツンとする胃液のニオイ。オムライスも本当は吐きたかったんでしょ? と母の声がする。
私はたしかにオムライスに助けられた。でも、普通に食事することは今もできてはいない。大量に食べたい気持ちとカロリーの狭間で、ダイエットサプリと下剤を限度量ギリギリまで服用し、日々おびえながら大好きであるはずのメニューたちの前で冷や汗をかいている。食べる瞬間の幸せは腹に落ちると、途端に不安の種に様変わりする。
人は幸せよりも不幸な記憶を覚えているようにできているという。それは生き延びるための戦略だそうだ。でも、その機能に食い殺される人間もいる。私は食い込む牙の鋭さに息も絶え絶えで、どうして今自分が生きているのかもよくわからない。
「また、オムライス食べたいです」
何とかそう口にすると、おばあちゃんという年齢にさしかかったその人は言った。
「あら……あのお店ね、もうないのよ」
そうですか……といいながら、寂しさよりも安堵が勝り、私は暗澹たる気持ちになりながら帰路についた。