永遠についての証明
『永遠についての証明』という本を読み終わった。どハマりしすぎて、1日で読み終わってしまった。
主人公は、数学の天才、三ツ矢。三ツ矢は数学の世界を実際に存在するかのように “見る” ことができる “数覚” を持ち合わせていた。第二の主人公は、三ツ矢の親友である、熊沢。
話の本筋はもうこの際、横にポイっとしちゃうとして(気になる人は、呼んでください!おすすめです!)
もう興奮冷めやらぬなので、思いのままに書いていきます。
突然だけど、量子力学とか宇宙物理学とか好きなんですよ。数学わからないから、あまり難しい証明を理解することはできないけど。そして、数学も好きなんですよ。でも、理解できないから、わからなかった。
高校のとき、logとはなんぞやってことをずっと先生に聞いてて。対数が誰で、なにを表していて、どうして今ここに存在しているのかわからないから、問題解けへん!なにも考えずに公式に当てはめれば解けるけど、それは気持ち悪すぎて無理!logが何者なのか説明して!って言い続けてて、先生に「それは大学院の話やから、興味があるなら大学院に進学してから研究してくれ。俺にはわからん」って言われて諦めました。
そんな思い出話はどーでもよくて。(どやねん)
クオークってあるのね。量子力学のね、いま最小の単位と言われている分子とか原子を超小さく砕いていった先の話ね。
で、この素粒子と言われるクオークは、観察者の意識によって波の性質をとったり、粒の性質をとったりするのね。つまり、非物質になったり、物質になったりする的なね?!
で、『永遠についての証明』で主人公の三ツ矢がつくったプルビス理論っていうのがあって、そのプルビスって「塵」って意味のラテン語なんやけど、そのクオークよりも小さい、宇宙万物を形作っている根源の “ナニカ” が三ツ矢には “見えて” いて、それをプルビスって新たな数の概念として名付けて(整数とか素数的な)、それで宇宙そのものの根底に流れる美しさの共通項を証明しようとして命をかけたって感じなんやけどな!
すごない?!?!興奮止まらんのですけど、これわかってくれる人、おる?!
いや。わかってる、わかってるんです。言葉足らずすぎて、なに言ってるかワケワカメなのはわかってて、その段階で「わかる?!」とか言うてもわかりませんけどってなるのはわかるねん。わかってんねん。
でももう、わたしにはこの頭のなかに浮かびあがってる、どう表現したらいいかわからへん、いろんな理論や分野の垣根を超えてからみ合って繋がりあってる、その予感みたいなものを、どう表現したらいいのかわからへん。
それってまさに、3Dで立体の情報をなんとか2Dで直線的にして、さらにそれを意味のなす形に順序立ててしなあかんって感じで、三ツ矢もこんな世界を見てたんかなとか、それはさすがに烏滸がましいか。(情緒)
この本を読んで一番興奮したところがどこかって、三ツ矢が数学に没頭したきっかけって、実家の裏にある森のなかのすべての植物や生き物に宿っている美しさの共通項を知りたいっていう欲求っていうのが、もう...!わかる!それな!ってなる!
宇宙物理学とか突き詰めていくと、神の存在の証明をしているような感じになっちゃうとか、昔読んだ宇宙物理学者の本に書いてあったけど、数学もまさにそうなんやろうなって思って。
結局、使う言葉(手段)は違えど、どの定理も学術分野も、突き詰めていくと行き着く場所は同じで、それはきっと、去年の秋に、ススキ野原で見た、あの感覚であり、あの景色なんだろうなって思う。
だから結局、すべては同じで。その「ナニカ」をみんな探してる。こころの中で探す人もいれば、数字のなかに探そうとする人もいる。それだけの違い。
あー、やっぱり言葉にならないです。
とりあえず、こんな感じで。