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プレイアブル 023『全て受け入れる』

ネガティブな自分を心の底から受け入れてみた。すると思いの外、肩の力が抜けて楽になった。こんな感覚は初めてだったかも知れないので、記録しておこうと思う。

できるだけポジティブであらなければダメだ、とネガティブになってしまう自分をいつもどこかで否定していた。その一方で愚痴を吐いてたくさん笑ってスッキリしている人々を見る度にいつも傷ついていた。たくさん愚痴を吐く人々は年長者に多い。そういう人々に触れる度に『穢れてる』と悲しく感じていた。尊敬できるお手本としたい大人が身近に居ない状態で育ち、かつそこから逃げる選択を自分自身に許せない選択ばかりして育ったので、他者を心から信頼するのは私にとっては簡単なことでは無い。本を読んだりセミナーに参加してみたりお寺に通ってみたり、自分なりにお金もかけてたくさん努力しているのだが、本当に少しずつしか変化できないのがとても悔しく感じている。なんで人のことをこんなに悪く言ったり責めたりして楽しそうにしてるんだろう、と心の底で悲しんでいる私がいた。こんな大人には絶対になりたくないと思いながらも、自分と似たような価値観を持つ人達にはなかなか出会えず、1人でこんな想いを抱えてきた。

もっと純粋に生きたい。優しい言葉の世界で生きたい。みんな悪気があって失敗している訳じゃないのに。迷惑かけようと思って手を抜いてる訳じゃないのに。不器用だからこそ頑張ろうとしているのに。なんでそういう人達を見て平気で笑えるんだろう。人の気持ちを考えない大人なんて大嫌いだ。なんでこうも冷たい言葉を平気で笑いながら世に放てるんだろう。そういう大人たちの心が本当に分からなかった。

だけど、そういう言葉を平気で吐く世代は、そういう言葉をかけられて育って来たのだとその世代の人達との対話を通して少しずつ分かってきた。その世代の人々は人を傷つけるような言葉に対する感受性が低いのか?と思いきや、ネガティブな言葉をかけられると逆に何クソ!と頑張り成長できるらしい。そして仕事モードとプライベートモードで言葉の温かさを使い分けている。ここが私には理解ができない。そういうもののようだと覚えた上で、では自分の感受性を護りながらどう成長していけば良いのか、必死に探るしかない。

人として、1人の人間として温かい言葉を使いたいと思って生きている人はいるのだろうか?と疑問に思う。言葉って何のためにみんな使っているのだろうか。人から良く思われる為に、人から信頼されるために温かい言葉を使い、当たり前に身近にいる人達に対しては気を抜いて平気で傷つける言葉を使う。自覚しているのか、していないのか。こんなことをここ最近強く感じるようになってきた。どんな感情もストレートに表現したい。しかしその言動自体が温かい言葉を使えないという自己矛盾に陥らせる。それを許せない自分との葛藤。何か解決策はないか、必死に考えれば考えるほどどんどんとループにハマっていく。

我慢の限界で疲れ果てて、でもそれを誰にも言えなかった。自分で解決しなきゃ、人に愚痴を吐いちゃダメだ、相談なんて相手の時間をこんなことで奪うなんて申し訳ない。。そんな思いでいた時に1人の友人から電話がかかってきた。当たり障りのない話をしていたのに、なぜか急に堰を切ったように色んな想いが溢れてきて電話しながら大声で泣いた。もう疲れた、と布団にうずくまって大声で叫んだ。友達はただただ聞いてくれた。ダメ出しもアドバイスもせず、ただただ「辛かったね」と寄り添ってくれた。その時ハッとした。本当は聞いて欲しかったんだ。そして、誰かに聞いてもらうことを自分に許したかったんだ。そう思えたら愚痴を吐いて楽しそうにしている人達のことも少し許せるような気持ちになった。不思議だった。私は私が本当はしたいことをしている人や世界を恨んでいたんだなと気づいた。だからこそ、時にはそういうことを自分がすることを許せばどんな人に対しても温かい気持ちでいられるのかも知れないと思える様になった。もちろん清らかな人では在りたい。けれど、そうでない人を許せるためにもこれからは少しは毒のようなものも安心して吐き出せる何かを作ったら良いのかも知れないと感じた。精神的にかなり潔癖だったのかも知れない。それはそれで良いのかも知れないけれど、それでプラスにならない時には自分の感情と距離を置く練習が必要と少しずつ分かってきた。

気持ちがスッキリすると、自分の頭で少し考えられるようになった。

何かそろそろ旅立ちの準備を始めければならないのかも知れない。いつでも旅立てる力をつける、ということだ。今の場所にはもちろん感謝している。もっとこの場が良くなるようにと微力ながらも精一杯尽力してきた。けれど、ひょっとしたら何かもっと自分の力を発揮できる良い場所もあるのかも知れない。自分がしたい成長に対して少し物足りない感覚も実はある。自分にしかできないこと、自分だからこそできること。どこにもない形であることは確かでまだハッキリとは見えない。けれど、大切にしていることを表現し続けることでだんだんと自分にも人にもそれが見えてくるのかも知れない。

最終的に、どんな人のことも受け入れられるようになりたい。どんな人のことも許せる自分になりたい。もちろん限度というか時々許してはならない事柄もあるけれど。だからこそ、私はこれから本当に勇気は要るけれど、今までしてこなかった努力をしてみようと思う。人とは正反対の努力かも知れない。多少言葉はキツくなるかも知れない。だけど、ちゃんと、本音で生きてみたいと思う。心の底からの本音を暖かい言葉で伝えられる様になるために、まずは自分自身の醜い部分を受け入れることから始めようと思う。光があるから闇ができる。私はその両方を愛せる人間になりたい。

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