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姐さん #14

 洋子ねえちゃんといっしょに暮らしていたころ、買い物について行った帰り道、堤防沿いの道を歩きながら、洋子ねえちゃんは、僕が尻をぷりぷり振りながら前を歩く姿がおかしか、かわいかと言って大笑いした。そんな帰り道にかけっこすると驚くほど足が速かった。
 政治家の妻として、兄貴のような半端者を立派に支え続けた。兄貴と洋子ねえちゃんがつきあい始めたころ、僕は小学一年生ぐらいだった。
 兄貴はまだ政治家の秘書をしていた。選挙が終わったあとの秘書としての務めのときも、洋子ねえちゃんはせっせと面会に行ったりしていた。
 子どもならではの無神経さと精一杯の背伸びで、ませた僕が
「徳にいちゃんとは別れた方がよかよ、徳にいちゃんは悪者じゃっで。みんなそう言っとる」
と言ったときに、
「あそこはね、手作りのお弁当もね、全部
ぐしゃぐしゃにされて調べられるのよ。お弁当もおいしく食べられんくなるからいちろうくんは悪いことしたり、すぐ怒ってまりちゃんをたたいたりしたらいけんよ」
と笑いながら話した。
 僕が小学三年生のころは、職を失った兄貴とアクセサリーの販売をスーパーの出入り口や、動物園の広場や、住宅展示場の隅っこでやっていた。何かの機会があって僕が遊びに行ったらうれしそうに出迎えてくれて
「あげる」
と言って蟹の形をしたアクセサリーをくれた。僕が蟹座だと洋子ねえちゃんは知っていてくれたのだった。その安っぽいプラスチックのアクセサリーを僕は大切にしなかった。
 僕が小五のときに兄貴が高島屋の二階でシケた子供服屋を始めた時も洋子ねえちゃんは売り場に立っていた。直子ちゃんを産んで間もないころだったと思う。学校帰りに友だちとよく寄った。兄貴は
「小学生が来て騒ぐとお客さんが来ないからもう店に来んな」
と言っていたが、洋子ねえちゃんは
「たくさんおいで」
と言ってくれた。
 兄貴が初めての選挙で敗けたときも、洋子ねえちゃんは支援者たちへのあいさつまわりを次の選挙が始まるまでくり返していた。そのころはもう僕も沖縄に引っ越していた。

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