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5月-3月センチュリー豊中名曲シリーズ

「喜怒哀楽、四つの感情をテーマに四つの小説を書き下ろしてほしい」とお声がけ頂いたのは2021年の夏頃でした。劇作家の僕がオーケストラの公演にどのように関わればいいのか全く想像がつかず、ひとまず日本センチュリー交響楽団の公演を観にいくことにしました。

生まれて初めてみるオーケストラの演奏会は、とても刺激的な体験でした。統率された音の群れは巨大な一体の生物の呼吸音にも聞こえ、躍動する音の塊に、僕は何度も何度も心を揺さぶられました。劇場を出て興奮冷めやらぬ内に返事をかえし、この素晴らしい時間にどのように関わればいいのかという模索が始まりました。

“センチュリー豊中名曲シリーズ”は、日本センチュリー交響楽団と豊中市立芸術センターの共同制作により年四回の公演を行なっています。一流の演奏家達の演奏を、クラシック初心者も鑑賞しやすい低価格なチケット代で鑑賞することができ、外部から作家を招き物語と連動する名曲を演奏するなど、クラシックの間口を広げていく企画にもなっている。

オーケストラと小説をつくる

センチュリーのオーケストラハウスで指揮者の角田鋼亮さんとドビュッシーについて話す藤井

まず四つの感情を軸に物語をつくって欲しいという「テーマ」がオケ側から投げられました。それに沿って僕が「公演タイトル」を考え、タイトルの言葉から連想される曲をオーケストラの皆さんに「選曲」していただき、その楽曲の曲想や構成、作曲された時代背景から作家の家族関係などをヒントに「物語」を組み立てていく、という方法で小説を書いていきました。こんなに不思議なプロセスを経て、作品をつくるのは初めての経験でした。

劇場やオケの皆さんと話し合いを重ね、演出的に踏み込むことが出来る領域を話し合い、最終的に「声を展示する」という形態に落ち着いたのは、22年の春頃でした。開演前のロビーにあらゆる方法で「声」を展示し、その展示を体感したあとで演奏を聴くことで、クラシックを新しい方法で楽しんで頂けないだろうかという試みです。

『夜、でしゃばる悲哀』声の展示 ©飯島隆

「日本センチュリー交響楽団」という名を聞いてすぐ「四つの小説を通して100年の物語(一世紀の物語)」を描こうと決めました。ただ、全ての観客が四公演/四作全てに触れられる訳ではありません。「単体で読めば短編としても楽しめるし、通して読めばどこかに繋がりを感じられる」という、絶妙な匙加減で要素を散りばめていく必要があります。難しくも楽しい創作が始まりました。

『忘れられた怒り』

『忘れられた怒り』は隣人の騒音に腹を立てた青年が、その原因と改善を求め怒りの矛先をあちこちへ向け続け、街中を駆け巡る物語になりました。
怒りが持つ危うさを出発点に書き進めるうち、青年が街中を駆けずり回りながら無数の玄関先で他人を責め立てる姿は、昨今のSNSでの炎上や、個人に対する過剰なバッシングの様相に僕の中で重なっていきました。そういった現代的な怒りの風景の中に、曲の構成や背景、作曲家達の私生活についてのあれこれを潜り込ませ『忘れられた怒り』は書き上げられました。
ムソルグスキーの『禿げ山の一夜』の、同じモチーフを執拗に繰り返す曲構成から着想を得て、小説も同じ出来事を執拗に繰り返す展開になっていきました。

この小説はだいぶ苦戦しました。当初僕の構想は「“巨人と個人”を四作の共通テーマにして、100年の物語を様々な時代から描く」と言うものだった。しかし担当の方やディレクターと話すうちに「もっと分かりやすいものを」となっていき、当初想定していた「忘れられた怒り」のプロットは全て白紙に戻る。もう一度お題に立ち返り、取り組み直すこととなる。

『忘れられた怒り』はシリーズ初回と言うこともあって、提示されるお題が最も多かった。と言うより担当の方も「オーケストラと小説を作る」ということに関して、まだ方向性を絞りきれていなかった。徐々に一緒に模索して行った感じだった。

1「“怒”をテーマに」2「曲構成を小説の構成に置き換え」3「作曲者三名の青年時代、家族関係を物語に反映し」4「曲の原作(ロミオとジュリエット)に出てくるモチーフを物語に反映し」5「メインビジュアルとの繋がるように調節し」6「同シリーズ他三作品と関連付けられるよう構成を作り」7「800字前後で終わる超短編小説」──これが提示され、実際に執筆の際に取り組んだお題だった。

指揮者の現田茂夫さんとの対談

公演の一ヶ月前(5月)に指揮者の現田茂夫さんとの対談をさせて頂く機会を得た。対談の中でも対談後にも取り組みの面白さを褒めて頂き「もっとやってよ! ロミジュリの演奏の中にロミジュリの台詞を挿入するのはどうかな。藤井君のオリジナルでもいいし。朗読は、出来れば彼(藤井)の声がいいな」と提案して頂き、バレエ『ロメオとジュリエット』組曲の演奏の中にシェイクスピアと僕のセリフを組み込んで頂けることになった。

改めて読んだ『ロミオとジュリエット』゜

演奏されるプログラムを手がかりに、バレエの楽曲構成から逆算してシェイクスピアの戯曲を読み、該当場面から「薔薇を別の名前で呼んでも、甘い香りに変わりはない」や「俺には君を愛さなければならない理由があるんだ」など、その場面を象徴するようなセリフを選んでいく。

『ロミオとジュリエット』は恋愛の物語であると同時に、戦争の悲劇を描く物語でもある。今回の公演に選ばれたプログラムの作曲家が偶然にも全員ロシアの作曲家であったこと、現田さんと対談した際「小説『忘れられた怒り』にウクライナとロシアの情勢を重ねてしまう」という言葉を頂いたことから、戯曲『ロミオとジュリエット』の中から、当時始まったばかりだったウクライナ・ロシア戦争に向き合うような台詞を選び抜いていった。
No.52『Juliet’ s Death』等に対しては、楽曲に対応するセリフが戯曲になかったため「死者が目を瞑っているのは眠っているんじゃない、耳を澄ませているんだ─」という一連のセリフを藤井が書き下ろした。朗読も僕がやりました。

上演当日。客席がパンパンに埋まり、演奏もスタンディングオベーションが起こるほど最高な演奏で、公演は大成功に終わった。この公演では、ピアニストの務川慧悟さんにお会い出来たのもとても大きい出来事だった。リハーサル中、客席にいたらフラッと話しかけて下さって、小説と音楽の話に始まり、これまでの人生や最近の生活のことまでアレコレお喋りした。談笑していると突然「あ、次僕の番なんで弾いてきますね」と言ってさっと舞台に上がり“ラフマニノフのピアノ協奏曲 第3番”を物凄い勢いで演奏し始めた。務川さんの演奏は本当にギラギラしてて、最高だった。

「忘れる」ことや「怒り」について、考え続けた公演でした。忘れることは幸せになる為にとても大切なことです。と同時に、忘れることが出来る人は、恵まれた立場の人間であることを忘れてはいけません。この小説や公演を通して、ご自身でも気づかない間に忘れてしまった怒りがあったのではないか、 思いを馳せる機会になれば嬉しいですね。

『夜、でしゃばる悲哀』

連載が掲載されていたアペリティフ
書き下ろした小説『夜、でしゃばる悲哀』


夜になると、呼んでもないのに不安や悲しみが次々とやってきて、どんどん眠れなくなっていく……。そんな経験をしたことがある方は少なくないんじゃないでしょうか。『夜、でしゃばる悲哀』というタイトルを思いついた時から「ある女性の枕元に飛来する悲しみを描こう」と決めていました。悲しみのフィルターを通してドビュッシーの『海』を聴いてみると「喪失」と共に「解放」があるような気がしたのです。『海』の影響を受け小説は、大きな喪失と小さな解放の物語になりました。ドビュッシーが、喪失は解放でもあるのだと、気づかせてくれたのです。(「夜、でしゃばる悲哀」上演に寄せて)

『夜、でしゃばる悲哀』は僕自身、気に入っている作品です。この小説を書いている時期に僕自身に降りかかった喪失、海で起きた悲しすぎる事故、夜の風景などをドビュッシーの淡い旋律に重ねながら、ゆっくりと書き進めました。
非常にお題が多く難易度の高かった『忘れられた怒り』に比べ『夜、でしゃばる悲哀』のお題はシンプルでした。「ドビュッシーの交響詩『海』の曲想から着想を得ること」「海を舞台にすること」の二つだけ。文字数も1600字以内に広がり、小説の中で出来る範囲も大幅に増えた。お陰で小説の描写は非常に細かいところまで手が届くようになり、作家として思うように物語を書くことができました。
終演後回収したアンケートの中に「ドビュッシーはいつもどのように聞けば良いのか戸惑うのですが、今回は物語を手がかりに心地よく聞くことができました」と書いてくださる方が何人もいらっしゃって、あぁ、一生懸命書いて良かったな……と、しみじみ思いました。

指揮者の角田さんとはクレバーな方で、とても興味深いお話を沢山できました。ソリストの周防さんとはあまりお話し出来ませんでしたが、演奏がとにかく華やかすぎて、聴きながら鼓動が高鳴っていくのを感じました

『修復する“歓喜”』

声の展示の様子

全ての公演の中で最も悩んだ公演だったと思う。というのもこの公演だけ、タイトルよりも先に演奏されるプログラムが決まっていたからだ。しかもその曲というのがベートーヴェンの交響曲第九番、みなさんご存知「第九」だった。
この公演にタイトルをつける/小説を書き下ろすということは「第九に別のタイトルをつけ、第九に小説を書き下ろす」ということでもあった。あまりに高すぎる山に登らなければならなくなって途方に暮れた。

タイトルを考えるにあたって、今、第九を演奏する意味について考えてみた。第九は大人数の合唱を伴う大編成が必要になる楽曲であり、コロナ禍絶頂期には感染防止の観点から演奏が難しいとされた。この2022年12月の演奏が、生活や僕たちの歓喜を取り戻していくきっかけになって欲しい。タイトルを考えていた2021年の秋頃には2022年末のことなど何もわからなかったが、ただただ、この演奏が世界を“修復”してほしいと願って、このタイトルをつけた。

案の定小説も難航し、一度全て書き終えた物語を白紙に戻すほど悩んでいた。最終的に書き上がったのは「コロナの後遺症で嗅覚を失った調香師」が主人公の物語だった。音楽家でありながら聴覚を失っていったベートーヴェンに重ねて書き始めたのだが、次第に、パンデミックによってポンと宙空に放り出されたような、あの社会から隔絶された時間を小説の中に捉えることが出来たような気がして、そのまま書き進めた。

『忘れられた怒り』でお世話になったピアニストの務川さんと第九について話していると「第九は隣の音を行ったりきたりするんです。ある楽器の音を別の楽器が引き継いだり。境界をなくし繋がろうというメッセージが込められているんですよね」と教えて頂いた。そこで、主人公の過敏な嗅覚が原因で疎遠になってしまった画家の兄と主人公との間にある緊張を、徐々に解いていくような物語になった。務川さん、本当にありがとうございます。
この回の“声の展示”は俳優が姿を現すスタイルで行われた。俳優の声に集中し、展示が終われば拍手を送るお客さん達をみて、少し安心した。

『100年後の楽しみ』

©Masaharu Eguchi 提供:日本センチュリー交響楽団/ 豊中市立文化芸術センター

『100年後の楽しみ』を執筆するに当たっては、演奏される三曲が、二つの世界大戦が繰り広げられた激動の時代を乗り越えて残された名曲達だということを念頭に置きながら物語を組み立てました。
小説では、大衆の熱狂と一人の気まぐれによって、積み上げた時間(文化)が一瞬で灰になってしまう。戦火に燃えてしまった未発表曲の中にも名曲があり、この演奏会で演奏されていたかもしれない。そんなことを考えながら、タイムカプセルと少女の物語を書きました。

演奏会は『(のだめカンタービレのテーマソングにもなっていた)ラプソディ・イン・ブルー』や『火の鳥』をはじめ、とにかく気分が上がる演奏ばかりの二時間。秋山 和慶さんが指揮するセンチュリーの『火の鳥』はとてもスリリングな演奏で、ドキドキしながら聴きました。
編曲家/作曲家/YouTuberとしても目覚ましい活躍を続けるピアニスト角野隼斗さんのガーシュウィンも絶品でしたね。務川さんの演奏の時にも感じた「今この瞬間、この音楽が生まれている」と思えてしまえるほどイキイキした音楽で、次は何が出てくるのかワクワクしっぱなしでした。

100年後ってどうなってるんでしょう。僕と角野隼斗さんは同い年で、100年後には127歳なので、僕達はまだギリギリ生きてるかもしれませんねぇ。
角野さんの活動を拝見するたび、彼がつくるものは「未来の古典」になるんだろうなと思うことがあります。100年後、今彼が撒いている種がどのように咲いているのか答えが出ているかもしれません。そんなことを思うと、僕は100年後が楽しみで仕方がないのです。

一年続いたシリーズが終わった

オーケストラの公演にどんな服を着ていけばいいかわからない劇作家が、演劇の現場でもないのに全身黒服を着てしまっている写真です。

一年間作家を務め続けたシリーズが終わって、ほっとしたのも束の間、こんどは「『変化』をテーマに四つ小説を書いてくれませんか?」と提案された。『変化』だけだと展開が難しいので「人間が変化を受け入れる心理的なステップ」にそって四つの物語を書くことになった。ありがたいことに引き続き、小説で関われることになりました。ありがたい。

6月に上演される新シリーズ最初の公演『新しい生活』は新世代の指揮者・太田 弦さんが指揮され、僕も大好きな作曲家・坂東祐大(ドラマ『大豆田とわこと三人の元夫』などの音楽も手掛けられたりしてます)さんによる新曲の世界初演もあります。ソリストにギター奏者の朴 葵姫さんをお呼びするなど、とにかく、新シリーズ初っ端から面白い公演になること間違いなしです!

写真家・鈴木竜一朗とデザイナー・山口良太によるメインヴィジュアル

普段クラシックも観に行かない方も、是非観にきてください。きっと「クラシックって面白いんだなぁ」って思ってもらえると思います

新シリーズ公式HP▽

https://www.toyonaka-hall.jp/event/event-33954

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