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頑張っていると思っていたのは僕だけなのかもしれない

僕は悩んでいた。仕事やボランティアでリーダー的立ち位置で、何かに取り組んでいる時、目標に向かい必死に走っていた。
必死で考え、伝え、動き出し、結果に繋げようとしていた。制作物に細部までこだわり、一緒に取り組むチームの人にも同じ所を見てほしいと思いたくさん伝えていた。
いや、沢山伝えているつもりになっていた。

「これだけ伝えたのだから、わかっているでしょう」「わからない事は聞くのが当たり前だよね」「なんでもっと意見をくれないのだろう」と悩みを持っていた。

僕は自分が悩んでいると思い込んんでいたが、違った。ただ、他者に何かを求めていただけだった。
自分のやりたい事、考えている事を実行に移す事だけに一生懸命になり、共に進めていくチームの人達が僕の行動に何を感じているのか。
チームの人達にバックグラウンドに何があるのか。考える必要がある事に僕は気づけていなかった。

「目標が一緒だから」「お金がもらえるから」「仲がいいから」
取り組む理由が一緒でも、取り組む思いまではなかなか揃えられない。

ヒトはどんなに合理的な思考で物事を考えようとも、身体を動かすに思いが必要だ。
こうした方がいいのにできない理由、それは大抵思いだ。
ダイエット、片付け、貯金自分一人で行うことですら合理的にできないのに、そこに他者が入ってきたら余計に難しくなる。

だから結局自分で全てを行なってしまう。
その結果、「ついて行けない」「圧力を感じる」「あの人はできる人だから」と見放されてしまう。

誰か一人自分から離れていくと、次々と人が離れてしまい、結局自分が苦労してしまう。
では、どうしたらいいのか。全ての人のバックグラウンドを知り、人柄を知りながら物事を進めなければ行けないのだろうか。

僕のたどり着いた答えは少し違う。

ありがたいことに、僕の周りには僕の発言を聞いてくれる人で溢れている。
そして皆んな何かを成し遂げる力を持っていて、考えて行動できる人だ。
だから、僕一人が焦って走らなくても大抵の事は進んでいく。
スティーブ・ジョブズがいなくてもAppleが稼働しているくらいだ、世の中の物事は大抵大したことのない事なのだ。

だから僕は「ゆっくりやろう」と思った。目の前の事柄は、自分の近くにありすぎて大きく見えてしまっている。
でも仲間と手を繋ぎ、大きな円になれば少し離れた位置から見ることができる。

一人では大きく見ていたことも、少し離れれば、全体を見られる。決して小さく見えることはないのかもしれないが、どんなに大きくても全体がわかれば手元にはない戦略を持つこともできるかもしれない。

もちろん、期限や早期に終わらせる必要があることもある。
そんな時にも全体を見て、チームがよりスピーディーに動けるように、細かい準備やその他への配慮に取り掛かればいい。

全てを動かす必要なんてない、物事は大抵勝手に動く。
その動きを円滑に、必要に応じてスピーディーになるように自分が動く。

僕は頑張っていた。でも他者と動く以上、自分視点だけの考えや行動だけでは意味がない、どんなに自分が頑張ったと思っていても、他者からの評価はマイナスな物になってしまう。

頑張れる力のある自分を信じて、頑張り方を考えよう。例え評価されなくても、考え行動した経験は必ず自分の価値になる。
そう信じて僕は明日も頑張り方を考える。

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