彼はもう音楽の中でしか父親に会えない ~映画『砂の器』〜
『砂の器』1974年日本
監督)野村芳太郎
出演)丹波哲郎、加藤剛、森田健作、島田洋子、山口果林
あらすじ)国鉄蒲田駅操車場で、轢死を装った男の死体が発見された。事件の手がかりは、被害者が若い男といるのが目撃され、東北弁で「カメダ」という言葉を繰り返していたことのみー
迷宮入りしそうな事件の解決に、熟練の今西刑事と若い吉村刑事がのぞむ。
善良で正義感が強く、人に恨まれるいわれのない被害者。
やがて捜査線上に浮かびあがる、若手ピアニストの作られた過去。
一見接点のない二人の過去は、奥出雲の小さな村で繋がっていた。
「宿命とは、生まれたきたこと、生きていること」
オーケストラとピアノが奏でる『宿命』の流れる中、美しい日本の四季の中を父と子がさすらう姿が描かれる。父子の宿命の悲哀が描かれた名作。
彼はもう音楽の中でしか父親に会えない
映画好きライダーM氏からDVDを借りて観た一作。近年ではスマップの中居くん主演でドラマ化されているので、そちらの方を観た人も多いかもしれません。私はまだドラマは観ていませんが、そのうち観てみたいと思っています。ちなみに、映画はモスクワ国際映画祭審査員特別賞を受賞しています。私が生まれる前に制作された映画なので、さすがに時代を感じますが、冒頭の砂の器が風に崩れるシーンや、父子が四季の中をさすらう姿など、現代の映像にはない美しさに思わず感じ入りました。
原作は松本清張の同名長編小説。原作と映画とでは、基本的な筋はあまり変わらないとしても、全体にわたってずいぶん趣が違います。小説はいかにも推理小説という仕立てで、謎解きや犯人の意外性に重きを置いている一方、映画は謎解きがやや唐突な感じがあるものの、父子の辿る宿命の旅が美しい風景と音楽の中でスポットライトを浴びるように浮かび上がります。小説の方が犯人の動機がよりエゴイスティックに感じられるのに比べ、映画では犯人の追い詰められた心情や、薄幸な生立ちに同情を覚えずにはいられません。
天才ピアニストのクールな顔の下に隠された、暗い過去。遠い日に切り離された父への思慕。
フィクションと分かっていても、ボロボロ涙が出ました。
特にクライマックス。父親が全身で泣き叫びながら吐く嘘と、コンサートを成功させたピアニストが見せる、晴れやかな笑顔が交互に私の脳裏に蘇ります。父親役の加藤嘉の魂の演技、ピアニスト役の加藤剛の影と光が現れる表情が素晴らしかった。冒頭から自分を閉ざしているようなピアニストの表情は、『宿命』を演奏するうちに清々しいものに変わってゆきます。
今西刑事はそんなピアニストの演奏を聞きながら、吉村刑事に言います。
「今、彼は父親に会っている。彼にはもう、音楽の中でしか父親に会えないんだ」
原作にはない感慨深いセリフの幾つかも、この映画の魅力となっているでしょう。
父子の間に介在するのが被害者となる男で、緒方拳が演じています。登場時間は少ないながら、夏の白い制服を着た警官時代の姿がりりしく印象的で、すごい存在感。善良な男でありながら殺されてしまうのが、緒方拳の迫力ある演技で納得もゆきます。
その他、今西刑事役に丹波哲郎、吉村刑事役に今や千葉県知事の森田健作、チョイ役に渥美清や笠智衆なども出ていて懐かしい。
「うわ~、きれいだな~!!」
って、思わず唸ってしまいましたよ。きれいって、何が? きれいって、今も時々TVでお見かけする人たちも含めて、役者さんたちが皆若くってきれい!森田健作も、肌きれい!丹波哲郎ってあんなにダンディだったの?!ってびっくり。
私が中学生の頃、丹波哲郎といえば3時のワイドショーに出てくる大霊界のオジサンで、てっきりタレントさんかと思っていました。周りの人にそれを言ったら、「昭和を代表する俳優だよ」と訂正されました。そう言われれば、大河ドラマにも出てたな~。
若いは美しい。
とそんなところにも妙に感心してしまいました。
余談ですが、DVDを貸してくれた映画好きライダーM氏は、ツーリング仲間と映画の舞台になった奥出雲を訪ね、乞食父子が隠れていた寺も見てきたそうです。すごいな~。それを実行するM氏もすごいが、それを実行させた映画の魅力もまた、すごい。
洋画に傾きがちな私ですが、日本映画の味わい深さに触れることになった一作でした。
-2009年7月 DVDにて初鑑賞-
(この記事は、SOSIANRAY HPに掲載した記事の再掲載です)