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人生で初めての高級食材を食べたみたいな日 坂東玉三郎特別講演「阿古屋」感想

今年の4月、人生で初めて坂東玉三郎の女形を目にした。
そのあまりの美しさに息を飲み、
いつかまた見てみたい……と夢見心地になっていたところ、
直近6月に京都の南座で単独公演をすることを知った。
ちなみに私は東京都多摩地区の在住だ。
そのためこの演目を見に行くとなると、日帰りにしてもまあまあの労力、まあまあの出費になる。
ギリギリまで悩んだが、
SNSで見かけた「坂東玉三郎の阿古屋をいつまで見られるかわからない」の言葉に背中を押され、
勇気を出して弾丸することにした。

阿古屋のあらすじ


「阿古屋」とは、
「壇浦兜軍記」という物語の一部だ。
バレエでいうところの、ロミオとジュリエットの物語の中の「バルコニーのシーンだけ」をやるガラみたいな感じだ。
あらすじは、阿古屋という遊女を懇意にしていた男が指名手配となり、その男の居場所をこの阿古屋が知っているのではないか?ということで、警察的なお上に呼び出され尋問されるシーンを描いたものだ。
一体どんなひどい拷問が待ち受けているのか?……と思いきや、お上は阿古屋に三つの楽器を奏でさせることにしたという。
楽器の音色が乱れるのであれば、心の動揺があらわれている、阿古屋はウソをついていると分かるはずだ、と。
阿古屋は本当に男の居場所を知らないのか?
それとも、知ってるのに知らないとウソをついているのか?
お上と一緒に、阿古屋の演奏に客も一心に耳を傾ける……という内容の演目だ。
このストーリーを再現するために、
「阿古屋」役を演じる俳優には琴・三味線・胡弓といった三つの楽器を弾きこなすことが求められる。
なので演じられる役者が少なく、現在では坂東玉三郎氏以外に演じられる俳優はいないとされている。

短い


都内から京都まで、東海道をはるばる下ってこの「阿古屋」を観に南座まで馳せ参じた。
作品の説明を坂東玉三郎氏本人と片岡千次郎による解説パートの「口上」を入れれば2時間程度あるが、
本編は実に1時間ちょっとの非常に短い作品だ。
だから、見終えて「もう終わっちゃった!」と思った。
だって東京駅から京都までのぞみでも2時間以上はかかる。帰りも。
ひかりとかこだま、ならもっとかかる。
これは都内住みがようやく知った遠征の苦労であり、 傲慢さの現れかもしれないが、
遠征すると「かけた費用と時間」に見合う感動を持ち帰らなければ、みたいな使命感というかコスト意識みたいのが働いて、観劇に際して力が入ってしまうと気がついた。
私のようなケチで体力もない人間にとっては、こうした「プレッシャー」が作品に対して心を開くのを妨げたり、受け取れる感性を減らしたりすることもあるような気がした。
単純に疲れているし。幕が開く時にすでに。
いつも地方から遠征する人はこんな苦労をしていたのか……としんみりしたりした。

初めて聴く楽器に良いも悪いもない


琴・三味線はともかく、
胡弓の音色などは初めてきいたし、
琴と三味線にしても生で「演奏」を「聴く」体験をしたのも初めてだった。
そのようなクソ素人がこの尊い舞台を観るとどうなるのか?
元も子もないが、率直に言って「??」という感じだった。
もちろん、「きれ〜」とも思ったのだが。
何の曲なのか?始まりと終わりさえ曖昧で、
もっというと「音楽」なのかさえ曖昧だった。
ところで今回の遠征は母を帯同していたのだが、
昔、琴を習っていたことがあるらしい母に「これは上手なのか」と尋ねたところ、
「何言ってんの!?めちゃくちゃ上手だよ!!!」
とのことだった。
マジで恥ずかしいが、この程度なのだ。私は……

フォアグラが美味しいのかまずいのか分からない人が最高級フォアグラを食した


…ような体験となったワケだ。今回の遠征は。
もうすぐ40歳になるのに未だに独身でプラプラしてるので(事情があるのだ)当然、
ヒマなのもあって自分はかなり芸術を鑑賞してる方だろうという自負があった。
でも実際は全然そんなことなくて、
まだまだ「技術の巧拙」すら感じ取れない領域が全然あるのだった。
入口でものすごい良い紙の公演フライヤーをもらったので持ち帰って部屋に飾ったが、
(分厚いので自立する)
20キロあるという着物を身にまとい、
これまた2キロあるというかつらを被った阿古屋が真正面に立っている写真が、部屋のちょうど目の高さの位置にくる。
フライヤーの写真にさえ謎の圧があり、
目が合うたびに「芸術の分からぬおろか者め」と阿古屋から笑われているように感じる。
けどそれも不快じゃなく、
日本の伝統芸能の極地から、オマエはどう生きるのか?と、尋ねられているようでもある。
まだ全然知らない、わからないことがある。
というのは、恥ずかしくもあるが、不思議と嬉しくもあるような。
生きている限り、新しいゲームソフトを始めた時みたいなワクワク感というか、ニューゲームは四方に広がっているのだ。
人生百年時代。ここから生きて50年後、きっと坂東玉三郎氏の阿古屋を肉眼で観たことが、私の誇りになるのだろうと思った。
大変だったけど、貴重な体験となった。


推しコーナーに飾ったフライヤー

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