見出し画像

近江と遠江

[日本語雑話]

これはエッセイではありません。
以前に「遠江」は何故「とーとーみ」と読むのか、あるいは「とーとーみ」と発音されるのに「とみ」と表記されるのは何故かという疑問を提示されていた方がいたのを、前回、五十音の話を書きながら思い出し、それについて調べたことを書いてみます。
ただ、音の話を文字で書くのも難しく、根本的には国語学に精しいわけでもないので、どうせ素人の浅知恵で、本当かどうか疑わしいくらいのイメージでお読みいただければと思います。


■1.近江と遠江の名前の由来

まず、二つの名前は二つの湖に由来する。近江は琵琶湖。遠江は浜名湖。遠・近は京からの距離である。
湖は淡水なので淡海:あはうみと言われ、この「あはうみ」が「おうみ」と変化して、近江という表記と結びつく。
それに対して、遠江は「とほつあはうみ」と言う。「つ」は「沖白波:沖にある白波」などと言うように所属・場所を表す格助詞。現在でも「つ毛」という表現に残る。したがって「とほつあはうみ」は「遠い所にある湖」という意味であり、これが「とおとうみ」に変化した。
以上が二つの基本的な由来である。


■2.とほつあはうみ→とおとうみ

煩わしいが「とほつあはうみ」から「とおとうみ」への変化を、ハ行音の変遷の中で確認してみたい。

2・A ハ行音の変遷

ハ行音の変遷をごく簡単に示すと、次のようになる。

古代はp音だった。
→pa・pi・pu・pe・po

奈良時代にf(ɸ)音(ɸa=ファ)に変化。
→ɸa・ɸi・ɸu・ɸe・ɸo

平安中期以降ハ行転呼音が起こり、語頭以外のハ行音はワ行音(β̞)で発音されるようになった。(例:花→ハナ・貝→カヰ:カウィ)
→語頭
ɸa・ɸi・ɸu・ɸe・ɸo
→語頭以外
wa・wi・u・we→je=ヤ行)・wo
(イウエはア行・ヤ行・ワ行の混同が同時に起こっているので複雑)

 中世から近世
→語頭(フ以外)h音に変化
ha・hi・ɸu・he・ho
語頭以外(ワ以外)ア行音に変化
wa・i・u・e・o

もっと大雑把に言えば、ハ行音自体はp→ɸ→hと変化、その過程でハ行転呼音によって語頭はハ行音、語頭以外はワ行→ア行音に変化したということになる。
例えば「貝」であれば
 ①カピ(kapi)
→②カフィ(kafi・kaɸi)
→③カウィ(kawi・kaβ̞i)
→④カイ(kai)
と変化。

「かほり・かをり・かおり」という異なる表記の存在もこうした変化の流れに置けば理解できるかもしれない。ハ行転呼音は日本語を複雑にしていて、助詞の「は・へ」も、常にその上に語があるため、例えば、「は」は「ワ」と発音されたが、今でも「こんにち」は「こんにち」と発音されるため子どもが「こんにち」と書いてしまう誤りの原因ともなっている。


■2・B 「とほつあはうみ」の変化

さて、こうした変遷を「遠江」に当てはめてみると、こんな具合の変化になるのだと思う。

■tofotuafaumi:とほぉつあふぁうみ
→tofotafumi:とほぉたうみ
→towotaumi:とをたうみ
→towotɔːmi:とをとーみ
→ttmi:とーとーみ

※「オー」という長音は室町時代の資料では、au→ɔː(開音)と、ou・oo・eu→(合音)の二種類の音があったことが確認されている。やがてその区別が消えてに統一されて行く。


■3.とーとーみ=とおとうみ

さて、「とーとーみ」という発音は、なぜ「とみ」と「お」と「う」が書き分けられるのかという問題だが、「オー」という音をどう表記するか、その揺れを収めるために政府機関が内閣訓令第一号で現代仮名遣いについて、こんなふうに規定した。

第1の5 長音
(5)オ列の長音:オ列の仮名に「う」を添える。例:おとうさん

これが原則。ただし、例えば「おうかみ・こうり」はおかしいだろうと、例外規定として次のように定めた。

第2の6 次のような語は,オ列の仮名に「お」を添えて書く
これらは,歴史的仮名遣いでオ列の仮名に「ほ」又は「を」が続くものであって(後略)。

とある。「お」と書くとするもので「う」と紛らわしいものは大体20語として次の例を挙げている。

多い・大きい・覆う・狼・仰せ・概ね・氷・郡・凍る・こおろぎ・十(とお)・遠い・通る・とおり・憤る・滞る・頬・炎・催す

この中に「遠い」の例もあるが、
とー(a)とー(b)み」が現代では同じ「とー」というオの長音でありながら、「と(a)と(b)み」と表記されるのは、
■(b)は「オ列の長音は『う』を添える」により「お」と表記されるという原則に従い、■(a)は例外規定の歴史的仮名遣いでは「ほ・を」に相当するため「と」と表記されるということになる。


ただ「告示によってそう決められたから」と言うのは安直な解決のような気もする。オ列の長音を原則「オう」としながら、例外として歴史的仮名遣い「ほ・を」に関わる音を「オお」とすることには、最初に触れたハ行音の変遷など長い歴史の中で作られた「音」や「語感」に関連しているのだと思われるが、それがどういう形で僕らの中に残っているのか僕にはわからない。と同時に、小学生は「十」が「とお」なのか「とう」なのか迷い続けるだろうし、残っている「語感」が消えていけば、ずーっと先にはみんな「とう」とか「こんにちわ」と書く将来が来るのかもしれない。

言葉は常に揺れている。


参考URL:
昭和61年内閣告示第1号
文化庁仮名遣い委員会の審議状況について(報告)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?