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第58話:選択不能という選択肢の想定

昭和54年度に大学の入試に共通一次なるものが登場した。
当初はすぐに滅びるだろうとも言われたが、センター試験、共通テストと名を変え、私立大学も取り込み、形式も年々更新され、その度に受験生を混乱させながら生き残っているから大したものと言わなければならない。

制度がひとつあれば必ずメリット、デメリットがあるもので、全否定するわけでもないのだが、このテストのメリットとは大量の受験生の一括処理と、教育の中央集権化という受験生以外のメリットなのであろう。

悪口が過ぎると思われる方もおられようが、このテストに僕がこんなに悪態をつくのは、実は僕も高3の時、共通一次元年の受験生としてこれを受け、惨々たる結果だったからである。
いわゆる負け犬根性というやつである。


でも、やはりこの形式の試験の影響は大きい。受験生は大学に受かるためにはそれなりに、何が客観だかよくわからないこの客観テストという形式に慣れねばならず、それなりにそれ用の思考法も身につけて行かなければならない。

上が変わると下も変わることを余儀なくされるわけで、高校でも必然的にいくつかの選択肢の中から答えを探すというマーク形式のテストがものすごい勢いでのさばることにもなる。
最近は「話す」という言語活動を重んじよと言うのだろうか、数人が話し合う会話型という妙竹林な選択肢問題が出るのだが、これも妙竹林と思いながら慣れてもらわなければいけないので、学校のテストでも自前で作る羽目になっている。

それでも問題を作る側としては作る時に時間がかかる労はあるが、採点は楽だし、生徒の顔を思い浮かべて「あいつだったらきっとここでひっかかるに違いない」などといろいろに落とし穴を考えてみるのも楽しいと言えば楽しい。

しかし受ける側の生徒にとっては、そういう落とし穴にはまらないように人間を磨いておかなければならないし、年々歳々、問題文も選択肢も長くなり、分かりにくくなって、じっくり物事を考える生徒にとってはスピードを要求されるこの種のテストは不利になる。
自分で書かなくてもよいのだから、まとめる力は落ちるし、表現は不手になり、漢字を使う頻度も少なくなる。国語を教えている立場からすると憂うべき試験と言えよう。

何よりも用意された答えの中から正解を選ぶという作業は、与えられたものの中から不正解を削るという作業に陥り易いし、並べられた答え以外の答えを考えることも許されない。
また問いがあればそれには必ず答えがあるという在り方にも大きな問題があろう。答えのない問も世の中には存在するのである。


さて、毎年の生徒が必ず訴えてくるのは、「二択までは絞れるんだが、その二択で必ず違う方を選んでしまう。どうしたらいいか?」という悩みである。

ある予備校の講師が講演に来て同じことを言っていた。生徒からこんな相談を受けたそうだ。

俺は必ず二択で不正解を選んでしまうので、俺が正解でないと思った方を選べばいいと思うがどうか

そんなことを言われても困るわけだが、そんなことを相談に来ざるを得ない気持ちに追いやる試験なのである。マークテストは記述試験と違い、明確に正解か不正解かが自分で見えてしまう。さらに国語は一問が7点とか8点とかの配点も多く、三つもそうやって間違えれば20点強もの失点になるわけで、志望校の変更を余儀なくされてしまう。

試験を1月に控えた12月頃になると、真面目な生徒ほど「点数」に縛られて余計に二択で判断を誤る。「読解力が落ちた」と生徒は泣いて相談に来るのだが、そうではなく、追い込まれて「気持ち」が狭くなってしまうだけなのである。だからちゃんと読めなくなり、間違う。だから問題演習をやればやるほど「点数」が下がっていくという迷路に彷徨うことになる。

その講師はその生徒に

君は、自分が正しくないと思った選択の上に人生を生きていくのかい?

と返事をしたそうである。


二択は難しい。

話は飛躍するが、二択は入試だけではない。生きていれば幾つもの岐路があって選択を迫られる。

時々、生徒に「あまり好きでもないお金持ちのA君と大好きだけど全く経済力に乏しいB君の二人に同時にプロポーズされたらどちらを選ぶ?」と聞いて遊んでみるが、結構、真剣に迷ってみたりもする。
「正しさ」はただ、選択肢した道で「後悔しない」ということにあるのだろう。

こう考えてみたらといいかもしれないと、ふと思った。

世界には選択が許されない状態を生きている人がたくさんいる。選ぶのに迷う選択肢を持てることはすでにそれだけで幸せである、と。
そんなふうに、自分の前に提示された二つの選択肢の横にもうひとつ「選択不可能な状況に置かれた生がある」という「選択肢」を想定する力があれば、「正しさ」に近づけるのかもしれない、と。

マークテスト様で教えられることがあるとすれば、そういうことだろう。

(土竜のひとりごと:58話)



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