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みる、みられるの関係性

今日から11月、寒い。
観察をするようになっていろんなことがわかるようになってきた。いいこともそうじゃないこともそれなりに。
これまではほかの人の空気感とか雰囲気とかを身体に入れないようにしていたんだと思う。しんどいから、自分で自分の身を守るために。
制御することが難しかったけど、今はだいぶん身を守る方法がなんとなくつかめてきたんだなと思う。
私は普通科を出た人間だから、針がHSPにそこまで振れてはないとおもうけど、ちょっとはある。通常は蓋をしているし、ナチュラルなアーティストではない。平凡な部類だ。それでも、個性的だとか、わがままだとか言われ続けるのはなんでだろうな。みんな蓋がロウででも封されているのかな。感覚の蓋、みんなあるのにどこかに置き忘れてきている。
そして、自分の頭で考えることも、持っていたらどんどん居場所を追われるから、どんどん失ってしまう。必要とされること、求められることがなければ能力は衰える。
脳みそに支配された感覚、感覚に支配された脳など、どっちがどっちとかじゃなくて、繋がりあって人は成立しているということ。感覚を伸ばせば脳も伸びるし、脳を伸ばせば感覚ものびる。相関関係にあって、相乗効果がある。だから、諦めちゃダメだ。
そして、それを表現するための身体、声を大切に。失っちゃダメなものはたくさんある。
だけど、声がなくても、丈夫な身体がなくても、表現することはできる。最後まで生きること、それは、表に現し続けることだ。そうすることによって人と関わることができる。ひとりで生きていかないためには、表に出し続けること。生きていることを形にすること。みる、みられるの関係性は、いきていることを認めることにもなる。


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chirico kaworu
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