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教師は子どもに好かれようとしてはダメなんです。

どうもSORAHIKAです。

今回はまた「教育」について記事を書いてみます。

よく漫画やドラマで出てくる「理想の教師」。

「自分もあんな教師になりたい」と思った人は、多くいると思います。

私もまさにその一人でした。

「どんな悩みでも聞いてあげたい」「生徒の一番の理解者でありたい」

もちろん、間違った考えではありません。

しかし、気づくと「生徒に好かれたい」という感情になってくるんですね。

これは個人的にはNGだと思っています。

理由は簡単で、「生徒に好かれたい」という時点で、生徒を引っ張る存在、指針になれないんです。

もっと言うと、言葉は適切ではありませんが、先生が「生徒の下」になってしまうんです。

先生が生徒の下になるとどうなるか。
・はじめは仲良く関係は良いが、一度注意をしたことで生徒との関係が急激に悪化する。
・嫌われたくないから、生徒のことを厳しく注意ができない。
・仲の良い生徒は、自分の話をよく聞くのでいつの間にか周りと差をつけていることに、教師自身が気づけない。
・生徒が先生の指示をまったく聞かなくなる。

教師の一番しんどい部分ですが、生徒から「信頼」されなくなるんです。
「あの先生は言ってることが変わる」
「生徒によって差別している」

生徒は本当に教師(大人)をよく見ています。もちろん接している教師は「生徒のために」と思って話をしています。きっとこれは事実です。
しかし教師の心の奥底の部分を、言葉の節々から生徒はしっかり見抜くんです。

「あー、先生こう言ってるけど、この言葉は私のためではなくて、先生自身のための言葉なんだろうな」って。

教師という仕事をするにあたって「生徒に好かれたい」という感情を持つことは、求めている理想の教師像とは「真逆」に向かうんです。

どうしたらいいか。

それは「生徒を一番に想う」ことです。

当たり前ですが教師自身の「自分は教師としてこうなりたい」「仕事としてこうありたい」よりも、生徒を優先することの方が大切なんです。「教師(仕事)」をしている時間は「自分よりも生徒を想う」ことなんですね。

「教師になりたい」という目標を立てて、教師になるため勉強を頑張り、実際に教師になったら、「理想の教師像を一旦捨てる
まぁ考えられないくらいしんどいですね。でもとても大切なことです。

私は生徒に好かれたいと思ったことは2年目以降、1度もありません。
なんなら嫌われて全然大丈夫です。

先生は生徒に嫌われていいんです。
生徒には「耳が痛い」言葉であっても、その生徒が社会でしっかり生きていけるのであれば、それでいい。
教師にとってそれ以上のことはありません。

常に考えていることは、社会に出た生徒の将来のイメージやこの先の社会の変化。そこから逆算をして生徒が3年後卒業するまでにどうあってほしいか、そのために今の1年間で何を育てたらいいのか。月毎に何をクリアしていけば理想に近づくのか。
未来から逆算して指導をしています。

なので、厳しいことも言いますし、社会や人の現実的な部分を生徒に伝えることもあります。生徒によっては厳しい言葉に、目に涙をためて話を聞く生徒もいます。

ただ、1つ言えることは「生徒を想う」気持ちは間違いなく生徒に伝わります。これはほぼ間違いないと思います。
もっと言えば保護者にもちゃんと伝わりますよ。

もちろん厳しいだけではよくありません
「ここは譲れない」というところ以外は、私かなり適当です
生徒にもよく言いますが、誰よりも学校生活を楽しんでいる自信があります。ほぼ毎日いろんな生徒と冗談をして遊んでいます。
「先生ってほんとふざけてるし、楽しんでるよね」と、よく言われます笑 
嬉しい言葉です。

「喜怒哀楽」は子どもたちと接するうえでとても大切にしています。
だってにんげんだもの。

不思議なもので嫌われてもいいと思ってからは、本当に嫌われることはほとんど無くなったと思います。もちろん私を苦手としている生徒もきっといると思います。でもそれでいいんです。

生徒が学校を卒業したこれから先の人生で、ふと私の言葉を思い出して頑張れる、その言葉がもう誰が言ったか分からなくるぐらい歳を取ってもふと思い出して頑張れる。
その生徒をずっと支えてくれる言葉を贈れたのなら、それだけで教師として生徒と接するすべてに価値があるんだと思います。

だから教師である以上は「生徒を一番に想う」気持ちをもってこれからも生徒と接していきたいと思っています。

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