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心の病気は完全に治さなくていい

こんにちは、Soratoです。

今日は心の病気全般について書いていきます。

完全によくならないといけない

最近色々な人の投稿をみて似たような悩みを抱えている人が多いと気づきました。

「普通に生活できるようになったけど、まだ〇〇が苦手」

「やっぱり〇〇だけは、どうしても怖い」

「まだ落ち込んでしまうときがある」

総じていうと、

良くはなってきたけど、まだ完全には治っていない

という悩みですね。

これって社交不安でもあるあるで、医者からみると結構よくなってるというケースでも、本人は、

「いや、全然よくなってないです」

という人って少なくないそうです。

私も当事者だったのでわかりますが、ある程度症状が落ち着いてもそれがすぐにスタンダードになってしまって、「まだ緊張が残っている」という面に注目しちゃうんですよね。

新車を買っても、三か月後にも「ワクワクがとまらないぜ!」という人はいないように、人間って良くも悪くもすぐに慣れてしまって次の不平不満が出てくるので、あるあるといえばあるあるかもしれません。

症状は完全になくならなくても大丈夫

私はもう治って何年も再発していませんが、症状的なものが完全になくなったわけではありません。

例えば、強迫性障害の代表的な症状に「洗浄」がありますが、今でも食事中に手が汚れてるんじゃないかと不安になることがあり、食卓に濡れタオルを置いたり、お椀に水を入れて置いています。

(手が汚れてるかもしれないと思ったらさっと水で洗えるように)

おそらくこの記述を見ると、

「あれ?Soratoさんまだ強迫性障害が治ってないんじゃない?」

と思う人も多いでしょうが、私としては、「何が問題なの?」という感じで、書く必要もないと思っていたくらいの話でした。

私は確かに、食事中に手が汚れてるかもしれないという考えが頭をよぎり、実際に今も不安になった時は手を水で洗ってますが、普通に働いて生活してますし、余暇にはゲームをして休日には遊びに出かけています。

強迫観念的な不安が頭をよぎることで多少の不便を感じることはありますが、多少の不便を感じるだけの話であり、それ以上でもそれ以下でもありません。

今の私は、人間には必ず弱い面があり、人は誰しも頭では分かっていてもなかなかコントロールできない悪い癖がひとつやふたつはあると思っています。

この記事を読んでいる皆さんの中にも、舌打ちをしてしまったり、つい飲みすぎてしまったり、無意識に爪を噛んでしまったり、布団に入ったのにスマホばっかり見てしまったり、、、

といった、

「こればっかりはどうしてもなぁ」

という癖が何かひとつはありますよね?

ですが、私はおそらくあなたと同じ癖は持っていないですし、洗浄に対する不安に関しても、たまたま私は弱い面がそこに来ただけとしか思っていません。

軽い症状的なものが残って思い悩んでいる人と私は症状に対する捉え方が異なっており、

(悩む人)普通に生活できるようにはなったけど、まだ多少の悪い癖が残っている

(私)多少の悪い癖は残っているけど、普通に生活できているからOK!

の違いです。

問題があることだけが問題ではない

私はアクト(アクセプタンス&コミットメントセラピー)という心理療法を推奨しています。

アクトはしっかりした理論的基盤のある心理療法ですが、ネガティブな思考や感情に対する見解が常識とは異なっています。

アクトではネガティブな思考や感情は、それがあること自体が問題ではなく、それらに囚われ、自分にとって大切な事、やりたいことができなくなっている状態が問題であり、それらを持ちつつも(≒上手に付き合いつつ)、自由に行動し、やりたいことができてればそれでいいじゃんというスタンスです。

(アクトはネガティブな思考や感情の「強度」を弱めることも目的とはしません)

私の強迫観念に関しても同じで、私は多少の症状を持っていますが、普通に生活してますし、趣味の活動も個人的な活動(執筆)もこなしています。

単なるちょっとした悪い癖くらいにしか思っておらず、悩むこともありません。

しかし、私は強迫観念を持っていなくても、やりたいことや楽しい時間もなく、仕事もプライベートもまったく充実していないのであれば、十分思い悩んでいるはずです。

つまり、私にとっての人生の最優先事項は、「自分にとって大切な活動をこなすこと」であり、「症状が完全に消え去ること」ではないんですね。

ACTは比較的新しい第3世代の行動療法である。ACTでは、人々を行き詰まらせ、苦悩させ続けるさまざまな形の体験的および感情的な回避をその標的としている。ACTの基本的な目標は、「もっと気分がよくなること(症状をなくすことなど)」よりも「もっと充実し、豊かで、意義ある人生を送れるようになること」にある。

不安障害のためのACT 著 ゲオルグ・H・アイファート

症状が弱いから気楽に考えられるのではなく、気楽に考えているから症状を深刻化させていない

このように楽観的に考えられるのは、必ずしも私の症状が弱いからではありません。

私は回復の過程でも同じ姿勢を保ってきましたし、今もこのように考えているので諸々の問題を深刻化させていません。

(強迫性障害に関してはここでは詳しく書きませんが、私が「何度も手を洗うとかおかしいだろ?」と無理やり治そうとするとめちゃくちゃ悪化します。強迫性障害は先天性が関わっている人「も」おり、私はそのケースです)

これは他の心の問題にも応用できる考えで、「症状が完全に消え去ること」を最優先の目標にしていることでもっと苦しくなっている人は多いと思います。

例えば、抑うつに悩まされている人は、「せっかくよくなったと思ったのに、また二日間落ち込んでしまった」と気を落としてしまうこともあるでしょうが、私も先週二日ほどやる気がなくなって、仕事以外の時間は日々のルーティンをさぼってずっとお菓子を食べながらゲームをしていました。

ですが、単に二日間落ち込んだだけで、二日休んで気分が変わったら何の問題もなく立ち上がり、また平然と文章を書きはじめました。

私は心の病気から回復しましたが、毎日絶好調な人間にはなってませんし、人間なので調子のいい日もあれば悪い日もあります。たまに落ち込んで現実逃避することがデフォルト設定なので、落ち込んだ自分を責めることはありませんし、自己嫌悪に陥ることもありません。

無論、私のような一般人にとっては一日一日が勝負でもないので、二~三日落ち込んで小休止を入れたところで一か月、一年スパンで見ると大した問題にもなりませんし、本当に疲れている時は素直に休んだ方が回復も早いです。

(個人的には五日くらいダウンするときがあっても全然いいと思っています)

心の問題は二段構えの構造になっている

大抵の心の問題は二段構えになっており、私たちはやっかいな癖や気分の変動だけで思い悩んでいるのではなく、やっかいな癖を持っていることや落ち込んだ自分を責めたり自己嫌悪に感じることで問題がさらに深刻化しています。

落ち込んで少しの間休んでも、「なんで私はこういう風に考えてしまうんだろう」と自己嫌悪に陥らなければ、ちょっと経って気分が変わればすぐに立ち上がって何事もなくいつものルーティンに戻れます。

落ち込む感情が出てくること自体を止めたり、強度をコントロールすることはできませんが、そこに自責と自己嫌悪が加わらなければ、単に落ちこんだだけの話であり、それ以上でもそれ以下でもありません。

「たまに色々なことが嫌になって現実逃避してしまうことがある」「こればっかりはどうしようもないという悪い癖がある」って人間的なあるあるですよね?

仮にあなたが、そのような面を持っている私に対し、

「Soratoさん、あまり気にする必要はありませんよ。表には見せないだけでみんなそんなもんです」

と思うのであれば、それはあなたも同じです。



しかし、この話を聞いても、尚、

「いや、でも言ってることはわかるけど、、、」

と、100%は割り切れない思いがあり抵抗を感じると思います。

その抵抗の根底にあるのが、

「心を何の問題もない普通な状態にしないといけない」

という前提なんです。

苦手な場面も完全には無くさなくていい

不安障害ではよく特定の場面が苦手になることが多いですが、私は苦手な場面も完全にはなくさなくていいと思っています。

例えば、激しい身体症状を経験し、特定の場所が怖くなった人は、最低限の生活はできるようになったものの、まだ○○という場面が苦手という人は少なくないと思います。

ですが、そのケースにおいても、

最低限の生活はできるようになったけど、まだ苦手な場面がある

よりも、

まだ苦手な場面はあるけど、最低限の生活はできるようになった

の方がよっぽど重要です。

心に大きな傷を受けたら傷が修復されるまでに時間がかかるのは当然ですし、葛藤する時間も必要で、一歩踏み出すにはきっかけが必要なこともあります。

私たちは、それらすべての「タイミング」までも思うがままにコントロールできるわけではありません。

最終的には未解決な苦手な場面も思い切ってエイッって飛び込んでみたら治ってしまうのかもしれませんが、それは結果論の話であり、飛び込み台の上で20分悩んで飛び込んだ人を「結局飛び込むんだから」といって後ろから蹴飛ばしていいわけではありません。

多少の制限がある中でも「今の状態の自分でもできる」楽しいことややりたいことを大切にしたほうがいいと思います。

回復の合格点は70点くらいでいいんじゃないですかね。

・生活はできているけど問題は残っている

・問題はあるけど生活はできている

このふたつって前後が逆なだけですが、メンタルに与える影響は『雲泥の差』なので、せっかく良くなってきてるのに焦りすぎて苦しくなってるという方は日頃から意識してみてくださいね。

また、それくらいの気持ちでいるほうが残った諸所の問題にも対処しやすくなると思います。

※アクトの要素も入ってますが、後半はアクトの内容じゃないので、一応書いておきます!

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