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コンプレックス

趣味は何ですか?と聞かれたら

読書です。

と答えている。

でも、ずっと本を読むことはコンプレックスだった。

小さな頃の記憶には、寝る前に父親に本を読んでもらっている記憶はある。コンプレックスになるほど、本から離れるようになった出来事は、小学校1年生の時に起きる。

小学校の図書室で本を借りれるようになると、さっそく4,5冊借りていた。ある日借りた本は、漫画調になっていて、小学校1年生では読み込めない本だった。その本を見た母親は、

「これは、あなたじゃ読めないから、別のを借りてきなさい」

と勧めてくる。

しかし、私は自分が選んだ本だし、漫画調の絵が面白さを誘ったし、読めないくせに、読めるもん!!と思い、抵抗したけど、母親も曲げずに何度も、あなたじゃ無理、と伝えてくる。

この出来事で、本を借りることを辞めてしまった。

本を借りてくること、には意味があり、本を読んで楽しいと感じているよりも、母親から本を借りてきたことに対して喜んでもらえていた、から借りていた。その、反応が嬉しくて、借りていた。なのに、受け入れてもらえない本があり、辞めてしまう。そこで、違う本を借りてきて、これは?とは聞けなかった。

そこから、高校を卒業し、浪人生になるまでずっと本には向き合えていない。

ちなみに、漫画は家にないため、それに出会うのは小学校5年生ごろと、とても遅い。それも、抵抗があった。このころには、本を読むこと、活字を読むことが嫌、となっているため、漫画も活字を追わないといけないから、嫌、なんて思ってた。

そこに、現れたのが「タッチ」あだち充。

これを読み始め、漫画の世界は面白いと気づく。

そんな私がようやく本ときちんと向き合うようになったのは、浪人生のころ。

塾の寮に入り、テレビという娯楽を奪われ、勉強漬け。その、逃げ道としてこれまで手にしてこなかった本を読み始める。初めて、面白いと感じ、のめり込んで読んだ。勉強そっちのけで。

「二つの祖国」山崎豊子。

これだった。そこから、私は山崎豊子作品を好きになる。

ここから、自分がはまれる作品とそうでない作品というものがあることに気づく。

私の本離れのきっかけを作った母親は、とっても読書家。様々なジャンルの本を読み、「二つの祖国」を進めたのも母親だった。そんな母親からハリーポッターやナルニア国物語なんていうのも紹介されるが、ファンタジー系は入っていけない。おそらく、非現地的過ぎるから。

好きなジャンルには友人に公言できないものもある。ノンフィクション。それも、子供の犯罪や死刑囚の人の話し。

読んでいると、みんないつも、誰とも区別がつかないほど普通の人が、殺人者になるまでになってしまう。それは何故なのか。自分にも彼らと同じ感情を持ち合わせていることもある。でもその先に進んでしまう原動力はなんなのか。人はどうしてそこまでなってしまうのか。

また、どんな生い立ちをたどるとそうなるのか。そんな統計的なことは見えないけれど、自分の子供だって、越えちゃいけない壁の前までは、するすると進んでしまうよな、と考えたり。

そして、それは絶対に見えない景色で、それを覗いてみたいというただの野次馬的な思いもあり。このジャンルの本はついつい手にしてしまう。

歴史小説も好きだ。それをはめてくれたのは

「等伯」安部龍太郎。

私には絵心がかけらもない。幼稚園レベルの絵しか描けないし、センスもない。その持ち合わせていない才能を持つ、芸術家たちについて書かれた本はとてつもなく私の興味をそそる。この本に出合って以来、芸術家たちのことを描いた小説を見つけるとわくわくする。

本は、自分の知らない世界を見せてくれる素敵な媒体である。でも、私にはもう一つ。母親という存在もある。あの人と、本の話しをして、私も読んでいると伝えたいという部分がある。

あの、小学校一年生での出来事が、ずっと引っかかっている。楽しくもあって読んでもいるけれど、どこかには、コンプレックスを克服したと、思いたくて読み続けている部分もある。

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