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掌編「いっぽ、にほ、かっぱ」

 会ったのか、と問われると、いやあ、どうなんだろうと首を傾げる。ただ、居るのか、と聞かれたら、うんと頷くしかない。

 はっきり出会った訳では無いと思うのだけれど、知らず自分の海馬をすり抜けて、脳の片隅に、漠然と居座っている、記憶の様な、思い出の様な、一種の懐古の様なものがある。それが河童である。序に告白すれば鬼に対しても同じ事が云える。出会っていないと云い切れないのは、どれだけ過去を遡っても曖昧だからである。突き詰めようとすると暈される。掴もうとすると躱されるのだ。

 ずっとそうだった。でも忘れなかった。いつか彼等と草の伸びた細道を歩いたような、水のほとりで波紋を見詰めていたような、木々の合間を縫って足を取られながら山を黙々と登ったような、思い返そうとすると、全体何を思い返すのだか知れないが、そう云う断片が、額の上へ現れて、私はどうしても、無性に心が切なくなる。どうして切ないのか、教えてくれればいいのに。会いに来て、納得させてくれたら良いだろうに。


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 私は白いキャンバスに向き合っては、言葉に言い尽くせない寂寞を、縋る様な心持ちで描いて来た。開け放した縁側から風が入る。庭の草がそろそろ蔓延り過ぎである。この日差しが和らいできたら、少し庭へ降りてみようかと思う。

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 ここで暫し筆を置いて、私は台所へ茶を淹れに立った。薬缶に朝沸かしたお湯の残りがそのままにしてあったので、そこへ井戸水を足して火にかける。しゅうしゅう唸る薬缶の音に紛れて、外でがさこそ音がする。風の仕業の時もある。虫の悪戯の時もある。ただそうでない時もあるらしい。

 小盆に湯呑みと急須をのせて六畳間へ引き返す。羊羹でも買っておけば良かったと思う。今日は少し甘い物が欲しい。この時又薫風流れて、我が六畳間の日に焼けた畳を撫でつけていった。初夏を彩る青草の香りが運ばれて、総身が生き生きと冴え渡るようである。庭に目を持ち上げる。

 おや。

 石ころの隙間から生えていた若草が、ううん、四本位、引っこ抜かれている。私は盆を手にしたまま、一歩、二歩、縁側へ迫る。眩しい日差しの下に目を瞬く。風が吹く。何の姿も見えない。そのまま縁に尻を落ち着けて茶を飲んだ。不図戸棚の中に、干菓子くらいはあったかなと思い出した。

 食べるかな。野暮な事を考える。曖昧は嫌いじゃない。私はもう一度腰を上げた。

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 夕暮れ前には庭に降りて草を抜こう。それから少し、水を撒こうかと思う。ああ、田んぼの蛙が騒がしい。 

                       おわり




※漠然としていつまでも腑に落ちない河童への心持ちを掌編に込めました。どうして河童ばかり描いたろうと、今でも不思議。けれど或る時、「ああ、ただいま」とどうやら自分を納得させてくれたのは、一冊の本でした。

読み終えて、帰り着く場所を取り戻したように安心したのです。こちらの本には、更に続く物語があります。

こちらも同じ温度の物語。読んで安心するお話です。そしてこれらの作品には、少しだけシンクロする物語があります。

いづれも出会えてよかった物語。その時の自分に必要な出会いであったかと思います。

河童かっぱ河童。                  いち


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