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真我の軌跡

33
真我補の本質は存在するということだけですが、この世界から見たときに、それは72の概念として言い表すことができます。
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真我の軌跡(33)平和

真我は常に平和で、それが乱されることがない。 真我には闘う相手がどこにもいない。 比較するべき誰かもいない。 そうであれば、平和であることしかできない。 真に平和を願うとは真我であろうとすることなのだ。

真我の軌跡(32)無欲

真我には欲というものがない。 不足しているものが何ひとつないからだ。 この世界のすべては真我によってつくられている。 つまり真我はすでに世界すべてをその手中にしているのだ。 そのため真我には欲という観念そのものさえない。

真我の軌跡(31)清廉

真我は決して汚されることがない。 常に清廉であり、何者もそれに触れることさえできない。 真我は匂いを嗅がれたことのない花のように汚れなきもの。 それを汚そうとする者は、それが無理なことだと悟るだろう。 真我に汚れた手を伸ばしても、その手もまた真我になってしまうのだ。

真我の軌跡(30)平等

真我は誰にとっても同じものだ。 誰かだけ強かったり弱かったりするものではない。 富める者や貧しい者も、幸せな者や不幸な者もそれは同じだ。 その見かけの姿で真我の有無を決定づけることはできない。 真我だけがこの世界で平等なものなのだ。

真我の軌跡(29)許容

真我は世界のあらゆる出来事を許容している。 世界の針路を支持し、その過程を信頼している。 善悪も好き嫌いもなく、愛や憎しみさえ分け隔てない。 真我にとっては、世界のどんな側面も同じものなのだ。 それらをすべて許容できる懐の深さが真我にはある。

真我の軌跡(28)慈悲

世界は真我から誕生した。 そうであるなら、真我は世界を我が子のように慈しむだろう。 その慈しみによって、世界を遍く在らしめている。 たとえ誰ひとり真我を知らなくても、世界は存在する。 そう存在させていることが真我の慈悲なのだ。

真我の軌跡(27)信頼

真我は何よりも信頼することができる。 思考や感情がどのような状態であれ、真我は変わることがない。 愛想をつかして離れたり、冷たい態度で立ち去ることもない。 絶望に打ちひしがれていても、悲しみに沈んでいても、 罪悪感に苛まれているときも、真我は黙ってそこにいてくれる。

真我の軌跡(26)真実

真我はこの世界で唯一の真実だ。 それは誰の心にも宿っていて、誰にとっても同じもの。 どんな現象よりも現実であり、いつでもそう確かめられる。 その真実は決して変わらず、失われることもない。 真我が在ること、その真実から逃れることはできない。

真我の軌跡(25)起源

真我はこの世界の起源だ。 この世界で真我より先に誕生したものはない。 それは過去のことではなく、現在のことでもある。 誰でもこの世界誕生前の状態を心の奥に宿しているのだ。 真我に時はなく、いつでもそこで起源のままでいる。

真我の軌跡(24)本質

真我は世界の本質そのものだ。 世界は常に変容しているが、その本質が変わることはない。 世界がどう変わっても、真我は真我として在り続ける。 美しさや醜さも、強さや弱さも、その本質においては同じだ。 自分の本質さえその真我であり、それが変わることもない。

真我の軌跡(23)根源

真我はあらゆるものの根源となっている。 世界は真我から生まれ、絶えず真我とつながっている。 真我以前に存在したものはなく、未来永劫絶えることはない。 それは地中の根のように見えないため、世界は真我を忘れてしまう。 それでも真我は世界を支え、世界が真我に気づくのを待つ。

真我の軌跡(22)包含

真我はすべてを包み込んでいる。 生滅、善悪、良し悪し、幸不幸、成功と失敗、光と影。 世界の二元的な概念を、そのひとつの中に飲み込んでいる。 真我は世界から超越し、それでいて世界そのものでもいるのだ。 真我の中に世界はあり、その世界の中心に真我がある。

真我の軌跡(21)沈黙

真我は沈黙して何も語らない。 何の意図も持ち合わせず、わずかな願望すらない。 そこで何かを語れば、真我に偏向を生じさせる。 偏向が生じたものは、真我から離れた何かになる。 沈黙しているからこそ、それは真我たり得るのだ。

真我の軌跡(20)慈愛

真我は慈愛に溢れている。 誰の心の中にもあって、その灯火を絶やすことがない。 自らを求める者に、いつも道を用意して待っている。 決して見放すことなく、どんな時でもすぐ側にいてくれる。 無条件で抱きしめ、慰めることを惜しまない。