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【ホラー】短編小説集・花蓮 第四話『裏見面見』 中編
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* * *
◉六月二十日
最悪の事態だ。あれだけ保管には注意していたつもりだったのに。
自分への戒めだ。
今日のミスをしっかりと書き残しておかなければならない。
まずは夜更かしが悪かった。朝になって慌てて、授業の準備なんか寝不足の頭でやったのが大きな間違いだった。いまだに自分の行動が信じられないけれど、現に机の上の所定の位置においておいたはずのあのノートをカバンに入れてしまったのだ。
それをわたしは何を血迷ったか、読書記録のノートと間違えて提出した。あの時のわたしよ、今すぐに地獄に堕ちろ。思い出しただけでも全身から血の気が引く。
図書委員があのバカ真面目な高井花蓮だったから、絶対に死んだと思った。あの子が真っ直ぐに職員室に行かずにトイレに寄ったから、助かった。待て、手洗い場にノートを置いたって言ってたけど、その時誰かに見られなかっただろうか。いや、考えすぎだ。あんなもん盗み見る物好きなんていない。
あのノートの扱いと保管を徹底しなければ。再度、肝に銘じて。学校には絶対に持っていかないこと!
◉六月二十一日
昨日以上の極悪な状況。いや、これはもう地獄に堕ちたとしか思えない。生き地獄だ。
まさか高井花蓮にあのノートが読まれていたなんて。よりにも寄ってあのバカ真面目で美人でクラスの人気者の高井花蓮に。
あんな風にこっそり話しかけてくるところもいやらしい!誰にも言わない?言うに決まってるだろ絶対。これが原因でイジメに発展するんだ。今まで目立たず、空気か幽霊みたいに過ごすことに成功していたのに。悪目立ちしてしまうんだ。
自分にも秘密があるなんて、高井のやつ。信じられるか。今度自分も秘密のノート持ってくるなんて言ってたけど、どうせ嘘だ。騙されるか。
あぁ、消えてしまいたい。学校にも行きたくない。最悪すぎる。
結局全部悪いのは自分なんだ。
◉六月二十二日
勘違いしていたのだろうか。
高井花蓮。クラスのアイドル。美人で頭も良くて。わたしとは全てが真逆。
根暗で背だけがヒョロ長くて、読書ばっかしてる痩せっぽちのメガネ、それがわたし。
けど、高井花蓮のノート、たくさんの詩。最初のページの一文が頭から離れない。
『この世はまるで、閉じ込められた檻のなか』
あんな完璧な子が、こんなこと考えていたなんて。しかもそれを詩にする?
負けた。
表現者として?
違う。あんな子が、わたしと同じ目線でセカイを眺めていたこと。
それが嬉しかったんだ。たぶん。
仲良くなれるだろうか。なれたらいいな。
* * *
手元のカップに口をつける。ゆっくりと啜ったものの、それはすっかり冷め切ってしまっていた。飲みたくて淹れたコーヒーのことも忘れて、わたしは一心不乱に過去の自分が書いた丸文字を追い続けていた。
たかだか十年前のことなのに、こうも綺麗さっぱりと記憶を消し去っていたことにまず驚いた。高校三年生の自分の日常。確かにこの日記の書き出しから数十ページのことなど、何の感慨も面白みも湧いてこない。学校やら親に対する不平不満の羅列に過ぎない。この部分は忘れていて当然だろうとは思う。こんな子供じみた感慨を抱いたまま今日まで生きてきていたら、わたしは今こうして分別のついた大人の顔などしてはいられなかっただろう。そんなもの吐いて捨ててしまうに限る。
けれど、あの日、つまりは日記に記された『六月二十日』からの日々はそれらとは一線を画すべきものだったはずだ。それほどに当時の自分にとっては大きな意味を持つ出来事であったはずで、なのにそれらを破片すら残さずにわたしは頭の中から消し去った。何故?
──高井花蓮。
一年生からずっと同じクラスだったにも関わらず、この六月二十日に至るまで一切の関わりを持ってこなかった少女のこと。
けれどわたしは本当に彼女のことをすっかり忘れてしまっていたのだろうか。今日に至るまで?
わたしはその日、学校に“決して持って行ってはいけない”一冊のノートを、不注意にも持って行ってしまった。そしてあろうことかそれを月一で提出する『読書記録』と間違えて提出してしまったのだった。
その門外不出のノートには、クラスメイトたちを登場人物とした“小説”が描かれていた。
彼らがそこで面白おかしく茶番を演じているような内容であったならまだ良かった。しかしそれはそんな可愛らしい内容などではなかった。
その小説は、実名で登場した生徒が必ず死ぬのだ。それも思いつく限りのありとあらゆる死に方で。作者はもちろんわたしだ。
まともではなかった。それは今では十分理解できる。決してそんなことを書いてはいけないのだ、と。けれど当時のわたしには歯止めが効いていなかった。若気の至りなどという言葉で片付けられない行為であり、小説の存在がクラスの誰かに知られたらもう学校になど通えなくなることは明白だった。
そう頭で理解していても、心がそれを求め続けた。
ムカつく人間を、誰も知らないところで痛めつける。嘲笑う。最初はそんな遊びの一つだったはずが、描き方をもっと残酷に、もっと残虐に、とエスカレートさせていったのだ。
快感。その一語でわたしは次々とクラスの仲間たちを紙面の上で殺していった。
高井花蓮はそれを読んだのだと言った。
ノートを間違えて提出したことに気づいたわたしは、慌ててクラスの図書委員だった花蓮を追いかけた。彼女が職員室に入る前に差し替えなければと、必死になって彼女の背中を探したのだった。
花蓮はトイレの中でそれを読んだらしい。『殺人学校』と油性マジックで荒々しく描かれたノートに興味を持った花蓮は、軽い気持ちでその一冊を抜き取って個室の中で流し読みをした。
「すごく面白かった!絶対にみんなには読ませられないけど」
階段の踊り場。花蓮の背中を見つけて安堵の吐息を吐いたわたしに向かって、ヒソヒソと内緒話をするかのように白状した少女は、なぜだかとても楽しそうだった。
「里見さん。私にも秘密、あるんだ。誰にも教えてない、秘密のノート。ちょっと訳の分からないことばっかり書いてあるんだ。明日持ってくるから、里見さんだけに見せちゃうね」
翌日の放課後、誰もいなくなった教室でわたしに開いて見せたノート。
時に厭世観たっぷりに、時にわたしと同様に荒々しく、そして悲壮的なまでに諦観してしたためられた、詩、詩、詩。
クラスメイトたちに上手に紛れていながら、今にも破裂しそうな爆弾を胸に抱えた同志が、わたしの目の前に確かに存在していた。
* * *
◉八月十五日
とうとう序文ができた。
著者・里見舞子、高井花蓮。
連名で、綺麗に四文字ずつ並んだ名前を見ているだけで満足してしまう。
わたしと花蓮の初めての作品集が、形になっていている。うれしい。
題名はまだ決まっていないけど、今日は大事な序文を作った。花蓮の家で朝からあーだこーだ言って。お菓子を食べながら、ほとんどパーティーみたいだったけど。誰かの家に集まってしゃべるのって、こんなにも楽しいことだったんだ。一人よりずっと楽しい。作品集にのせる小説、やっぱり『殺人学校』から取りたくなくなってきている。
でも花蓮がどうしてもって言うから。
十八歳の今しか書けないことを入れたい、その花蓮の気持ちも分かるんだ。
次の二作目には、もっと明るくて、誰も傷つけない作品を入れたい。
それにこの作品集じゃ、せっかく完成しても絶対に誰にも見せられない。
◉八月三十日
なんとか目標の期限に間に合った。
わたしの小説パートは五作品。全部が『殺人学校』からの転載だ。読み返したことなんてなかったから、誤字や脱字がとにかく目立った。やっぱりこれからは読み直しを必ずやらなければ。
あとは花蓮の詩のパートが来月中にできあがれば、それを印刷して、表紙をつけて、完成だ。世界に一冊しかない、わたしと花蓮のためだけの作品。
今日、次はどんな作品集にしようかとわたしが聞いたら、
「舞子とこれからもずっとずっと、卒業しても一緒に創作活動していきたい」
って花蓮が言ってくれた。
花蓮もプロの詩人を目指してくれるのかな。だとしたら、とても心強い。
ずっと一人だったから。ずっと一人で、部屋に閉じこもって書いてきたから。
未来が暗くて、不安だった。なんの取り柄もないわたしが、生きていく術なんてこれしかないような。でももしもそれがただの勘違いだったら。そう思うと寂しくて、つらくて仕方がなかった。だからあんな小説にすがっていたんだ。
これからは違う。花蓮と二人でなら、もっともっと楽しくて明るい物語が描ける。
未来は、明るいんだ。
* * *
忘れてなんていない。
わたしは花蓮のことをこんなにも大好きだったのだということを、忘れたことなんてなかったのだ。いつしかわたしは、何度も何度も自分の書いた日記の内容に頷き返していた。涙が次から次に頬をつたってこぼれ落ちていった。
今なら鮮明に思い描くことができる。花蓮の整った眉と、切れ長の目尻。まっすぐな鼻筋も小さな唇も。その横顔を眺めながら、わたしは「友達」という言葉の持つ甘美さや安心感に陶酔していた。花蓮と一緒の創作活動。それがわたしの日常の全てだった。
だったはずなのに──。
やがてページが九月の終わり頃に差し掛かると、ノートを捲る指が少しも動かなくなってしまった。
この後の出来事があったから。
わたしと花蓮の間に、あんなことが起きたから、だからわたしはこんなに明るく輝いていた日々を忘れ去ることにしてしまったのだ。いや、実際には少しも忘れられてなどいなかったのだから、意識的に思い出さないようにしていたのだろう。
どうして花蓮は、わたしを裏切ったの?
いつからわたしを、騙していたの?
花蓮。もう一度花蓮に会いたい。会って、そう尋ねたい。
この世からいなくなってなんていないよね、花蓮。
思わずわたしは日記を胸にかき抱いた。その時だった。自分の座っている椅子の脚元に、何かがヒラリと落ちた。抱きしめている日記のノートから落ちたのだと思い、わたしはそれをすぐに拾い上げた。
白い洋封筒が一枚。表の宛名を見ると、
『菊地美和子様』
と、明記されている。これは・・・・・・。
その瞬間、頭をハンマーで叩かれたような衝撃が走った。それは背骨を抜けて足の先から床下に消えていった。
わたしはこれを覚えている。何故ならこれは──。
──けれど、どうしてこれがここに?だってこの手紙は確かにあの日、母に・・・・・・。
両手で頭を押さえつけても、何の閃きも起こらない。
理解ができない。及ばない。
封筒の中には写真が入っている。
その写真の中では少女が男──妻子がいたはずの、高校の国語教師──と抱き合っている。
それは決して、今、ここにあるはずのない写真。
もしもそうであるならば、花蓮の転校はわたしの“復讐”が原因ではない?
教えて、花蓮。本当は何があったの?
真実は、どこにあるの?
ねぇ、花蓮。答えて。
(後編に続く)
Special thanks to:
Kani様
花蓮と舞子、刹那的で淡い幸福な関係がずっと続いていたら・・・。
このイラストを眺めていると、二人を分つ残酷な運命に胸が締め付けられてしまいます。彼女達に一体何が起きたのか。
全てが白日の元に晒されることを願いつつ・・・。
Kani様の素敵なイラストとともに、後編へと参りましょう。
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