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【ホラー】短編小説集・花蓮 第四話『裏見面見』 前編
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数年ぶりに会った父は当然のように歳を重ねていて、白髪もだいぶ増えていた。
「舞子、ちゃんと飯食ってるのか?痩せたんじゃないか?そんなに仕事が忙しいのか」
矢継ぎ早に己が娘に問いただす父親は、この機会を逃したらまた当分は会えなくなるということをよく分かっているようで、終始焦っていた。向かい合っている場所は東京駅の八重洲口。吸い込まれては吐き出される人の波から弾かれるようにして、構内の片隅に追いやられている父子だった。
「近所じゃえらい騒ぎだぞ。新潟の片田舎から小説家が出たーちゅうて。嬉しいやら気恥ずかしいやら。送ってくれた本、母さんと読んだけど、よく分からなかったんさぁ」
ダハハハ、と田舎者丸出しの笑い声。恥ずかしくてたまらない。
「出張で来たんでしょ?大丈夫なの、時間」
「なに、無理やり口実つけて来たんだ、東京に。特に急ぐ用事もねぇから。どっか喫茶店、入るか?」
相変わらずマイペースな父にウンザリして、多少強い口調になるのも構わずに、
「わたしが急いでるの!それで持って来てくれたの?電話で話したやつ」
「忙しいなら先に言えよなぁ。そしたらすぐ渡したのに」
ブツブツと小声で文句を言いながら、カバンの中から茶封筒を取り出す父。それを半ばひったくるように受け取ると、わたしはすぐに中身をあらためた。
そこにはA4サイズのノートが一冊、確かに入っていた。そして表紙には『日記 2012年6月~12月』とある。
間違いない。ここに、わたしが思い出したい過去がある。
まだ話し足りない様子の父が何かを口に仕掛けたとき、示し合わせたみたいにわたしの携帯から着信音が鳴り出した。
表示されている名前を見て、軽く舌打ちした。
「柊さん?森元です。朝早くにすみません。突然で大変申し訳ないんですけど、今日の午前中ってこれから空いてますか?上司から催促されちゃって・・・・・・。そのぉ、二作目を」
* * *
出版社近くの喫茶店に入ってからすでに一時間近くが過ぎていた。
そもそもわたしは初めからずっと気もそぞろだった。喫茶店に入る前、更に言えば目の前の相手と落ち合うもっと前から──。
とにかく、早く帰りたくて仕方がなかった。ともすると手元のバッグの中身に意識が向く。
「だからね、私は思うんです。柊さんには是非とことんまで、底の知れない人間たちの真理を突き詰めたような、そんなミステリーを書いて欲しい、書くべきだって!」
わたしのデビュー作を担当した編集者が、熱っぽく次回作についての自論を語り続けていた。まだ学生のような雰囲気を残す愛くるしい顔立ち女の子、森元紗代子。笑うと間の抜けたミニーマウスみたいな顔になる。
入社二年目の新人が初めて小説家を受け持った、その嬉しさと興奮を肌で感じるごとに、パートナーであるはずのわたしの方は冷めていくばかりだった。別にそれを悪いとも思わない。
そもそも、わたしには二作目を執筆する才能がないのだ。そう強く断言してしまえるほどに確信を持って言える。
自分の書いた小説を書籍として世に出せたのは、決してわたしに原石のような才能があったからではなく、筋書き通りにそれを文章に起こしたからに過ぎない。
物語はすでに完成されていた。わたしはそれを書きなぞっただけ。
全ては、“あのアパートの一室ありき”なのだ。
「柊さん、聞いてます?」
余りにもわたしの反応が薄かったからだろう、眉根に皺を寄せた不審げな表情で森元紗代子に顔を覗き込まれてしまった。
「あ、ちょっと飛んでたかも。森元さんのお話を聞いてたらだんだん不安になってきて。専業作家になんて本当になれるのかなぁ、なんて」
本心は隠したままで、上っ面の部分だけを伝えた。
案の定、何の根拠もない希望的観測と、鳥肌が立つほどの浮ついた世辞が浴びせかけたれた。
「大丈夫ですよ柊さんなら!上司が言ってました。今どき、原稿持ち込みからデビューに至る方ってほとんどいないんですって。読まれずに題名だけ見てゴミ箱にポイッなんてこともね、往々にしてあるんです。目の肥えた編集者の目に一読で止まって、部内で話題になって、会議に上がって。それで今の柊さんがここでこうして次回作の打ち合わせをしている。それってなんかすごいサクセスストーリーじゃないですか!わたし、一番最初に担当させてもらえた作家さんが柊さんで本当に良かったって、そう思っているんです。一緒にがんばりましょう!まずはアイデア出しです。焦らずゆっくり、思いついたこと何でもいいですからどんどんノートにメモちゃってください!」
アイデア出し?
無理だ。わたしにはもう、無理なのだ。
『白昼夢』を書き上げる少し前には、あのアパートでの不思議な体験──例の“幻影”はぱったりと現れなくなってしまっていたのだから。
それは──。
──三十そこそことみえる男が、セーラー服姿の少女とコタツに入りながら話す会話、そしてクローゼットの中から飛び出した二本の腕。
そんな光景から始まった“幻影”は、わたしに即座に筆を取らせた。あの日、強烈な光に包まれながら見たソレは、その後も度々あの部屋で、昼夜を問わずにわたしに奇妙な光景を目の当たりにさせたのだった。
そうして男が、激しく車が行き交う車道にセーラー服の少女を突き飛ばした、その場面を最後に二度と白い光の中の“幻影”は現れなくなった。
わたしはその一連の“幻影”を原稿用紙にただただ書き殴り続け、その結果、酷く歪んで捻れたどうしようもないミステリー小説が出来上がってしまった。わたしはその原稿用紙の束を、まるで熱に浮かされたように、もしくは何かに取り憑かれたみたいにフラフラと出版社の受付に差し出していた。
得体の知れない女が持ち込んだ、それに輪をかけて得体の知れない小説を、業界人たちは『大胆不敵な異形ミステリ』という大袈裟なキャッチコピーの箔をつけて作者ともども売り出すことに決めた。そこにわたしの意思なんて微塵も存在していなかった。
そうしてわたしは周囲になされるがままに、里見舞子から『女流ミステリ作家・柊まい』と名乗ることとなった──。
とても明白なことだ。
あの“幻影”がなければ、わたしには読者を圧倒させられるような物語など書くことができない。
誰に話したところで到底信じてもらえる訳のないことは分かりきっているから、わたしはこの非常識な体験の全てを自分の胸の内に秘めてしまっている。
わたしは自嘲する。
戻るだけだ、と。
故郷で燻っていたあの日々に。自分の才能の限界に気が付いて、それでもなお一縷の可能性とやらにしがみついていたあの頃に。
そんな苦い情熱の墓場みたいな場所に、わたしは戻って行くだけのことなのだろう。
その前に、これを。
わたしは傍らのバッグに今一度左手を添えた。
「では、また連絡しますね。柊さんも何かあれば遠慮なく」
編集者の自分勝手な熱意を聞かされるだけの不毛な"打ち合わせ"から解放されたわたしは、別れの挨拶もそこそこに駆け足で喫茶店を出た。
一目散に自宅マンションへと帰宅した。
不可思議。不可解。わたしはそんな言葉たちに全身を、そして精神をすっかり絡め取られてしまっている。そうしてそれを痛いほど自分自身が自覚している。だからこそこうしてほじくり返したくもない過去に目を向けようとしているのだ。
幻影の中の少女が何度も口にした、ある女の名前。
カレン。
その少女は男から“ヒナコ”と呼ばれていた。そして──。
──ねぇ、末永くん。もう『カレン』さんのこと、忘れちゃいなよ。
男──末永も確かに口にしていた。
──一年前に死んだ“彼女”の、『カレン』。
ヒナコの幻影はあのアパートから抜け出して、外出先のわたしの前に現れたことすらあった。
──カレンカレンカレン死んだカレンカレンカレン。
少女の声が耳から離れない。
『カレン』が死んだ。死んだのは、あの“花蓮”?
わたしの知っている、あの“花蓮”のことなのだろうか?
気まぐれな幻影たちに向かって、わたしは何度も問いかけた。けれどこの口は、喉は、いつもカラカラに乾いてしまって、そして呂律も回らなかった。うまく彼らに伝えられたことなど一度もなかった。
だからわたしは、わたし自身の書いた、わたしの知っている"花蓮"というクラスメイトについての日記を紐解いて、彼女についての記憶を取り戻そうと思った。
余りにも残酷で後味の悪い記憶を呼び覚ます、とても憂鬱な作業だ。
けれどそれが幻影たちの語った『死んでしまったカレン』とわたしの知っている“花蓮”が同一人物なのかを確かめる、唯一の方法なのだと思っている。
少なくとも、今は。
(中編に続く)
Special thanks to:
Kani様
作者のイメージそのままの、柊まい。
ミステリアスで知的。妖艶さも・・・。素晴らしい挿画をありがとうございます。中編でも魅せてくださっています!!お楽しみに!!
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