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夜空に浮かぶ、六等星
注:これから書かれる文章は、多分にキザで奇をてらっておりますが、執筆している本人・青海空人は、ここ数週間のnoteでの一連の流れを想い、嬉しさに浮足立って、半ば空中浮遊しながら書いていることを念頭に置いて読み進めて下さいませ。
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『月の檻』という短編小説を書いた。
書こうと思ったきっかけは、アセアンそよかぜさんが企画された、「#旅のようなおでかけ」というテーマに参加するためだ。
ずっと、紀行文のようなものを書いてみたかった。旅の記録というか、見知らぬ土地で見聞きしたものごとを、見たまま、聞いたままに文章にしたかったのだ。けれど、そんなに頻繁に旅行に行くわけでもなく、ましてや今のこの世情である。「書きたい」という気持ちだけが漠然とあった。
そんな折、「旅」をテーマに「小説」を書こうという企画を、前述の通りにアセアンそよかぜさんが立ち上げられた。これは絶好の機会だとばかりに、数日間あれやこれやと考えて、仕事中も考えて些細なミスを誘発しつつ、そうして誕生したのが『月の檻』であった。
手前味噌ではなはだ申し訳ないのだけれど、今年、いやこの数年来で一番自分の納得のいく仕上がりになって、愛着のある作品になってくれた。
自分の声で言ってしまえば、「生涯大切にしたい、大好きな作品」が生まれたのだ。
☆ ☆ ☆
この作品が誕生してから2か月弱。『月の檻』を巡って、胸が躍るような出来事が立て続けに起きた。今でも信じられないくらいだ。大げさでなく。
先日掲載させていただいた以下の記事、
rinchanさんが創作された詩を、こ林さんが朗読されていて、このコラボレーションにとてもワクワクした。noteにおいては、こういったコラボレーションは珍しいことではないのかもしれない。けれど僕は、このお二人にしか作りだせなかったであろう偶然の奇跡を感じて、気が付けばキーボードに向かっていた。
こうして僕は、お二人に「出会った」。
☆ ☆ ☆
noteを始めたのが今年の2月からだ。会社の先輩に勧められてのスタートだった。「書くのが好きだったのなら、やめちゃってるの、もったいないよ」の一言が、くすぶっていた僕にガツンと一撃を食らわせてくれた。
とにかく、書いた。
書きたいことを、思いつくままに書いた。
遅筆で、毎日更新なんてとても望めないので、マイペースに書いてきた。
自分勝手にずっとやってきたから、あまり他のクリエイターさんと接することをしてこなかった。だから作品への感想など求められるはずもなく、けれどどこかで「反応」を求めている自分もいて、書いて公開して、悶々として、を繰り返していた。
けれど、「出会い」は僕を創作の次のステージに押し上げてくれた。
こ林さんに、『月の檻』を朗読していただこうと思えたのは、これはとても大きな第一歩だった。人類が月に降り立つことと同じくらいに、自分の中では大きな一歩。
こ林さんは、短編といえどもじっくり読めば30分以上はかかる長さの小説を、最後まで表現してくださった。一字一句漏らさずに、表現の手を緩めずに。
作品が自分の手を離れて、違う色彩を帯びて生まれ変わる様子が、実体験として味わうことが出来た。これは本当に幸せなことで、どうしても小説という媒体は狭い範囲で終始してしまうものだ。それを押し広げてくれるのが、他の媒体とのコラボレーションだ。音、ビジュアルを伴ったとき、物語は初めてその姿を得る。読んで下さった方の心から、羽ばたいていく。
目を閉じれば、登場人物たちが生き生きと動き始める。
こ林さんが、彼らに命を吹き込んでくれたのだ。声という命。僕は「言の葉」という日本語を意識せずにはいられない。言葉には命が宿る。
クライマックスのシーンでは、感極まってしまった。
これが、〝命の宿った〟言葉なのだ。暗喩でも比喩でもなく。
☆ ☆ ☆
「出会い」は続く。
アセアンそよかぜさんの企画に、茉叶☆Makana さんも作品を寄せていた。その折に、僕の作品に目を止めて下さったのだと言う。
茉叶☆Makanaさんは、先日、『月の檻』を読んだ感想を記事にしてくださった。
その中の一文に、目を奪われた。
『月の檻』を読み始めた時、「あっ、私が好きな小説に引きこまれていく感覚だ」と思いました。紙の本ではなく、そしてまだ出版されていない小説では初めてでした。読み進めていくと、自然に情景が私の頭の中で映像化されていきました。
そして、最後も私が好きな終わり方。
何度も何度も読み返した。文字通り、何度もだ。今だって。
この嬉しさは、簡単に言葉にしてしまってはもったいない。
16歳の頃。読書が好きな男子高校生としては恐らく珍しい部類に入るのだろうけれど、吉本ばななや江國香織、そして三浦綾子の小説を読み漁っていた。そうして書いた処女作は、原稿用紙に手書きで書いた。夜遅くまで、安物の万年筆でカリカリ書いた。OLの独身女性が、思い立って海に行く。数人の人と出会って会話をして、再生する。そんな話だった。
誰に読ませる訳ではなく、原稿用紙の束ももうどこかへ行ってしまった。きっともうどこにも無い。
そんな高校生の、初めての小説を書き終えた日に、茉叶☆Makanaさんの感想を読ませたら。そして『月の檻』が目の前に置かれたら。
彼は何て言うんだろう。どう思うんだろう。
自分の事なのに、想像がつかない。けれど、たぶん、笑顔で、「ありがとう」と言うだろう。それから、自分を信じ続けるはずだ。
そんなドラえもんのエピソードみたいなことは起きなかったけれど、今日も僕は文章を書いている。原動力は、決まっている。「出会い」の全てが、僕をキーボードに向かわせてくれているのだ。
☆ ☆ ☆
Aimerというシンガーがいる。
僕は彼女の唄う楽曲が大好きで、数年来、ファンを公言している。
彼女のデビューシングルが、「六等星の夜」だ。その歌詞の中にある次の部分が、特に僕は気に入っている。
こんな小さな星座なのに ココにいたこと気付いてくれて ありがとう
青海空人とその作品は、出会った方々に見つけてもらえた。
そして読んでもらえたことで、自分自身が大きく変われた。書き続けていっていいのかもしれない、なんて微かに思い始めたりもしている。
頭の中には、ずっと思い浮かんでいる情景があって、それを形にするために、僕は書き続けたいと思ってきた。挫折もして、日常に追われて書くことができない日々もあった。生きることが辛くて、読書もやめたことも。
大きな、大きな樹。丘の上に屹立する大樹。コトノハの樹。
そこには「死者」の最期の言葉たちが「金色の葉」を形成している。
その樹にそっと寄り添う、一人の少女。
このイメージを物語にするまで、僕は書くことを諦めない。
見つけてもらえた、小さな小さな「六等星」は、今日もどこかの夜空で瞬いている。微かな光は、確かにそこに、僕のいる証だ。
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改めまして、
アセアンそよかぜさん
rinchanさん
こ林さん
茉叶☆Makanaさん
そして、いつも記事を読んで下さる皆さん。
ありがとうございます。これからも、どうぞよろしくお願い致します。
11月21日 風の強い、よく晴れた日に
青海空人
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