女という性を受け入れ愛して生きてきたけど悔しくて過酷で辛くてたまんない事実も認めてみた、その結果。
女に生まれて
結婚もしてみたし子供も男女一人ずつを産んだ。
多少のPMSはあっても月々生理も順調にあり大きな病気で苦しむこともなかった。
妊娠もつわりも出産も授乳も、しんどいことはあったけど
当時の旦那さんが聴くことといたわることがうますぎて
なんで女ばっかりと思う状況に置かれることもなかった。
習慣性流産という症状で何度も流産も経験したけど
それも、一人で苦しんだことはなかった。
子育てと自分の人生との両立が難しくてすごい悩んだり
人それぞれ女性っていう価値観が違ってしんどい思いをしたりはしたけど
女同士のつながりはいつだって最高だし
メイクは楽しいし髪型も洋服も着物だっていろいろあるし
周りの男子たちは基本的に優しいし
なんか、年とともにいろいろ不具合も出てきたけど
ちょっと、PMSもハードになってきたし病院とのお付き合いも増えたけど
私は女に生まれてこれてよかったなって思いしかなかった。
と、長い間思ってた。
だけどハラの奥底は全然違ってた
女に生まれてきてよかったな、って思いは何もかわってない。
だけど
なんで女の性ってこんなに縛りがあるんだろう、って
悔しくってたまらない。
どうして自分の脳と体がこんなに乖離してるんだろう
脳はこうしたい、こっちがいい、って私の願い叶えようとしてくれてるのに
どうしてこんなに子宮に支配されないといけないんだろう
なんで望まない子宮の動きに自分を合わせないといけないんだろう
体は確かにものすごく大事
だけどなぜそんな大変なことが毎月毎月あるんだろう
なぜそれをご自愛と呼ばれないといけないんだろう
まだ子供のころから月一必ず血液との戦いで
そこに向けてホルモンバランスはくるくるかわり
どんなに不調でも体育の授業はやってくるし
見学望めば「ほかの女子はできてるから成績落とすわ」とかいう教師が必ずいるし
制服が汚れちゃって友達と協力しながら保健室に行ったり
でもそんなときに限って途中で憧れの先輩とすれ違って恥ずかしくてメンタル劇落ちしたりもする
ありとあらゆる試験はこっちの日時におかまいなしにやってくるし
すべての結果につながる日々の行動の中に
あたりまえにしんどい日が含まれていて
薬を常備してるのもほぼ当然で
真夏もクーラーで劇冷えするからカイロ必須で
修学旅行も海水浴もキャンプも子供の運動会も温泉旅行もあたってしまえばいろんなことが気がかりだし汚いトイレにも入らないといけない
なんでそんなことを一生懸命やるのが当たり前なんだろう
人間だから?
女だから?
子供を産む幸せ、産まない幸せ
産む人の葛藤、産まない人の葛藤、産めない人の葛藤
選択肢があるのは幸せだけど
選択肢があるはず、あったはず、
と思うからこそ苦しむこともいっぱいある
そんなに頑張って子宮とともに生きた結果
様々な病気のリスクとともに
今度は更年期がやってきて、子供を産むという選択肢を絶対的に失っていく。
(普通に生きてる場合ね。代理出産とか特殊な場合は除きます)
子供を産めない年齢になって幸せという人もいるし
子供を産めない年齢がやってきて悔し涙する人もいる
一つの可能性が閉じたことに
喜ぶ人もいれば、地団太を踏む人もいる
あくまで自然に子供をもうけることができる場合の話として
男の人は子供作る時間に制限ないのに
若い子と結婚して50過ぎてからパパになれるのに
女の人には時間制限があるんだろう
そして子供をもてない場合
なんで子供を産めないというだけで
女として役に立たないって、どこかで言われないといけないんだろう
人間だから?
女だから?
子供を産んでても
子供を産んでなくても
子宮があってもなくても
全部大変。
なんで女って
こんなに体の構造もそれにかかわる社会での立ち位置も
こんなにめんどくさいの?
いつまで女が子供を産むの?
いつまで女の体を使わないと出産できないの?
人間である以上ずっと?
女に生まれたんだから我慢しなくちゃいけないの?
もう、すごいこじらせてる。笑
こじらせてる意見もいっぱい書いてるけど
なんかもう、女だってだけで生理があってあたりまえで
ラクができない構造になってる体なことを怒っている。
いや、ほんとは
「女なんだからしょうがない」
「これがあるおかげで女はおトクなこともある」
「これも全部ひっくるめて自分の財産」
と思ってきた自分に怒っている、がほんとかな。
自分が自分に噓をつかず、本来の自分に戻っていくと
今まで大丈夫だったものがまっすぐにムリになったり
こんなふうに、どうにも納得いかなくて今更反抗期のようになったりもする。
すごく怒っている。
でもほんとは泣いている
全部つらい。すごく悲しい。
何度も言うけど、わたしは
心から、女に生まれてよかったなぁと思ってる。
それでも、
なんでこんな、子宮に人生支配されなきゃいけないんだろう。
自分に内蔵されてるものが
私の望みを叶えるために共存共栄してくれるんじゃなく
むしろ一方的に邪魔してくるとか辛すぎる。
とも思ってる。
科学や医療の力で何とかならないかと大真面目に思ってたりする。
(ホルモン一定にするとか子宮を卵子みたいに冷凍で預けるとか)
あっためようが食事を変えようがサプリを飲もうが病院行こうが
事態はそんなに変わらなかったし
女の年齢が10年違うだけで人生の可能性や選択肢が違いすぎるのは
ほんとうに納得いかない。
それも全部まるっと含めて人間だよ、女子だよ。
っていう正論が欲しいんじゃない
むしろそれはよくよく分かったうえで言ってる
何の役にも立たなくても
それでも「やっぱり理不尽!」って、わたしは吠えたい。
で、これって実は
老いや寿命、命と魂の話なんだと思う。
魂は元気いっぱいに生きているのに
体という生き物にとことん引っ張られていくことが
理不尽極まりないってこととね、繋がってるんだろうなぁ。
そんなこんなを
気づいたらわたしは友達に話しながらボロ泣きした。
しんどい、辛い、悔しい、嫌だ、ってネガティブパレードを
友達は「わかるよー、わかるよー、いやだよね、腹立つよね」って
よしよし、って聞いてくれた。
はぁぁぁぁ。
溶けていく。
女であることのしんどさも辛さも悔しさも理不尽さも
わかってもらえて、いたわられて消えていく。
深く傷ついてた心も癒えていく。
体のつらさ、心の悔しさ、理不尽な窮屈さにこれ以上耐えたくない涙を
理解してくれて底抜けにやさしい女友達がいっぱいいてくれる。
こういうのって男子に話してわかってもらおうという考えはなくて
(説明はするしいたわってはくれるけど絶対共感しきれないと思うから)
やっぱり、女同士ってすっごい大事。
わたしも優しくし続けていたい。
結論。
一人でできることがどれだけ少ないか
パートナーと二人で越えられると思ってたことに
実はほかの仲間がどれくらい大切か
生きれば生きるほど身に染みるようになっていきます。
体のこともそう、
恋愛やパートナーシップもすごいそう。
ひとりじゃ超えられないし
かといってパートナーと自分だけの密室でも無理。
絶対ほかの人が必要。
女同士の関係性がしっかりある人って底の底から人生うまくまわっていく!
母親とか、姉妹とか女友達や先輩後輩、そういう女子同士の関係性が
ほんっとーにある人はめちゃめちゃ強いんですよ。
今からでも遅くない、女同士でつながろう。
心を開こう、甘えをゆるして、ゆるされよう。
女っていう不安定極まりないものに生まれてきたからこそ
辛すぎて、ひとりじゃ耐えられなくて、パートナーに甘えるのも限界で
”女同士の繋がりっていうかけがえのない【絆】”を
手に入れることができたんだなと、すごく思っている。
過酷な中での絆ってすごいもんね。笑
だから、過酷だって認めることができてほんとによかった。
悲しいって泣けてよかったし
大丈夫って頑張り続けなくてよかった。
我慢して当たり前だと思ってたことを過酷だって認めてみたら
ものすごい優しい絆が待っていた。
悔しいことがなくなるわけじゃないけれど
女に生まれてこの苦しみを持ったからこそ開けた心
このおかげでわたしは相当幸せです。
女に生まれてよかったよー。
※追記があります
気持ちのまま流れるように書いたこの記事の補足的記事です