恋は幻想的で暴力的|『愛がなんだ』
先日立ち寄った古本屋で購入したこちらの本。
映画化されていることも知っていて、前から気になっていたのもあり、読んでみました。
この本、一言で言うと、「マモちゃんのことが大好きなテルちゃんのお話」です。
そう聞くと、なんだか小学生の可愛らしいお話に感じるかもしれませんが、二人はれっきとした大人。しかも三十路です。
女の名前は山田テルコ。そして片思いの相手の男の名前は田中守。
二人は知人を介したパーティーで知り合います。テルちゃんはマモちゃんのことが大好きになり、マモちゃんに尽くします。それもハンパなく。
マモちゃんに呼び出されれば仕事をほったらかして駆けつける、勤務中なのに電話に出るのだって当たり前。ひどいときには、夜中の一時、お風呂に入ってる途中に電話で呼び出され、何にもしていなかったフリをしてお風呂を中断しマモちゃんのもとへ向かったり。挙げ句の果てには、マモちゃんが好きな人と海に行きたいがためセッティングした旅行に埋め合わせで参加する始末。しかも、マモちゃん、マモちゃんの好きな人、テルちゃんの3人で。
ここまでできるのすごいなぁ、って思いますよね。
良く言えば、あきらめない。悪く言えば、往生際が悪い。
ここまでして、当のマモちゃんが少しでも振り向いてくれているのかというと、その気配はゼロ。マモちゃんには途中で好きな人ができて、しばらくほったらかしにされてしまいます。それでも健気にマモちゃんからの連絡を待ち続ける。そしてマモちゃんの気が向いたときに連絡が来る。言ってしまえば、マモちゃんにとってテルちゃんは「都合のいい女」なんです。本当に都合がよすぎると思いますが。(笑)
とにかく、テルちゃんはマモちゃんにゾッコンで、仕事も、同僚も、友達も、そして自分のことさえも、ちゃんと見えていないんです。
読者の私たちからすると、こんなのありえないだろ!目を覚ませ!と言ってやりたくなります。
でもきっと、誰かにこれからの人生委ねてもいいと、自分の全てを捧げてもいいと思える恋って、他者の視点からするとこう映るんだろうな、と思います。
その人の何が好きなのか、説明しろと言われれば言葉にはできない。言ってしまえば”全て”に惹かれている。ちょっとダサい見た目も、女のことをぞんざいに扱う中身も。他人からすると、そんな人のどこがいいの?と思える欠点までもが愛しく思える。自分のことなんて後回しにしてその人にどっぷり浸かっていたくなる。
そんな恋愛をした経験、誰しも一度くらいはあるのではないでしょうか。
テルちゃんは溺れる恋を経験したことのあるひとたちの、いわば集合体みたいなもので、誰にだってテルちゃんになりうる可能性はあるのではないかと思います。
「恋」とか「愛」って、幻想的で、それでいて暴力的で、未知の可能性を秘めていると思うんです。自分の将来も、仕事も、人生において大切だと言われていることさえどうでもよくなってしまう。現実離れしていて空想的な一面。理性を奪い、自らの人生をも破壊してしまう一面。「恋」とは、無限の可能性を持った、とてもきらびやかで、とても恐ろしいものなんですね。
溺れる恋愛をしたことがある人、ぜひ読んでみてほしいです。
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