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これまでの人生
小学校時代
小学校のとき、私は保育園や幼稚園に通わずに幼少期を過してきた、そのため同じ歳の子と関わってなかったのにいきなり小学校に送り込まれた、そのため課題をやってる隣の席の子の書いてるものを書き写した、所謂カンニングをした
家庭訪問の際に親にちくられた、そのことは覚えてるけど前後の記憶が無い
そんなこんなで3年生になったらクラス替えで知らない人だらけでどう接するか分からないまま3年になってしまって、そこら辺で人が怖くなった
色々ありすぎて言えない、というか思い出したくもない小学校中学校時代は黒歴史
間違えなくその時からコミュ障になった
クラスに馴染めずに人と関わることが出来ずに孤立したそれが中学校時代まで続いた
小中学校時代の友人とは連絡とってないし生きてるのか死んでるのかもどうでもいい
そんなの友達とは言えないね笑笑
私の家族
小学校の頃から死にたいなぁとか思ってたでもそんな勇気ないからズル休みしてたら
中学の時に母親にインフルエンザになったら怒られた
マジで意味不明、具合悪くなったらなったでキレられる、人間としての最低最悪です、生きる資格ないだろ、母親に資格なかったバカ女、一生そのことは絶対に忘れないからな
その時に姉がまだ高校生だったので家にいたからまだ心は死んでなかった、インフルエンザになって母親に逆ギレした姉は母親を咎めた
姉には感謝しかない
私のことを本当に大事にしてくれた、でも今は家を出てたので一人ぼっち、家にいることが辛い
母親には頭ごなしにキレられる
父親は放置、どうでもいいとか思ってんだろうな、無関心だったくせに自殺未遂して退院した時には私の日記を勝手に見て、「可哀想」と言われた、話は長いし、
2人は生きる有害だから死んでほしい
死ねばいいのに、好きで家族やってる訳じゃない
アイツらなんて生きる資格なんてないゴミ野郎だよ、私のこと何一つ分かってないくせに知ったかぶりして、そういうのが1番ムカつくし腹立つ、私の大好きな友達を卑下した、許さない
中学校時代
小学校中学校時代は人と関わりたくなかったわけじゃないのに人との接し方がわからなかった、それだけなのに、周りからは白い目で見られた
クラスに居場所なんてなかった
中学2年生の時に興味本位でリストカットした
リストカットしたことは周りにバレなかった
でもいつの間にかやめた
2年生は真っ黒
理科の実験中にクラスの同じ班の女から答えを間違えただけなのに「頭おかしいべ笑笑」って言われた
その班の人達は大嫌いだったから理科の実験は嫌だった
人として有り得ないぜマジで…
それなのによりにもよって嫌いな奴らと班になるし…あーあ😨🤢🤮
なんでこうなるんだろうって思った
3年に上がると比較的マシになった
友達は何人ができた、もう連絡とってないけど
中学の時で1番楽しかった時期でしたね
それでもぼっちは回避出来ませんでしたけど
そんなこんなで高校生になりました
高校生時代
高校生は田舎の方で知り合いどころか同じ中学の人が一人もいなかった、大丈夫かな?と不安になりました
でも隣の子たちと仲良くなって、お弁当を食べてすごく楽しかったです
クラスの友達と部活を初めて先輩方や同じ学年の子達と関わってきて人と関わることが楽しくなってきた
まあでもクラスにはうるさくてウザイ人達が沢山いましたね(--;)
それでも友達が沢山できたので高校の時はとても楽しくて、小中学校の時はズル休みを何回もしたのに高校には行きたいと思うようになった
そんなこんなで3年生になったら就職希望だったので夏休み中にも学校来て履歴書を書いてました
死にものぐるいで受かったところはプログラミングの会社
私は頭が絶望的に悪かったのにプログラマになりたかったという謎のプライドを抱えていた
この時事務にすれば私の人生こんなふうにならなかった。自殺未遂なんてしなかった
事前研修で天と地の差があることを突きつけられて、会社に辞退の電話をした
そこから私の人生が狂いました
???
仕事をみつけようとするも得体の知れない恐怖で応募することすら出来なかった、ただネットの求人を眺めて、死んだように生きる日々
親にご飯作ってもらってお金を出させて、生きていくのが辛くなっていった
ある日からご飯をまともに食べられなくなって一口食べて吐く事や個人情報が漏れて社会的に死ぬとか思うようになって、あらゆるアカウントを消しまくった
そんなことが何日も続いて、とうとう親に「心療内科に行ったら?」と言われた
私はそれを言われる前に精神科に行こうとしたけどバレたらどうしようと思って言えなかった
アイツらは頭が昭和なので心を病んだら甘えとかいう奴らだと思ってた
そこで街中にある心療内科に電話し行ったがそこは薬処方するだけで話を聞いてくれる訳でもなかった、ただ薬のことを聞いて出すだけ
色んな心療内科に電話したが予約が埋まってて1ヶ月ぐらい間が空いたりしてた
街中の心療内科に行けば毎回街に行けるじゃん!と思って街中の心療内科にした
近くに予約無しで行けれる精神科があったのは自殺未遂した後に知った
交通費はかかる、一言二言で終わるのに2000円以上かかる、その上に薬もお金がかかる
段々と死ぬことを意識するようになった
親に話しても話を遮られて、私のことは何一つ分かってなかった、知ろうとしなかった
そんな両親に失望した
友達や姉に相談したり、会ったりもしたがそれでも解決には至らなかった
周りの人達はわかってくれない、心療内科の先生は薬処方するだけで終わってその上着信拒否された
私の周りは敵だらけ、遠回しに死ねと言われてる感じがして、どこにも居場所がない
私の心は死んでしまった
2021年の9月末に私は自宅の3階から飛び降り自殺を図った
飛び降り自殺未遂
目を覚ましたらベッドの上だった
見知らぬ天井、まるでドラマのワンシーンみたいだった、私の体は悲惨な状態だった
左足は開放骨折、右足は複雑骨折、頭はくも膜下出血で頭蓋骨の一部が人工骨になった、脊椎骨折して背中と腰と足にたくさん金具が嵌められた
腕は無傷だったのは不幸中の幸い、スマホが触れた
入院中に会った看護師さんや療法士さんや先生方は優しい人ばかりだった
詳しい話はこちらから⤵︎
https://note.com/sora_wing/n/n0fc1b7624bf6
退院してから
退院して憎いアイツらがいる狭い家に戻ってきてしまった
もう生きたくないけど身体は生きてるから強制的に生かされる
それでも友達やsnsのフォロワーさんたちに支えられてくれました、この場でお礼を
ありがとう!!!大好きだよ!!!
嫌いな奴らと狭い家で過ごす日々は気が狂いそうになる、自分のことを棚に上げて全部私のせいにされる
もう生きたくない、何もかもどうでもいい、疲れた
積み重なった小さなモヤモヤが積もって爆発して悪い事になって、おかしくなって
今すぐ殺してくれ、事故とかで死ねないかなって毎時間思うようになってる
今までの人生を振り返ってみましたが、思い出したくもない黒歴史を思い出してしまった( ̄▽ ̄;)
すっごいまとまりの話になりましたけど
ここまで読んでくれてありがとうございました。