国際教育協力
昨日参加したEDU-Portの「今後の国際教育協力への期待」というシンポジウムでの学びをまとめる。
開催プログラム順に学びを振り返り、さらに全体を通した発見や視野の広がりについて記したい。
JICAの教育協力とEDU-Portへの期待
海外で活動して学んだことを日本にどのように還元できるかという課題がとても印象的だった。そもそも国際"協力”というくらいだから、一方的な支援でなく互いに学びがなければならないだろう。しかし私のこれまでの経験では、講演会やポスターを通して他国の状況を知らせるというところに留まってしまっていたように思う。
また全ての活動をODAがするのではなく、民間にもできること民間にこそできることを見極めていく必要があるという点にとても共感した。規模は違えど、日本国内の教育について考えてみたときに不登校や貧困による教育格差の問題に対して国レベルでの対応だけでなく民間の有志の方々が活動している事例も多々ある。すなわち完全に分担するというよりも、一つの課題に対して複数レベルでのアプローチが必要なのではないかということだ。
エジプトでの特活の国際化と質保証
掃除や日直、係活動などいわゆる教科学習以外の学びである特活(特別活動)は海外では当たり前ではない。掃除は業者によって行われていたり、学級会などの話し合いの場がなく常に教師主導であったりすることが多いそうだ。しかし昨今話題の非認知能力を育てるためにも特別活動が重要なのは言うまでもない。集団の中での振舞や人間関係を学んだりすることは将来社会に出ていくうえで大切な力になるだろう。特活を取り入れたエジプトの学校では子供たち自らが特活の存在意義を認識しているそうだ。単に特活をこなしている日本の子供にも見習わせたいという話は最もだと思った。
また特活は教科書などが存在しないことから、現地の教員に導入してもらうことが難しいという話も印象的だった。今日の日本で必修化された探求学習も、ある大学の調査によれば教員の8割以上が指導に苦労しているという課題があった。このようにそれぞれの地域や学校によって必ずしも同じ指導ができない内容に対応できる教員の養成はどの国でも必要になってくるかもしれないと思った。
日本型音楽教育の海外展開
演奏など音楽そのものだけでなく楽器の手入れなどを通して物の扱い方を学んだ子供の話が印象に残った。よくスポーツ選手が道具の手入れをとても大切にしているという話を目にするが、このようなことは教科書の文字からではなく実際に体験しなければその大切さに気付くことが難しいと思う。音楽教育をきっかけに実体験の伴う学びが増えていってほしいと感じた。
一方で各国の伝統音楽とリコーダーのような西洋音楽の関係性については考えていかなければならないと感じた。日本の学校教育において日本の伝統音楽に触れる機会は非常に少なく、民謡など地域特有の音楽は地元のお祭りなどでしか触れる機会がなくなっているのが現状だと思う。国際協力は相手国の歴史や文化を踏まえていかなければ既存の文化はますます危機にさらされて行ってしまうだろう。
カンボジアでの学校保健室とデータ管理
日本では保健室や健康診断のおかげで当たり前のように健康な状態で学校での学びに参加できる。さらに養護教諭でなくても基本的な健康に関する知識を教師誰もが持っている。しかしカンボジアでは以前、教員養成課程において保健に関する講義は2コマのみで養護教諭もいないという状況だったそうだ。この背景には学校の授業が午前中のみで保健体育や芸術科目の時間が取れないというカンボジアの課題が見えてきた。
最近ではカウンセラーのような精神面の支援体制も整備されつつあると聞き感心した。ただ養護教諭のような存在を担っているのは子育てを経験した女性や退職した教員などでこれから改善していく必要のある課題もあるようだ。
パネルディスカッション
最終決定権を現地の人にゆだねることと活動の持続性についての2点が特に興味深かった。1点目については、言うは易し行うは難しという言葉がぴったりだと思う。それまでとは異なる教育観や教育内容を届けることを試みるうえで現地の人々にある程度の反発や葛藤が生じるのは当然のことだろう。人間は自分とは違うものを本能的に恐れる傾向にある。だからこそ現地の人との信頼関係を構築することが大切なのだと改めて思えた。2つ目については、私が高校時代に国際交流を企画した時に身をもって実感したことだ。そもそも実現することにかなりのハードルがあるのにそれを再び行うためにはメンタル面でも相当なエネルギーが求められる。それが国家間の規模にもなれば継続が難しいことは言うまでもない。ただ協力から始まった取り組みがその国に根付いていくためには、現地の人が現地の人を育てていく体制が必要だ。
感想
今回のシンポジウムで最も私の価値観を揺さぶったのは「日本の教育の良いところも”悪いところも”世界に発信していこう」という話だ。これまでの国際教育協力に対するイメージは、それぞれの国の強みを持ち寄ってより質の高い教育を実現しようという姿勢が強かったように思う。しかしエジプトでの特活の研究では日本のような同調圧力がないばかりか活動の目的を子供たちが言葉にしているという事例が紹介されていた。このことの文化的背景などを明らかにすることができれば日本の特活の形式化という状況の改善にもつながるかもしれない。また不登校のように日本で深刻化している課題についてそれを隠すのではなく、世界に発信しフィードバックをもらうことで改善できるかもしれないということだ。また国際関係については全く詳しくないが、心理学では自分の弱みを見せることで親近感が生まれて心の距離が縮むことがあるように国際協力においても同様のことが有効なのだろうかと疑問に思った。
また日本にも言えることだが教育改革は現場の教師に計り知れない負担をもたらし兼ねないことは念頭に置いておく必要があると思った。実際日本ではICT機器の活用の技術がなく十分に機能していなかったり、探求学習で学校外との連携の必要が出てきたりしている。教師にとってのメリットや成長が示されていない状況下での教育改革は非常に苦しいだろう。教育について考えていくうえで実践者である教師の声をどのように汲み取っていくのかがとても大切だと考えている。
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