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20210930 見たままのイメージで撮ることとその対極にあるものについての考察

夕方、ベランダに出て洗濯物を取り入れるとき、カメラを持って出るというのは続いている。
この1年半の間、天気が良ければ洗濯物をベランダに干すことになるのは当然のことなのだけど、その際にカメラを持って出ることはそれ以前と比べたら明らかに増えている。
そうすると、洗濯物を干す時と取り入れる時と、一日に二回ベランダに出る。
毎日、季節が移ろっていけば、当然ながら太陽の位置も変わってくる。
我が家のベランダは西向きにあるので、夕方に洗濯物を取り入れる時には、太陽が沈みかけるような状況ということになってくる。

夕焼け空を撮ってみたり、日が沈んだあとのマジックアワーと言われるタイミングで撮ってみたり。
色々とするのだけれども、やっぱり夕方の西向きの空を撮影するのは、とても難しいなぁと感じることが多い。

というのも、太陽というとてつもなく明るい光源があって、そしてそれによって出来るとてつもなく暗い影が出来ている。
ものすごくコントラストの幅が大きい。
肉眼で見えているように撮ることができればなぁなんて思うけれども、カメラはそういうことが出来ない。
光を捉えることの出来る幅というのが、カメラによって決まっているから。

だから、カメラを持って外に出て、撮影すればするほど難しいなぁと感じることが多くなってきた。

昨日の夕方、日が沈む前にベランダに出て洗濯物を取り入れた際、カメラを持って外の風景を撮ってみた。
持って出たカメラはNikonのD40X。
そうすると、露出はどうも明るめになってしまう。

画像1

ISO400、f/3.5、1/30sで撮影されている。
実際の見た目よりもかなり明るく感じるので、見た目と同じくらいになるのはどれくらいなのだろう?と思って、露出補正を1/3段ずつ下げていった。

画像2

1/3段下げて撮影したもの。f/3.5 1/40s

画像3

2/3段下げて撮影したもの。f/3.5 1/50s

画像4

1段下げて撮影したもの。f/4 1/60s

1段下げて撮影したものが、一番見た目と同じ感じ。
CCDセンサーは暗いところが苦手なのは間違いないとは思うのだけど、それでもこれくらいのノイズはどうって事無い感じがする。
ましてやJPEG撮って出しで、RAWと同時記録のためにこのJPEGは一番圧縮されているものだから、そりゃノイズも目立つと言えば目立つ。
それでも、自分が見えているものに近い状態を撮りたいという狙いには、一番近い状況ではある。

カメラを使って撮影するとき、カメラが生み出す画像の美しさに見とれるような、そんなものを期待することもあるのだろうが、自分の場合はどちらかというと見たままを撮影したいと思うようなことの方が多いのかもしれない。
カメラは、人の目とは違うので当然ながら同じようには撮ることができないし、ましてやレンズの性能や撮像素子の性能、撮影した画像を処理するプログラムによって出てくるものも当然違ってくるのはわかっている。

しかしながら、自分の場合、見たままのイメージで撮ることができる方が好きだというのがこの頃わかってきた。
たくさん撮ることで、自分の好みというのが見えてきたのかもしれない。

だからではないけど、その反動からかモノクロというものが最近とても魅力的に感じるようになってきた。
それは、すでに色というものを取り除くことにより、見たものとは違う世界がそこにあるから。
最近、モノクロフィルムで撮影することがとても楽しかったり、デジカメでもわざとモノクロで撮影する事が楽しいと感じるのは、そうしたところがあるからかもしれない。

両方あって良いんだと思う。
そして、両方を楽しむことが出来れば良いのだとも思う。
今の世の中、デジタルとアナログ、カラーとモノクロ、技術的に過渡期であるがために両方の世界が存在している贅沢な時代なのかもしれない。
もうすぐ、あと10年から20年の間には、それこそアナログなフィルムというのが普通には手に入らなくなってしまうのかもしれない。
今も既にそうなってきているが、フィルムで撮影する事がとても贅沢なものへと移り変わってしまうだろう。
だからこそ、その両方を味わうことができるのだから、良い時代なのだろう。

電子制御のフィルムカメラは、そのうち電子部品の寿命が来ることで使えなくなる時期が、きっとすぐにやってくる。
電子部品の入っていないカメラが、実は今後のフィルムカメラの世界の中心に戻る。
ロストテクノロジーの時代がすぐそこにやってきている。
それもまた、面白く感じずにはいられない。

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