20210308 自分が撮った写真を見て感じること・・・感覚というものはものすごくあやふやなもの(文脈効果)
ほぼ毎日、カメラを持ち出して何かとシャッターを切っている方だと思う。
最近は、iPhoneのカメラを使うということがほとんどなくなった。
画像としては、フィルムのカメラやデジカメの方が好みだったりするから。
自分の場合、カメラそのものが好きなところもある。
そして、シャッターを切るという行為自体が好きなところもある。
ところが、シャッターを切ったものを人に見せるとか作品にするとかという意識が全くない。
写真を通して何かを伝えたいということでもない。
どちらかというと、シャッターを切っている自分の内面に向き合っているような気がする。
シャッターを切る瞬間に、自分がその空間に居たというのを切り取っている感じと言ったら良いだろうか。
一人遊びの世界なのだろう。
完全に自己満足の世界なのかもしれない。
だから、上達しないのかもしれないけれど。
上達するかしないか、そこに興味があるとしたら、カメラや道具の性能を引き出して、使いこなすことができることに興味がある感じでもある。
道具の使い方を知らないことで、スキルに制限がある状態。
ただし自分の場合、あれこれ考え出すようになるのかもしれないからこそ、コンパクトカメラやアナログのカメラに興味ばかり向くのかもしれない。
機能が制限されているということがわかっているからこそ、レンズを向ける対象を切り取っておきたいということに気が向くわけで。
定点観測をするのは、その場所の定点観測をしているのではなく、そのときの自分の状態を定点観測している感じといったほうがぴったりくるような気がする。
シャッターを切ろうとするときに、どんな道具をチョイスしているか。
それによっても、自分の内面が映し出されている感じがしないでもない。
だから、撮影したものを後々見直したときに、ホントに様々な感情が出てくる。
そして、だからこそ自分の感覚のあやふやさに気付くことになる。
撮影した時期は違うけれど、同じ対象を違うカメラ、違うフォーマットで撮影してみたものを見比べてみた。
上は、オリンパスペンEE2にネオパンプレスト400を入れて撮影したもの。
下は、Canon PowerShot SX100ISで、BWモードにして撮影したもの。
オリンパスペンEE2で撮影したものは、フィルムだし、ISO400のフィルムを使っているし、ハーフサイズということもあって、粒状性がかなり目立って、下のPowerShotで撮影したものと比べると、ものすごくあれた画像になっていると感じる。
ただし、こうやって並べるとオリンパスペンEE2で撮影したものの方が、なんだかぐっとくる。
完全に感覚の問題。
「ハーフサイズのカメラでも、すごく実力があるぞ」なんていう感情も出てくる。
ところが、画像の比較を変えてみると、同じ画像を見ていても印象は変わる。
これは、全く同じ日の同じ時間帯にPowerShot SX100ISで撮影したもの。
モードがBWかノーマルかの違いだけ。
こうして並べると、わざとカメラを白黒にした自分というのがそこに居て、それが面白いと感じていた感情が思い出されることになる。
カラーで得られる情報をあえて省くことで、どんな風に見えるのかが楽しいと感じている自分が居る。
しかも、デジタルカメラとしてはものすごく古い部類に入るカメラで撮ったもの。
最新のデジカメではない.
センサーサイズも小さい。
800万画素しかない。
でも、よく写っているじゃないか。
そんな風に感じる。
こういうのを「文脈効果」っていうんだろうな。