生きる価値などないまま生きてます(4000文字読む価値は多分無い)
申し訳ない
また
クソなこと書いてるだけなので
読まない方が無難です
どうにも暇すぎて死にそうな方のみご覧下さい
ほんと
いい加減にしなよ思うことしかかいてないっす
でもずっとこのテーマは私から離れません
きっとこの人生の終わる時まで続くので
時折こうして出してしまわないと
いつ突然自ら終わらせてしまうかも危うい
ギリギリなところで生きてます
そう
私は妊娠したことすら気付かれなかった存在
生きる価値なんて産まれる前からなかった
産まれてくることすら許されなかった
実際にこうしてもう50年近くも生きているけれど
どうしたってその価値は見い出せないまま生きてる
オギャーとこの世界に存在して
ため息をつかれ
飲ませなきゃ死んでしまうと粉ミルクを仕方なしに作り飲ませる大人たちに育てられ
物心着いた頃には、人として最低限の身だしなみや教養や衣食は与えられたがそれ以外は特になく
住に関しては転々としていた
母親は身体も弱く精神も弱く
病気で入院してるか、アル中で酔いつぶれてるから、たまにまともにしてたと思うと無理して身体壊してまた入院して…という
全ては私を産んでしまったのが原因だと
ずっと信じていたしそうだったのだろう
いつだったか、「お前を産んでよかった幸せだった」と話をしてくれたことがあったが、それすらたったの1度だけだった。あるだけマシだった…
のかな?
私は母親にもっと酷いことを言ったことがある
まぁあの人はそんな事すらすぐ忘れただろうが
死に様はあっけなかった
夕方にうたた寝したまま逝ったようなので
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
時に
ミュージカル刀剣乱舞を観ていると
それぞれのまだ顕現したての刀剣男士が
人としての肉体の扱いや
心情の扱いについて難しいがひとつひとつクリアしていくような話が出てくるのだが
私はまるでそこにハマってしまう事に気が付いたのは最初は勘違いだと思っていたし、うつ病が再発してるんだろうなくらいに思っていて、俗に言うメンヘラなだけなんだと思ってた
今でもそうだと思いたい
その方が楽しそうでとてもいいと憧れる
そうじゃないから厄介だ
なんでだよ、なんで私だけ違うんだよ
と思う
私は泣くことを知らなかった
泣くという行動はできたが
その感情がどういうものなのか
この歳になってやっとわかってきた気がする
笑うことも何故笑っていたのか
怒ることは困るからだったし
嫌いなものは生理的に受け付けないだけ
我が子に「そんなこといちいち考えて生きてんのはあんただけだよ」と言われるほどなので
相当世の中と隔たりがあるのだろうね
だから、友達が居ないんだけど
こういう事書くから嫌い
ほんと嫌い
大嫌い
生きる価値のない人間なんていない!
とよく言うけれど
そうでも無いと思ってる
私なんかいい例だと思う
誰からも嫌われるようなことしかしない
誰とも関わりたがらない
楽しめない
地獄かここは…
地獄の底から書いてます
この発狂しそうな心情のまま
こうして40年以上生きてますが
きっと普通ならそんなこと考えてる暇もないほど管理された時間のシステムの中で翻弄されて命を費やし生きることが多いのだろうな…と、ひとりこんなことをのらりくらり書いていられる時間を持つ事のできるその置かれた立場のありがたさに感謝なのですが…
きっと、僧侶が修行する間に気付いたり
気付かされたりするようなことを
1人知らぬ間にコツコツと続けているのが私で
私の生きる意味はそれそのものだと
嫌だと言っても付きまとうことなので
もし、私が、"ミュージカル刀剣乱舞"に出会っていなかったらこんなふうに書くこともなかったろうし、きっともう生きていないだろうと思う
というくらい、私の伴奏者のようになっている作品なのですが、最初はただのミーハーから始まったのです。が…
と
読み返してたらこれが流れた…
どんなタイミングだよ
人なんて立場を持たなけりゃ生きる価値も見いだせないチンケな生きもので
野生動物達からしてみればなんて怠けた生き物なのだろうと思うのです
野生動物はその日生きるために必死です
人くらいです
明日の楽しみや未来への希望を思い描いて生きてるのは。
え?ただの作品だろ?なんでそんな人生論とか生きる意味とか考えるようなことになるんだ?って疑問に思うでしょうが、冒頭に書いた"私の生い立ち"を知れば納得されるかと思います。
それで分からないのであれば、きっと永遠に分からないし理解できないと思います
言いきれます
もっと酷い人生を生きてる人も沢山いることでしょう。私はかなり運の良さだけでここまで生きてこられたのは紛れもない事実なので。
その運の良さにプラスアルファされた亡き祖母や母から教えられた知恵を上手いこと扱えた私だから、今こうして生きていられるんだろうね
勉強は出来ないけどそういうことだけは得意だったりしている
先日
"中島鉄砲火薬店"という〈伊藤栄之進作演出〉の舞台を観ました。
主人公は"新選組の中島登"という人物
新選組の勇士たちが没した後の"中島登"という人の人生が描かれた作品(多分あってるはず)でしたが
私の目線から見ると「単に運が良かった人」であり、「死んで行った仲間から託された命の中で生きた人」の話だったのですが、その「単に運が良かった人」というのが私と重なる部分だったので、この話を観ることになるのもなにかの導きだったのだろうなと、あの舞台を見た人の中でここまで何かを考えたり思ったりした人は少ないんではないだろうか?とちょっと優越感もあったりします。(ほんとこういうところ無い方が生きやすいだろうね。私の1番よろしくないところですよ)
《生きる意味》そんなものは必要ないと、養老孟司先生や著名人の方に言われがちですが意味や理由は必ずあるはずで、ないと言えるような人達は何かしらもう既に形にしてしまってる人ばかりなのでそんなこと言えるんだと思うのです
私はまだその途中というより何も形に出来ないまま生きて生きて生きて考えて考えて感じて感じて終わっていくんだろうと言うのが正直なところ。
せめてこのような場所で書くくらい許されるよな?と、誰に読んでもらうためでもなくかいているのですが。
書くんです。ずっと。
多分なにか形にできたあとも
肩書きや経歴が残せたとしても
この書くことだけは辞めないでしょう
終わりの時が来るまでは
まだまだ終わらせたくない人生なので
まだまだ書き続けます
うっとおしいやつなんです
ほんと中身なんてないことをこうしてのらりくらりずっとずっと書いてるんですから
生産性皆無
誰からの共感も得られないまま
書いています
書きます
書き続けます
嫌われてるのは分かってます
ほんの数人の私を面白がってくださる人が
今の私を支えてくれています
(あ、刀ミュもあるけどね)
もし、未来のどこかでこの私の書いたものが
誰かに読まれ、その時に抱えてるなにかの答えを見付けるヒントになればいいななんて思ったりもしつつ、そんなことどうでもいい。ただのストレス解消に世の中への八つ当たりで書いてるだけってのが正直なところなのだろうけど
それにしたって
なんだって刀剣男士のそれぞれを見ていて腹の底ほじくり返されるのかね
脚本書いてる人(上に出てくる作品書いたのと同じ人)のことが未だに理解できないししたくてもできないししたところで自分の腹の底をほじくり返されるのは変わらないんだけど(そんなことしてくれるなよ作品だけ観てくれよと脚本家に怒られるやつだね)
作品を観なくなったらそれも止まるのだろうか?
なんて野暮な疑問は持つだけ無駄
観なくなる前に観たものを反芻してぐるぐる続けるだけだからね。
また、別な何かで繰り返すのは確実だし。
ほんとなんなんだろう?
あのもじゃもじゃ頭のいつも茶色っぽい服ばかり着てる脚本家は…
毎週話を聞く度に到底なにか言い返すことすら困難だと思えるようなそんなのらりくらりの代表みたいな人なのに、芯にあるあの強さはここまでの作品を書き出してしまえるだけの知能と才能って才能という言葉は絶対使いたくないんだけどそれしか言いようが見つからないんだよな。
あのもじゃもじゃ頭の脚本家の運の良さはあの業界でも類を見ないものだろう…他を知らないから真実の程は知らないけれど。
だからこそ唯一無二なんだけど。
だから、もし嫌われてようと話を聞きたくなるんだけど。
あの脚本家の書いた作品を見たくなるんだけど。
(東京喰種だけは生理的に受け付けないから観れないけど)
私が何を書いて届けたとしてもあの人には何も刺さらないし、きっと私の書くような言葉は暖簾に腕押し糠に釘と思うから何も書いて出さないけど。
それに対する八つ当たりもコミコミでここに書きなぐるんだろうけれど。私は。
誰に話してもへぇーそうなんだだもんね多分。
あぁ、そうそう。そうだった
私は生きてるだけでいい存在だから
書いて誰かに読ませるなんておこがましい事で
読んでくれよ!などと読む人の人生の時間を奪うような権利は持ち合わせていなかったんだよな
また、同じ繰り返し
やっちまった…ごめんちゃいm(_ _)m
こんなに長くこんなこと書くなんて狂ってる
でも、
書かずにいられない感じなので書いてます
書き終えようとしたところに流れる曲がこれかい
ほんと
わし
うっせぇわ
だし
世の中もうっせぇわ
頭の出来が違うので問題無し!
なんてな…笑
とにかく
そういうことだ
まだまだ生きますきっと
読み返し書き足し書き直し
もう1時間以上こことにらめっこしてます
ばかだねほんと
もう4000文字になるよ…
なんの意味がある?
え?
ここまで読んでしまったのですか?
貴重なお時間いただきありがとうございました
ごめんなさいね
こんなもの読ませてしまって
🍀感謝🍀