厳しい世の中で、優しさを数える
言葉の暴力でガツンとやられた瞬間は、自己肯定感を守っている砦が簡単に破られる。
決壊だ。
そんな瞬間は決まって呼吸が浅くなって、少しだけ涙が出そうになる。
そういう日があった。
社会人をしていると、「世の中は優しいもの」というよりも、「世の中は厳しいもの」と教わることが多い気がしている。
ただ、教わる厳しさの種類もたくさんあって。
仕事がうまくいかない厳しさもあれば、言葉の暴力で傷つけられるような厳しさもある。
前者はまだ良い。
改善点を自分なりに探していけば、今以上を打ち出すことができるから。
でも後者はどうだろう。
なにをすれば良いんだろう。どうすれば良いだろう。
「結果で示せば誰も何も言わなくなる」
そう教えてくれたのは、前職でお世話になった先輩だ。
先輩が僕くらいのころ、同じようなことがあったらしい。
「泣いたって良いんだ。理不尽だとも思う。でも、そこで立ち上がれたからこそ、今の俺があると思っている。大丈夫だよ、お前なら」
厳しい世の中だからこそ、こういう強い優しさに救われる。
そうだ、結果で示そう。
このまま言われっぱなしのやられっぱなしは悔しい。
先輩はこうも言っていた。
「たしかに社会人は厳しいことのほうが多い。でもだからこそ、優しくされたことを忘れるなよ。ネガティブなことは自然と印象に残りやすいから、ポジティブなことは積極的に覚えておくんだ」
厳しい世の中だからこそ、優しさを数える。
言葉の暴力を受けてから、どんな優しさがあっただろうか。
そうだ、先輩が時間を作って話を聞いてくれた。「今日は俺の奢りだ」と言って、ご馳走もしてくれた。
あとは、仕事で疲れているはずなのに、彼女が家で待っていてくれた。飲み会終わりで遅い時間だったのに、嫌な顔ひとつせず迎えてくれた。
大丈夫、世の中はきっと厳しいことだけじゃない。
受けた厳しさは結果で見せつける。
もらった優しさは誰かに還元する。
僕はそうやって世界を回したい。
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