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【感想】すずめの戸締まり 感想と考察(草鈴風味)

・映画『すずめの戸締まり』、並びに関連コンテンツのネタバレを含みます。
・草鈴推しが書いています。

 すずめの戸締まり、公開1か月経過おめでとうございます!
 映画が気になる方は大体映画館に足を運んだ頃かと思うので、もうそろそろ大丈夫かなと思い感想文をまとめました。
 この記事は、前情報なしに初見で映画を観た後の<1度目>の感想および考察と、小説版等の関連コンテンツに目を通した上で再度映画を観た後の<2度目>の感想および考察に大きく分かれています。
 初見で観たときにしか感じることのできない新鮮な気持ちってあると思うので、あえて独立させました。2度目以降の項目は、思ってもみなかった沼にいきなり首まで浸かることになった人間の最後の呻きです。
 気が付いたら1万4千字とか訳わからない文字数になっていたので、流石に目次を付けました。興味のある部分に飛んで、適当に読んでいただければ幸いです。
 また、この記事は映画を観た結果、沼にはまり気付いたら草鈴を推していた人間が書いています。全体的に鈴芽と草太の話が多いのと、どうしても二人をペアで捉えてしまっている部分がありますので、その辺は諸々ご了承ください。



<1度目>の感想および考察

はじめに・そもそも観に行った経緯

 公開から大体1週間が経ったころに1回目を観ました。
 映画を観に行こうと決心したきっかけは、公開記念で地上波放送された『君の名は。』で冒頭12分の映像が流れたのを偶然視聴したからですね。あの冒頭12分を劇場公開前に流したのは本当に英断だったと思う。
 物語の冒頭って大事だけどまさにそれで、あの冒頭に引き込まれて物語の結末が気になったから、映画館まで足を運んでしまった訳です。
 このご時世どうこう以前に、そもそも映画館に定期的に通うタイプではなく、観たとしても最近は単館系の映画ばかりを観ていました。新海監督作品も熱心に全て追っているわけでもない。そんな映画に疎いタイプを、この作品を観に行こうと映画館に足を運ばせるだけの引力があの冒頭にはあった。

作品全体としての感想

 行動力ある女子高生と声の良いコミカルな椅子の戸締まり道中って感じで、山あり谷ありしつつも期待通りの安定した面白さを味わえました。鈴芽の幼少期くらいしか事前に伏せられてる情報がないから、『君の名は。』みたいなトリックとかドンデン返しとかはないですが、少なくとも退屈な展開はない。
 ただ、2011年に起きた出来事が展開の鍵としてかなり直接的な形で取り扱われているから、まだフィクションとして切り離して捉えられない人には、観るのがしんどい内容だとも思いました。年代によってはとても難しい題材ですね。
 公開早々に行ったこともあり、入場者プレゼントで新海誠本を貰えたのですが、これプレゼントで本当に配って良いのかってくらいハイクオリティな内容でした。すごい太っ腹! 企画文章とか載っててかなり読み応えあった。
 本編は鈴芽と草太の関係性がきちんと良い形で収まって本当に良かった……ハピエン至上主義なので……。二人のハッピーなその後が垣間見えるアフターストーリーが観たいですお願いしますちょっとで、ちょっとで良いので!!! あの後の二人を!!! 必死。
 過不足なく一本の映画としてきちんとまとまっている印象だったので、円盤になったら購入してしばしば観たいくらいにはよかった、ただ災厄の演出がちょっとしんどい部分ではあるな。
 次は、キャラクターに対する感想です。

鈴芽について

 タイトルロール! 結局のところ、全て彼女が始めた物語だったということかなって感じます。卵が先か鶏が先か、幼い彼女に椅子を渡すために要石を元に戻す過程を要したのか、要石を元に戻すために幼い彼女に椅子を渡す過程を要したのか。この一連の物語は彼女を因果の中心に起こるべくして起こり、なるべくしてなったお話だったのかもという印象を受けました。
 一生大事にすると母に言った椅子は、常世で過去と未来を繋ぎ合わせる、本当に永遠になったのだな……と感慨深くもなった。
 出会った時に草太に惹かれたのも、過去に出会っていたというある意味ハウルの動く城的展開なのだと思うけど、常世で会った成長した自分自身が、髪も解けてるし草太の靴履いて上着羽織ってるしで、なんとなく姿が似ていたというのも要因なのかな。
 後ろ戸を開け放ってしまったり要石を抜いてしまったり、序盤の行動が迂闊〜〜〜とは思うけれど、自分でそのツケをきちんと支払っている辺り、やっぱりヒロインではなく主人公ムーブなんだよなあ。
 福岡→神戸辺りの珍道中も面白かったけれど、東京で草太を要石として刺して後ろ戸を締めた辺りからの覚悟決まったムーブが超イケメンでした。もう一度東京の後ろ戸を開けますって草太の祖父に啖呵きる心の強さよ……。
 幼いすずめに、あなたは光の中で大人になるのと言ったシーンもすごく良かった。あと、鈴芽の口付けで草太が目覚める展開が本当に好き。要石となった草太視点で扉を開き迎えに来た鈴芽ちゃんも好き。愛だなあ!

草太について

 声の良い椅子。大分椅子成分多かったね。
 彼も結構不用意というか、まあ状況が状況なのでなりふり構ってられないのでしょうけれども、君はもう少し椅子としての自覚を持とうねってなりました。子猫が爆走するのは良いけど椅子が爆走するのは良くねえんだよな〜〜〜!
 椅子としての自覚はないけど椅子の身体に馴染むのが早すぎる。ただ、馴染んだとしても幼児用椅子の挙動と機動力じゃねえだろ幼児用椅子にそんなポテンシャルあってたまるか……ってずっと思いながら観ていました。
 割と周囲の目を気にしないというか、うっかりさん感ある。後は自分で戸締まりするって颯爽と飛び出して鍵掛けられないことに愕然とするとか、多分もうちょい前に気付くタイミングあったよね???
 鈴芽ちゃんではなく、鈴芽さんという呼び方なのが良いな……高潔というか何というか、呼び方一つとっても感じる閉じ師として鈴芽を巻き込みたくないという意識は、一連の出来事を経ても本質として変わっていなさそう。でも、要石となってしまった自分を現世に戻してくれた大事な女の子として鈴芽の事はきちんと認識したのでしょうから、本当の意味での二人の関係性はこれから始まっていくのでしょうね。
 鈴芽ちゃんの「おかえり」ってのも最高だった。閉じ師として津々浦々する彼の帰る場所になっていってほしい。家業にこれ以上ないほど理解のある嫁になるのでは? 今更遠ざけるのは無理でしょお互いに。
 あと、椅子になった彼の眠りの深さやなかなか起きない寝起きの悪さは緩やかに要石となり現世から離れていく過程からくるものなのでしょうけれども、寝相の悪さは生来のものなの??? もし生来のものだとしたら、単なる妄想なんですけど、草鈴同衾展開になった場合、朝とんでもないフォーメーションで起きる可能性が生まれてしまう。

芹澤朋也……

 もうフルネームで書きます。おまえが今作のMVPだよまじで。一般通過友人くらいの出番なのかと思ったら、とんでもねえカンフル剤でした。あのどシリアスな空気感でルージュの伝言流す???
 芹澤と行く東北移動道中が作中で一番面白かったしずっと笑ってた。一向にドアを開けるという挙動をしない女子高生とその叔母を東北まで乗せていく男気がすごい。でも中古のオープンカーは天井閉まりきらないし、雨降ってくるし、選曲がいちいち面白いし、でけー猫増えてもふわっと受け入れるし、道の駅の後の選曲が「けんかをやめて」とかど直球だし、微妙に歌の調子がずれてるし、なんなの本当にもう、もう! 車の屋根直るくだり面白すぎでしょずるすぎるわあんなん。
 外見に反して本当にいいやつなのが良くわかる。草太のことを心配しているのも伝わるし、本当は借りている癖して2万貸しているという微妙に同行を断りづらい理由を並べて草太捜索に加わるべく鈴芽を言いくるめるし、闇深って言いながらも途中で投げずに付き合うし、環のこときちんと慰めるし。のらりくらりどうとでも知らないふりをしようと思えばいくらでも出来てしまうだろうに、それをしないのが彼の良さなのだと思います。乗りかかった船にはきちんと最後まで乗るタイプ。
 覚悟決めてしまった鈴芽ちゃんの旅路とかシリアス成分しかないなって観ていてこちらも覚悟していたわけですけれど、中盤〜終盤のシリアスは全部彼がぶちのめしていってくれたので感謝しています。でもこんなに情緒めちゃくちゃにしてくるやつが出るなんて聞いてない。とんだダークホースでした。
 今後も草太と鈴芽と環に振り回されてほしい……何故か全ての揉め事に一枚噛む羽目になっていて欲しい……全てのお悩み相談連絡が集中してほしい……常に面白枠にいて……。

ダイジンについて

 後半でサダイジンが出てきたので、成程右大臣・左大臣と思ったわけですけれど、大神というのも名付けの要素にあるとパンフレットで読んで成程納得しました。
 良くも悪くも無邪気で気ままな神様の振る舞いって感じで純粋な邪悪〜〜〜って思いながら観ていました。人の感情とかオール無視なので事実を話して人が激昂することを全く予見していない、禍福はどちらも等しい現象としか捉えていない。
 でも、要石として凍っていた自分を解放してうちの子になる?って言ってくれたのはすごく嬉しかったんだろうなって……だからこそ鈴芽に拒絶されたのは辛かっただろうなって……みるみる内に身が萎えていく表現は観ていてしんどかった。それでも鈴芽に着いていく健気さに泣いたし、鈴芽の子になれなかったからその手で戻して欲しいと願うシーンで一番泣きました。
 芹澤の絶妙なニャニャニャ音程にうるせーって感じで耳塞いで寝てたの面白かった。神にも耳を塞がれる芹澤の歌声。途中でサダイジン合流後はちゃめちゃに毛繕いされてるシーンも可愛かったです。でけーのが萎れたちっちゃいのを一生懸命毛繕いしてる微笑ましさよ……なんで草太とダイジン達のお持ち帰りが両立できないのか……なんで……。

 面白かったり印象的だった部分はあらかた語りましたので、ちょっと微妙に感じた部分もついでに語っておきます。

微妙だったところ

 全部で4つ書きます。全部個人的意見という前提でご覧くださいね。
 一つ目、展開が想定の域を出ないところ。映画のみならず物語全般の定石として、物語の始まり→主人公側の辛勝的勝利→転機としての挫折と成長→主人公側の圧倒的勝利、という流れが起承転結として収まると思う。それ自体は問題ないのだけれど、大体序盤の展開を観た時点で想定した物語の起承転結の流れが裏切られることなくそのままだった点は、安定して面白いけれど想定の期待値を上回るような展開ではないかなという印象を受けました。
 序盤できちんと戸締まりできる主人公側の勝利展開がずっと続かないのもわかるし、ダイジンがもう要石じゃない=草太に要石の役割を移したことが判明した時点で、鈴芽にとっての転機・挫折・成長の要素として草太が要石としての役割を担う→鈴芽が解決に向かうことは十分想定の範疇なんだよな。個人的にはハラハラ展開って苦手で想定の範囲内で進行する物語の方が好きなので、安心感を持って観ることができたのはある意味良いことだったのかもとは思う。

 二つ目、制作側が観客に伝えたいメッセージが直裁的に描かれすぎている。ぶっちゃけ常世最終戦で草太が神に奏上していた内容と、鈴芽が幼いすずめに諭すように話していた内容がこの作品で一番届けたかった内容だよね……? 作品に確固たるメッセージ性があるのは良いことだと思うのですが、こんなに物凄くわかりやすく表現しないと今の観客に対しては伝わらないものなのか? とちょっと不安になりました。もうちょっとみんな読解力あるでしょ……。新海監督作品への親愛度がまだ足りないからサビ熱唱されてもピンとこないという例の現象なのかも。

 三つ目、設定の説明不足感。これもかなり個人的感想になってしまうけれどって部分です。この作品は所謂セカイ系に分類されるのでしょうけれど、鈴芽である理由、鈴芽でなければならない理由があんまり見えてこなかった。過去に偶然常世に入ったことがあるからってのが全ての理由ならもう仕方ないんですけども。
 鈴芽が何故要石を抜けたのか、それは要石が見えるのならば第三者にも可能なのか、閉じ師以外でも現象を認識できるならば鍵さえ譲渡されれば戸締まりができるのか、鈴芽の境遇の特殊性がどの程度影響するのか。要するに、他の条件と等しくの部分がもう少し明確になると理解が進むのにな……メッセージ性はきちんと明言するのにこの辺の設定は行間に委ねる感じ、物語の比重の釣り合いとれてなくないか……ってなりました。
 ダイジンの行動原理も同様かな。要石の役割を草太に移して放棄することと、鈴芽を後ろ戸が開いている場所に誘導することは、ダイジンの中では行動原理として矛盾していないのだと思うけれども、矛盾していない理由辺りの描写がもう少し欲しかった。鈴芽のうちの子になりたいから要石は草太になってもらう、要石はちゃんと刺さってないと駄目だから早く刺してってことなのかな。
 土地を悼むというテーマは分かりましたが、作中の設定としてこの辺りももう少し掘り下げがあると嬉しかったかな……。廃墟の後ろ戸という条件設定はさておき、そもそもなんでこの世界では自然災害がミミズという実体として出現するの? なんで? という心の中に常駐するなぜなぜ期の幼女パイセンの問いに対して、そういう設定だからかな……というメタ的な返答しか現状思いつかない。
 あと、結局椅子の脚が3本だった理由が紛失だけだったのが残念でした。椅子の紛失した1本に隠されたサブストーリーでもあるのかと思ったら特に言及されてなくてちょっと肩透かし感。

 四つ目、仲が深まっていく過程の心情描写が薄い。そもそも、全体的に心情描写が薄い感はある。新海監督作品詳しくないからわからないんですけれども、ほとんどモノローグがなく全体的に鈴芽にカメラの視点が向けられているナレーションのないドキュメンタリー感というか、そういう表現手法なんですかね? 結構要所要所で「問一 この時の鈴芽の心情を述べなさい」「問二 この時の草太の気持ちを答えなさい」みたいな、国語の読解問題が出題されている気分になりました。
 これは草太→鈴芽に対する心情描写の部分の話でかなり感じた点でもあって、草太の記憶が鈴芽ばかりだったり、君に会えたのにって惜しむ気持ちはきちんと描けているのだけれど、その心情にいたるまでの過程の部分にもう少しエモーショナルな発露があっても良かったのではないかと思いました。ちょっと事実の積み重ねに費やされてしまった感ある。要するにその感情を抱くまでに至った、説得力を生む部分をもう少し見せてほしかったということかな。
 この作品自体が鈴芽を主人公とした視点で展開されるので、鈴芽のことを草太がどう感じているかの部分が見え辛いのは致し方なくもあるけれども。椅子から人間に戻った後はかなり情を見せるのだから、椅子の時点でも鈴芽側から見て草太の鈴芽に対する我欲が見えるようなシーンがあれば良かったのにね。まあ半分は草鈴推しの願望なんですけども!

おわりに

 天災を題材とし、名と形を与えて神として封じる。土地を悼む旅路の果て、鈴芽の心の中にずっとあった後ろ戸は、草太との出会いによってやっと戸締まり出来たのかもしれない。
 総評としては期待通りの安定した面白さだったと思います、円盤購入を検討したい。特別映像特典とかあればいいな! 以上です。

 はい、ここまでが初見時の感想でした。まだ沼に片足突っ込んでいることに気付いていない頃ですね。次からは2度目の感想と考察です。鈴芽と草太の関係性をもっと深く知りたくて関連コンテンツを追った結果、首まで一気に沼にはまってしまった人間の変化をお楽しみください。


<2度目>の感想および考察

はじめに

 ここからは、すずめの戸締まり、2度目以降の感想および考察です。
 映画は2回目を視聴済、更に次の関連コンテンツや情報に目を通しています→映画パンフレット、新海誠本、小説版、すずめといす、ダ・ヴィンチ2022年12月号、ティーチインレポ(川崎・二子玉川・盛岡)、11月28日舞台挨拶記事、新海誠本2。
 全てのネタバレが含まれると思いますので、それでも良ければどうぞ。

作品全体としての感想

 まずは、2度目以降の作品全体としての感想から。
 ここはあんまり変化ありません。作品タイトル出るまでの12分間はやっぱり何度観ても素晴らしい。映画1回目と2回目で泣けるポイントが違ったのもなかなか良かったです。今回は大体の展開の時間を測りながら見ていましたが、東京上空以降がざっくり45分くらい、ここまでが前座でそこからが本題って感じなのにきっちりまとめてあるし見応えがすごい。
 様々な情報を得てから観ることで更に新たな発見が出来たり理解が深まったり、すごいスルメ映画だと思いました。むしろ2回目からがより面白いというか、本番って感じがする。
 あと、またしても入場者プレゼントで新海誠本2がいただけた訳ですけれども、いや、情報量がすごい……本当にプレゼントで良いんですか? 毎度すごい太っ腹である。

鈴芽ちゃんとその周辺について

 1回目の映画を観てから真っ先に小説版を読んだんですけど、鈴芽の心情がかなり補完されてすごく良かったです。
 小説版鈴芽の心情表現で特に良かったのは、草太の家に帰ってから身支度する場面。映画だけ観ると静謐さの中に意志のこもった眼差しがあって、心が決まったというか、肝が座った場面としか受け取れなかったけど、実際あの時の鈴芽は心許なさを抱えていて、体の中身がごっそり抜け落ちたような心境だったんだなって思いながら2回目を観たら、また違う味わいがあった。
 与えられた存在を「また」奪われた理不尽さに対して心の中でかなりブチ切れていたり、東北行きメンバーに芹澤と環が加わった時にみんな勝手にすればいいって思ってたり。鈴芽の意志の強さが結構前面に来ていたからこの辺りが映画だけだと読み取るのが難しかったけれど、小説読んでから更に映画観たらなかなか捗りました。
 それと、千果ちゃんとのお泊まり女子会はやっぱり良いな〜1回目より味わい深かった。千果ちゃんかわいいしあのお泊まり空間絶対いい匂いする。作画素晴らしかった、全体的に千果ちゃんのグラが良い。瞳のウルツヤな質感がすごい好き。
 鈴芽の挙動に関しては、椅子の草太に座ったり上に乗って足踏みしたり、先に聞けば絶対駄目って言われるからわざと無断でやったり声の出せない状況下で敢行してる辺り、いたいけな男子大学生の純情をぐちゃぐちゃにするタイプの JKだなって思いました……。卒業間近の大学生なんてそりゃ高校生からしたら大人でしょうけど、まだ青い若造の部類だからね……相手の理性の耐久テストを勝手にやらないであげて……。
 映画2回目で一番泣いたシーンの話ですけれども、アバンの常世部分と終盤の小すずめとの邂逅の二箇所で同じぐらいクソ泣かされました。あの綺麗な世界で小すずめは絶望の中にあるって映画1回目でわかってしまったから、2度目はアバンで既に泣いてた。しんどい。
 しんどいと言えば、マクドナルドのタイアップ全部映画後に見ると鬼仕様に変貌するのは一体何なの??? 映画観る前にCM観てた時は「わー幼女すずめちゃんかわいーねー、素敵なママだし、ビックマック食べたいの微笑ましー」って感じだったのに、映画観た後にCM観ると「オアァ……オアァ……」っていう謎の鳴き声しか出てこない。とんでもない叙述をタイアップ側に仕組むんじゃないよ。切なすぎるんだわ。
 鈴芽の椅子に関しては思うことが結構あるんですけども、すずめといすを読む限り、本当に友達みたいに椅子を扱ってたのがよくわかる。お昼寝用の布かけてあげてるのかわいい。ただ、小すずめの夢の中とはいえ4本脚の椅子のポテンシャル高すぎやしないか? 手先が器用すぎるし、中華鍋振るうの?
 小すずめが椅子を友人として扱っていた過去→夢の中で鈴芽が想定していた椅子の可動域→常世経由で戻ってきた過程があったから、要石の憑代的な意味合いで馴染みやすかったのかな? だからといってジェットコースターのレール上で仔猫とチェイスして仕留める程のポテンシャルにはならんやろとは思う。
 1回目に映画観た時には椅子だけタイムリープしてるのかと思っていましたが、小説版で常世に流れ着いた椅子を渡したという記述があってやっと理解しました。2回目に観て椅子の劣化の少なさに気づいた。なるほど。ただ、3本足であることのメタファーは新海誠本2で理解したけれど、やっぱり劇中における紛失過程がなんとなく浮いている感あるな。それはそれとして、鈴芽が常世で小すずめに出会う繰り返しがある限り、鈴芽の椅子は常にあの場所で無限ポップ椅子になるということか……もうそれはオーパーツの類なんじゃ……。
 あと、2回目に観て他に気になったのは、鈴芽の回想に出てくる椿芽ママの訛り方が環さんと似ていたところ。結局、岩戸姉妹の出自は宮崎ってことなのかな?

草太さんとその周辺について

 最初に観たときも思っていましたが、神戸→草太の家までの道中が本当にすき。ヘイソウタ!の下りのこと根に持ってんじゃねーのってくらい容赦ない目的地周辺までの強制ナビ感。
 映画1回目を観た時の感想として、草太の鈴芽に対する感情が……見えてこない……って感じだったので、2回目は鈴芽が垣間見た草太の記憶の場面展開と、あとは11月28日の舞台挨拶で話された椅子=異形になった自分に普通に触れてくれる「特別な子」として鈴芽を見ている眼差しを念頭に置いて観ました。結果として、1回目に観た時以上に良い意味で人間くさいんだなって思いました。2回目で草太のクソデカ感情の確かめ算した感ある。
 パンフレットやダ・ヴィンチのインタビュー記事曰く、松村氏は草太について「神と人間の融合体みたいなイメージ」というディレクションを受けていたみたいですが、割と人間感あった。1回目は、序盤の相手を近づけまいとする壁を感じるような振る舞いとか、傷の治療もそこそこにその場を去ろうとする優先順位とか、なんとなく浮世離れした感あるなーってある種のUMAを見てる感じでいたんですけども、2回目は逆に鈴芽に接する時の等身大の男子大学生感がかなり見受けられました。同じ映画の筈なのにこんなに感じ方変わるのもすごい。松村氏のオーダーに応える能力がすごいってことだと思います。
 それにしても、2回目でじっくり見ると、常世で呪いが解けてからすげー接触してるじゃん腕枕して頭抱えて守ってお姫様抱っこして手繋いでって短時間のうちに一体どれだけ触れば気が済むんだ。旅の間中自分から碌に鈴芽に触れられなかった反動が確実に来ているんだと思いますけども、無意識だよね? 無意識でそれなのはもう手遅れでは?
 椅子になった自分に躊躇なく触れて大切にしてくれた分、同じように鈴芽に触れ返したいという思いから来ているかもですけども、一旦椅子を経由した事により鈴芽への親愛表現バグってないか?
 あと、君に会えたのに……! の例のモノローグがやっぱりクソデカ感情……ってしみじみ感じました。あんなに至近距離で可愛い鈴芽ちゃんの顔ばかり覚えてるとかもう。草太も旅が楽しかったのね……。
 列車のシーンの絶対逢いに行く感もすごい。決意がこもりすぎている。「逢いに行くよ、必ず!」って言って身長差ある鈴芽を抱きしめて、鈴芽の肩に顔を寄せた草太の伏せられた睫毛を見た瞬間に、「あ、愛だ〜〜〜〜〜!!!」って心の中で絶叫しました。カナタハルカのサビが良い味を醸し出していたし、某魔法学校校長と某湯屋ボイラー室の主みたいになってしまった。あと、アバンでタイトル表示される瞬間も素晴らしいんですけども、エンディングの入りも神すぎないか? すごい良かった。
(2022.12.26 追記:上記のエンディングへの入り方辺りの描写に記憶の齟齬が見られましたので、記述を少し修正しました)
 それとこれは宗像草太さんへの質問なんですけど、椅子の触覚ってどの程度あるんでしょうかね? 触り心地というか、相手の質感ってどのくらいフィードバックがあるものなのか。要するに何が言いたいかというと、新幹線の中で鈴芽ちゃんがとんでもなく抱きしめて寝息を立てていたわけですけれども、柔らかさとか息遣いってどの程度感じられたのかな? 気になります。
 入場者プレゼント第2弾の新海誠本2は、完全に宗像家の情報補完でしたね。父親の職業と古文書の記述がやばポイントだったなって個人的には思いました。解像度がかなり上がった。この手の、本編の大筋には全く影響はないがキャラクターの背景を補完する、作品のファンには有り難い良い塩梅の入場特典でしたね。ただこれ、作品内でもある程度開示しても良い情報じゃないか? と思わんでもない。草太の人間性の部分がかなり肉付けされると思うけども。主眼を鈴芽に据えているからここまでの自己開示は流石に物語内では厳しいかな。
 それにしても、閉じ師としての素質が隔世遺伝で発現してるのには驚いた。古くからある閉じ師の家系であったとしても、素質は確実に継がれるわけではないのか……。草太の行動範囲や過去の資料からして閉じ師の家系は複数あるけど人数が限られていて、更に能力が発現しない場合があり、かつ命を危険に晒す状況下も想定される。この状況だと確実に次代を残す前に家系が断絶する可能性が結構な確率であって……ハード……。むしろ徐々に削られていって先細ったのが今って感じなのかもね。今流行りのサスティナブル化に対応できてない。
 この辺りのことを考えると、じゃあ鈴芽の適性は何なの? って話にやっぱりなる。要石に干渉できる、ミミズが見える、土地の声が聞ける、戸締まりできるのが幼い頃の常世経験から来ているとして、じゃあ最初の後ろ戸を何故開けて潜れたのかという話になる。単純に生死の境界にいたのか、別の要素があったのか。
 あと、草太はこれ何歳の時に親元離れたんかな……ある程度幼い頃みたいだし、幼少期に割り切れない気持ちを抱えていたのならば、教師は教師でも小学校教員を目指した理由って……ってなってヴッてなる。これから鈴芽ちゃんといっぱい幸せになってくれ。
 宗像家繋がりの話をすると、映画1回目は気付かなかったのですが羊朗さんの病室のサイドテーブル上にある紫色の箱って、もしかして奥さんの可能性ある? もしそうだとすると埋葬せず側に置いている辺り、ははーん、この家系、愛が重いタイプだな? って感じました。納得のクソデカ感情の遺伝(2023.10.8 追記:監督のオーディオコメンタリー拝聴したところ、この辺りの推測は概ね外れていましたね!)。それと、これは全く別件なんですけれども、羊朗役の松本白鸚氏がパンフレットのインタビューで述べていた「でも、人間の生死ってドアの開け閉めひとつかも知れません」って部分が心にぶっ刺さりました。説得力がすごい。
 他に気になったのは草太の本棚。家業以外の本棚が完全に別建一つだけで色も違う辺り凄く複雑な気持ちになった。明確に世界を分けている感あるんだよな……。あと考古学の本が気になりました、どういうアプローチでミミズの発生予測をしてるんだろ。

(2022.12.12 追記)
 盛岡のティーチインレポを拝見したのでちょっとだけ追記。
 鈴芽が後ろ戸を開けられたのは、やっぱり生死が曖昧な状況だったからみたいですね。ということは、常人が閉じ師と同じ視野を獲得するためには、後ろ戸が存在するような立地条件、かつ自分自身が生死の境にいて、的確に後ろ戸を開いて中に入るという行動を伴う必要があるのか。草太は常世が見えてなさそうな感じだったし、小すずめがあの時に置かれた境遇が、再現性が殆ど不可能な特殊な状況下にあったというのが、この物語の主人公が鈴芽でなくてはならなかったという理由付けの部分になり得るということかな。
 あと、草太の寝相は元々悪くないということで……同衾展開になってもとんでもフォーメーションになることはなさそうで良かったね鈴芽ちゃん……椅子化の名残りで今後の寝相がそこそこ悪くなる展開があってもそれはそれで美味しい。

芹澤朋也……

 ……何で帰り道の車内8割カットなの……。
 小説版読んで一番愕然としたの割とこの辺だったりする。嘘でしょこの人達帰り道もめちゃくちゃ面白いじゃんなんでこの幕間ほとんど描かれてないんだ……! せめてパトカーに止められるシーンと環さんからの無限ソフトクリームの場面は必要でしょ。円盤特典映像に入れてくれないかな。
 1回目の印象から良い意味で変化が無いので色々割愛しますが、鈴芽と環から途中で置いて行かれた後の心境が小説版できちんと触れられていたのが良かった。そう、君はすごい役割を果たしたんだよ……。でもそう捉えられる辺り、やっぱりすげー良いやつなんだよなこの芹澤朋也という男は。
 彼の出てくるシーンは大体好きですが、やっぱり環さんを困惑しつつも慰めるシーンがすき。

ダイジンとサダイジンについて

 ダイジンはただただ鈴芽の子になりたくて、二人きりになりたくての一心だったんだろうなって思いながら2度目を観たら感情がめちゃくちゃになりました。小すずめとダイジンの境遇って結構ニアリーイコールで、「うちの子になれた/なれなかった」の分岐なのだとかなり明確に示されたのがしんどかった。
 ダイジンはどの辺りから要石に戻る決意を本気で固めたんだろうな……サダイジンは割と序盤から「抜けたから元に戻してくれ」ってスタンス貫いてる感ある。ダイジンが芹澤カーに乗り込んだのが、鈴芽を後ろ戸に案内するためなのか、既に要石に戻る気もあったのか、嫌いと言われても側にいたかったのか。うーん、やっぱり私が要石になるよって明言したところで心が決まったのかな。目が一瞬きらっと瞬くんですよね。あれがダイジンの心の機微かしらね。
 要石に戻るにしても人の手が必要で、現状遂行可能性が一番高い鈴芽にやってもらうのが良くて、サダイジンはこの辺り考えた上で円滑に事を進めるために割って入ってきた感ある。結構この辺りのサダイジンが環さんの深層心理に干渉した考察って出ていたけど、新海誠本2できちんと答え合わせが出来て良かったですね。ダイジンは鈴芽を泣かせるような介入しやがってとキレ散らかしてましたけど。
 2回目に観て気付いた、環さんから神様!? って言われた時のサダイジンのジト目かわいい。あと、サダイジン、一度羊朗おじいちゃまの所に顔を出してる辺りめっちゃ律儀だなって思いました。抜けたよーって報告しに行ったんかな。1回目に観た時も、サダイジン側はやけに草太に協力的だなーダイジンが鈴芽側についているからかしらってぼんやり感じていましたが、新海誠本2の古文書の下りを考えるに、サダイジンと宗像家との親和性の話が出ていて納得しました。
 ダイジンが鈴芽推しなように、サダイジンが宗像家推しってのはかなりありうる。あの造形の良さは遺伝してるっぽいし、ティーチインの要石は閉じ師の可能性もある説の話とかを勘案するに、サダイジンは宗像家のあの顔立ちの向こうに昔々の誰かの面影を見ているのかもしれないね。つらい話だな。
 ダイジンとサダイジンは、元の姿になると白黒反転するのが興味深かったです。鈴芽が白色のマスコットで草太が黒色のマスコットというカラーリング、初代ぷいきゅあか?2人揃えば無敵なのであながち間違ってないんだよなあ。

微妙だったところ

 これも基本的には初見時から変更なし。やっぱり設定や心情表現の描写不足は否めないかな。というよりも、映画以外のサブコンテンツや情報に目を通して感じたのは、背景設定はすごく作り込んでいるけども2時間程度に収めるためにかなりの情報を削っているということ。そもそも、2時間映画で収まる情報量じゃないんだろうな。
 この辺りは敢えて削ることで余白を残し、観る側に判断を委ねているのかもしれないし、マルチコンテンツ展開をする上での販売戦略上の方針なのかもしれない。この戦略でまんまと沼に嵌っているわけですけどもね!
 映画を観て面白かったからこそ物足りなく感じた部分を補うために小説を買ったり雑誌を買ったり、舞台挨拶レポやインタビュー記事に目を通して、入場者プレゼント冊子目当てに映画館に行って、更に考察を深めてもう一度映画を観に行って。映画以外のコンテンツ全体にもお金が落ちるし、舞台挨拶に注目が集まるから話題性もアップする、リピーターも狙える、上手く考えられてるなって思います。
 ただ、やっぱり個人の意見としては、映画という土俵で作品を制作するのならば、幕が上がってから降りるまで、その2時間の中で全てを完結させてほしいかなって。まあ理想論ってやつです。
 それはそれとして、東京の後ろ戸の具体的な場所とか閉じ師という存在の意味合いとかを映画内で明確に提示せずにクローズ情報にさせたのは良い判断だったのではと思います。後ろ戸の情報は小説版にはあったけどね。閉じ師の立ち位置をティーチインの口頭情報に現状留めてるのは良いのかも。設定として取り扱うには少し難しいというか、映画内に明示されたらなんか与太感というか、いきなりアングラ感出ちゃう気がするので。「実録! あなたの知らない日本の裏世界!」みたいな。話としてはあながち間違っちゃいないんですけれども。

草鈴について

 ここまでもかなり草鈴要素込みで話してきましたので改めてどうこうってないんですけども、本編の戦友で無敵な2人は最高のバディでした。
 正直、人と人との間の関係性の名前って一人に対して一つしか名付けられない訳ではないと思っていて、戦友という単語が真っ先に来るでしょうけれども、それしか当てはまらないというわけでもない。それこそ舞台挨拶の時に話されていた夫婦や人生のパートナーという可能性が示されているというのは本当に強いなって感じます……あんな真っ直ぐに肯定されてびっくりした……。
 浅田次郎氏の著書、沙髙樓綺譚に出てくる「運命の岐れ目にはたいてい、他人がつっ立ってやがる。(中略)いや、そういう場所に立っている人間は、神様がまったく適当に決めているんだ」って一節が好きなんですけども、まさにこの2人は互いが互いの運命の岐れ目に立っていて、自分の心の中の特等席に座る人だった、そんな印象を受けました。要するに、愛ってやつですね。愛は全てを救うんだよ。
 推しのイメソン考察するのが好きなんですけども、何をどう考えてもカナタハルカが強すぎるんだわ。公式に……勝てない……!!! 「草太さんって……鈴芽ちゃんのコトどう思ってるんだろ……」ってファンシーでメランコリックな物思いに豪速球で公式が正解を投げつけてくる。強すぎる。パンフレットのインタビュー内でも「最後はこの曲でこの物語は恋愛の映画なんだって提示してあげるのがいいのではと提案した」とありましたが、本当に問答無用で納得させられた。「すずめ」も伝奇感ありつつ、あー2人のための曲だなって思うのですき。

 公式以外だとこの辺りってのは既にこっちにまとめてあるので興味のある方はどうぞ。両方併せて3,500字程度です。もうここに統合する気力がない。

おわりに

 はい、2度目の感想と考察は以上です。大体これで書いておきたいことは全部書いたかな? 1度目と2度目以降の感想の温度差がやばいですね。
 まだ暫くこの沼からは抜け出せそうにないので、今度は沼底でお会いしましょう。
 終わりです。

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