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「極限値の中にあらわれる一般性」としての少年犯罪——見田宗介『まなざしの地獄』を読む

N・Nは東京拘置所に囚われるずっと以前に、都市の他者たちのまなざしの囚人(とらわれびと)であった。
都市のまなざしとは何か?それは「顔面のキズ」に象徴されるような具象的な表相性にしろ、あるいは「履歴書」に象徴される抽象的な表相性にしろ、いずれにせよある表相性において、ひとりの人間の総体を規定し、予料するまなざしである。N・Nは「顔面のキズ」として、あるいは網走出身者として対他存在する。
具象的な表相性とは一般に、服装、容姿、持ち物などであり、抽象的な表相性とは一般に、出生、学歴、肩書などである。
そしてこれらの表相性としての対他存在こそが、都市の人間の存在をその深部から限定してしまう。けだし人間の存在とはまさに、彼が現実にとりむすぶ社会的な関係の総体に他ならないが、これらの表相性への視線は、都市の人間がとりむすぼうとする関係の一つ一つを、その都度偏曲せしめるということをとおして、執拗にそして確実に、彼の運命を成形してしまうからである。
そしてN・Nが、たえずみずからを超出してゆく自由な主体性として、〈尽きなく存在し〉ようとするかぎり、この他者たちのまなざしこそ地獄であった。

見田宗介『まなざしの地獄』河出書房新社, 2008. p.40-41.

見田宗介(みた むねすけ、1937 - 2022)は、日本の社会学者。東京大学名誉教授。学位は、社会学修士。専攻は現代社会論、比較社会学、文化社会学。瑞宝中綬章受勲。社会の存立構造論やコミューン主義による著作活動によって広く知られる。筆名に真木悠介がある。著書に『現代社会の理論』(1996年)、『時間の比較社会学』(1981年、真木名義)など。

本書『まなざしの地獄』は、日本中を震撼させた19歳の少年N・Nによる連続射殺事件を手がかりに、1960~70年代の日本社会の階級構造と、それを支える個人の生の実存的意味を浮き彫りにした名論考である。
N・Nはなぜそのような犯行を起こしたのか。そのような個人的な動機や心性のうちに、見田は社会学的な統計と結びつけながら、当時の社会一般が抱えていた若者たちをとりまく状況を浮き彫りにしてみせる。

N・Nが代表していた1960年代当時の都会に上京してきた少年たちが置かれていた状況とは、都市と家郷という二つの社会から二重にしめ出された人間として、境界人(マージナル・マン)というよりはむしろ、二つの社会の裂け目に生きることを強いられていた。彼らの社会的存在性は、根底からある不確かさによってつきまとわれていた、と見田は述べる。彼らは「根こそぎにされた人間」であり、その自己投射としてのイメージは、歌謡曲にもよく見られた、水草、根なし草、落葉、はぐれ島などであった。

しかし、当時の彼らは、単に〈根なし草〉として社会から遊離する存在であるわけではなかった。むしろ、ある種の〈まなざし〉に囚われた存在であったと見田はいう。それこそが、〈他者からのまなざし〉への囚われである。見田はある統計を根拠として述べる。例えば、1960年代半ばの年少労働者の離職率と最も相関関係が高いのは、休日制度であることが確認できる。また、東京都に流入してきた青少年の不満は、自由時間(休日)がないことと個室がないことが最も多く挙げられている。見田は、これらの統計と、N・Nの事例を合わせて考え、都市の他者からそそがれる〈まなざしの地獄〉から逃走しようとする、当時の青少年たちの切実なる欲望を読み取っている。

〈まなざしの地獄〉とは何であろうか。都市のまなざしは、具象的な表相性(容姿、服装、持ち物など)において、あるいは抽象的な表相性(出生、学歴、肩書など)において、ひとりの人間のアイデンティティの総体を規定し、予料する。そのまなざしにさらされた者は、まなざしの囚人(とらわれびと)になってしまう。とりわけ、そのまなざしによって、アイデンティティの内実を否定的に意味づけられた者にとって、まなざしは地獄である。N・Nはある就職先で戸籍を必要とされ、そのとき初めて自分の出生地が「網走」であることを知り、衝撃を受ける。それは自分の出生が暗いイメージを伴うという事実と、また出生という抽象的な表相性が、都会で生きていくときに自らの存在を規定するものとして突きつけられたという事実を意味していた。60〜70年代当時の若者にとって、都会で生きていくかぎり、抽象的かつ具象的な表相性を突きつけてくる〈まなざしの地獄〉からは逃れられなかったのである。

1997年にN・Nの死刑執行がおこなわれたその年に起きた対照的な事件が酒鬼薔薇聖斗事件である。本書の「解説」で、(見田に師事した)社会学者の大澤真幸氏は、90年代の社会構造が60年代とは決定的に変化していたことの証左として、少年Aの状況を分析する。この事件の少年Aはどうだったのか。彼は、犯行後、神戸新聞社に送った犯行声明の中で、みずからを「透明な存在」である、とした。「透明な存在」とは、他者たちのまなざしに捉えられていない者という意味である。つまり、少年Aは、透明な存在から脱しようと欲して犯行をおこなっている。N・Nにとっては、まなざしが地獄であったが、Aにとっては、逆に、まなざしの不在が地獄であった

また、「解説」で大澤氏は、見田の社会学的研究における特徴を「統計的事実の実存的意味」の解釈であったと説明する。
普通の社会学的研究の主流は、アンケートを用いた数量調査である。しかし数量調査には欠点がある。短時間で回答したものには表層的なものしか表れないことや、ある仮説をもとに質問票を組んでいるかぎり、ある種の偏りが生じることから逃れられないことである。
他の手法として事例調査、特に質的研究(参与観察やライフヒストリーの聞き取りなど)が社会学的研究で用いられる。この場合、社会学的現象の背後にある動機や原因、その心理を詳細に知ることができる。しかしながら、少数の調査に留まるため、今度はそのデータの「代表性」が問題になる。

この二つの手法は通常分裂してしまっており、どちらかの手法に留まる研究者がほとんどである。しかし、見田は「まなざしの地獄」において、二つの方法を架橋し、それぞれの欠点を同時に克服してみせている、と大澤氏は評価する。
これを可能にしているのは、平均値と極限値の間の相互媒介的な関係である。統計的な手法は平均値こそが全体を代表するに適していると考える。それに対して、極限値によって全体を代表させることもできるのだという。それは、一般にはあまり気づかれることのないような、個人の意識や行動の中に分散して存在している特性や心理を、その「極限値」である個人の事例の中に読み取っていくという手法である。N・Nの事件もこうした「極限値」の一つであったのであり、例外においてこそかえって一般性が見出しるのだ、と大澤氏はいうのである。




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