見出し画像

断片的な語りこそ普遍的な物語になる——岸政彦氏『街の人生』を読む

うんー。治るっていうのがわかんない。回復論じゃないけど、回復に関する、症状が消える、イコール回復ではないと思いますね。治った、治らない、っていう言い方はようしないんです。私一人、元気ですっていう言い方しかできないっていうか。じゃ何をもって治ったのって言われたら自分いまでも答えられないから、何を回復って言うの?じゃ、症状が無くなった人は回復してるんですかって言われたら、症状が無くてもしんどい人はいっぱい、見てきたから、症状じゃないなって思うし、うん⋯⋯。
うーん⋯⋯回復⋯⋯じゃ逆に、回復っていうのはどう、どういうことなんですかね?あはは。

岸政彦『街の人生』勁草書房, 2014. p.138.

岸政彦(きし まさひこ、1967 - )氏は、日本の社会学者、小説家。京都大学大学院文学研究科教授。社会学研究室所属。専門は、社会調査方法論、生活史。沖縄における質的調査。

本書『街の人生』は、外国籍のゲイ、摂食障害を抱える当事者、シングルマザーの風俗嬢、西成のホームレスの高齢者など、さまざまな人の「普通の人生」の生活史(ライフ・ヒストリー)を綴ったものである。

岸氏は、これらの語りは「普遍的な物語」であるという。起承転結も教訓めいた話もない、断片としての人生、断片的な語りであるが、だからこそその普遍的な価値がより際立つのだという。また、「私」というものは、必ず断片的なものである、と岸氏は言う。私たちは私から出ることができないので、つねに特定の誰かである私から世界を見て、経験し、人生を生きるしかない。私たちに与えられているのは、あまりにも断片的な世界である。しかし、岸氏はこれらの断片的な物語をなるべくそのまま記録することで、結果的にいちばん「人生の形に近いもの」を世の中に残そうとした

冒頭に引用したのは、摂食障害の当事者のマユさんの語りである。彼女は、当事者としての「心理主義化」や「代替医療」への違和感を表明している。特に「本人が良ければそれが良い」というロジックで容認されることの多い疑似科学的な代替医療は、当事者の尊厳の否定として、強く批判している。そして、摂食障害という「病い」を、もっと大きな社会問題につなげて考えようとする自らの立場が語られる

さらに、「回復とは何か」について語られる。全体を通じて、自分が長年のあいた闘ってきた摂食障害という「問題」を、家族の関係に結びつけないこと、「心理的なもの」として語らないこと、個々の「症状」に還元しないことが語られる。そして「回復」についても、ただ「症状がなくなることではない」とマユさんは述べている。ただ、彼女はそれを明確な言葉で規定しようとしているのではなく、ただ「元気ですっていう言い方しかできない」と語っている。それは、回復というものを症状の消失や医学的な定義に当てはめようとする態度(語られ方)への拒絶のように思える。回復というのは、もっと社会的なものであり、人生の一部分であるということを彼女は言おうとしているのではないだろうか。


いいなと思ったら応援しよう!