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憲法は成文法ではなく本質的に慣習法である——小室直樹『日本人のための憲法言論』より

憲法学者は「全権委任法はワイマール憲法違反だから、無効である」とは考えない。実際のところ、違憲だろうが何だろうが、現実にこの法律によってヒトラーはドイツの独裁者になっているのですから、そんな議論は無意味です。
ですから憲法の専門家は「1933年3月23日をもって、ワイマール憲法は死んだ」と考える。ヒトラーはワイマール憲法を1度も廃止していないけれども、この日、ワイマール憲法は実質上、廃止されたと見るのです。
このワイマール憲法の例が示唆しているのは、とても大事なことです。
それは堅い言い方をすれば、「憲法は成文法ではなく、本質的には慣習法である」という事実です。(中略)
しかし、たとえ「憲法」と題された法律があったとしても、憲法は本質的に慣習法なのです。大事なのは法の文面ではなく、慣習にあるのです。
つまり、たとえ憲法が廃止されていなくても、憲法の精神が無視されているのであれば、その憲法は実質的な効力を失った、つまり「死んでいる」と見るのが憲法学の考え方なのです。

小室直樹『日本人のための憲法原論』集英社インターナショナル, 2006. p.19-20.

小室直樹(こむろ なおき, 1932 - 2010)は、日本の社会学者、経済学者、批評家、社会・政治・国際問題評論家。学位は法学博士。東京工業大学世界文明センター特任教授、現代政治研究所(東京都千代田区)所長などを歴任。社会学、数学、経済学、心理学、政治学、宗教学、法学などの多分野を第一人者から直接学び、「社会科学の統合」に取り組んだ。東京大学の伝説の自主ゼミナール「小室ゼミ」主宰者。著書に『ソビエト帝国の崩壊』や『痛快!憲法学』などがある。

本書『日本人のための憲法原論』は、講義形式で分かりやすく「憲法とはそもそも何か」「憲法は世界史・世界思想史上、どのように成立してきたのか」を踏まえた上で、現代の憲法がどのような意義を持つのかを解説した本である。

冒頭で小室氏は、いきなり「日本国憲法はもはや死んでいる」と宣言する。法律は実質的に死んでいても「生きている」場合がある。例えば昭和21年に制定された「物価統制令」は戦後のインフレに対処する目的で作られたものであり、歴史的役割は終わったわけであるが、成文法である法律としては今も効力を有している。法律の場合は、廃止された時点が公式に「死んだ」状態となる。これに対して、「憲法は公式に廃止を宣言されなくても死んでしまうことがある」という。なぜなら、憲法とは成文法ではなく、本質的に慣習法であるからというのがその理由である。

廃止されていないのに実質的に死んでしまった憲法の最たる例は、ワイマール憲法である。第一次大戦で敗れたドイツでは、ドイツ革命が起きて、皇帝ウィルヘルム2世は亡命。この結果ドイツではワイマール共和国が誕生し、ワイマール憲法が制定された。ワイマール憲法は当時、「世界で最も進んだ憲法」と言われた。国民主権が導入され、大統領は直接選挙で選ぶことができ、基本的人権についても労働者の「社会権」が保障されていた。ところが、そのワイマール憲法はあっさり「死んで」しまう。ヒトラーはワイマール憲法には一切手を触れずに、ナチスが政権を取るまでワイマール憲法に従って行動している。ヒトラーが1933年1月に首相に就任するや、3月23日には「全権委任法」によって、実質的にワイマール憲法を無効化してしまった

このワイマール憲法の例が示唆するのは、「憲法は成文法ではなく、本質的慣習法である」という事実である。つまり、たとえ憲法が廃止されていなくても、その精神が無視されているのであれば、その憲法は実質的に効力を失っている。独裁国家の例のみならず、民主主義が行われているように見える国でも、憲法が死ぬことは珍しいことではないと小室氏はいう。アメリカの合衆国憲法を例にとってみると、その成立当初、人権を保障する「権利の章典」がなかった。万民に人権があると独立宣言で述べておきながら、その権利を保障する章典がなかったのである。その背景にはもちろん黒人奴隷の問題やアメリカ先住民の問題があった。アメリカの合衆国憲法は民主主義、万民の主権を謳っていながらもその精神は実際には保障されていなかったことから、「半分死んでいた」とも言える。どんなに立派な独立宣言があり、憲法の条文があっても、それが「慣習」として、つまり国民の意識として定着していなければ、その憲法は生きているとは言えない、というのが小室氏の主張である。

現在の日本においてはどうか。改憲か、護憲かといった議論ばかりがなされ、そもそも日本国憲法の精神とはどのようなものだったのか、その精神が私たちの意識に、慣習にしっかりと根づいているかどうかということが忘れられていないか。つまり、日本国憲法の条文を金科玉条のように大切にして、その解釈ばかりに気を取られるのは本質的ではない。むしろ、日本国憲法の精神はすでに死んでいるのではないか、すでに無効化されているのではないかという、いささか極端な視点から、より本質的に「日本」を見つめ直そうとしていこうとしているのが本書だと言える。


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