宇沢弘文とジョン・デューイ——「リベラリズム」とは何か
宇沢弘文(うざわ ひろふみ、1928 - 2014)は、日本の経済学者。専門は数理経済学。意思決定理論、二部門成長モデル、不均衡動学理論などで功績を認められた。シカゴ大学ではジョセフ・E・スティグリッツを指導した。東京大学名誉教授。「社会的共通資本」の理論を提唱した。
宇沢が晩年に提唱した「社会的共通資本」の経済学は、高度経済成長後の環境汚染や地球温暖化など、資本主義の負の側面に注目し、いかに持続的な経済成長を維持できるのか、ひいては経済学が人間の幸福にいかに貢献できるのかという現代的視点にたった経済学だった。宇沢の考え方は、気候変動の問題、持続可能な開発目標(SDGs)、共通資本としての「コモンズ」など、まさに21世紀に入ってホットトピックとなっている諸課題を見越したものだったと言えるだろう。
宇沢は自分の経済学を「リベラリズム」にもとづく経済学と規定してそれをつねに強調していた。しかし「リベラリズム」に対応する日本語はないと語っている。社会的共通資本の経済学は、ジョン・デューイのリベラリズムの概念と深く関係する。デューイは、プラグマティズムの哲学者として知られているが、宇沢に言わせると、デューイ哲学の本質はむしろ「リベラリズム」にある。では、デューイの「リベラリズム」とは何か。それは「人間の自由と尊厳」を守るための思想である。デューイは、人間を神から与えられた受動的な存在ではなく、置かれた環境に対してその本性を発揮しようとするような主体的な実体として捉えていた。このリベラリズムの思想は、社会において人間が自由と尊厳を守り、市民的自由が最大限に確保できるような社会的・経済的制度を模索するというユートピア的運動を形作っていったと宇沢は言う。
本書『資本主義と闘った男:宇沢弘文と経済学の世界』の序文で、著者の佐々木実氏は、宇沢の社会的共通資本の理論は、分析手法においてはまぎれもなく主流派経済学を踏襲しながら、新自由主義を産みおとした主流派経済学に対抗する理論として構想された、と述べている。宇沢がそこで問いたかったものとは、市場原理が深く浸透する社会で「人間」はどうあるべきか、市場空間のなかで「社会」をつくり維持することは可能なのか、という切迫した問題だった。
「資本主義を探求しつづけた男は、いまだ帰ってきていない。宇沢弘文は遭難したのではないか。それが本書を執筆する際の、私の仮説だった。」と佐々木氏は述べる。宇沢弘文の思想は、おそらく21世紀において最も必要とされるものの一つであることは疑いないと、私にも思われるのである。
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