カフカをどう読むか——エーコの『開かれた作品』より
イタリアの哲学者・作家のウンベルト・エーコが1962年に著した本が『開かれた作品』である。芸術作品は基本的に曖昧なメッセージであり多様な意味内容を持つという考えから出発したエーコは、作品に対する受け手の関与の積極性を理論化し、受け手との享受関係の中で実現される「開かれた作品」のあり方を多様なジャンルに基づいて考察した。思考のモデルとなったジャンルは、詩、文学、音楽、視覚芸術、テレビ放映など多岐に渡り、カフカ以外にも、マラルメ、ジョイス、ブーレーズ、ブレヒトらの作品が参照されている。(以下の解説より:https://bijutsutecho.com/artwiki/26)
詩学(ポイエーシス)に関する書籍であり、エーコの哲学者・思想家としての本領が発揮された文章である。詩学という言葉は、アリストテレスの著作に由来する。そのギリシャ語原題「ペリ・ポイエーティケース」は、直訳すると「創作術について」、意訳すると「詩作の技術について」という意味になる。
古代ギリシャでは、広く「作ること(創作・作成)」全般を意味する「ポイエーシス」という語が、やがて専ら「詩作」を、さらには「詩」そのものを意味する語にもなった(英語のpoetry等の語源)。古代ギリシャにおいては、韻文で文芸作品(ムーシケー)を作り、それに節をつけて歌ったり、劇として演じるといった営みが当たり前だったので、「詩」という概念が(文芸・歌謡・演劇を含む)今日よりもはるかに広い範囲に適用されていたのである。(Wikipediaより)
カフカ作品をどう読めば良いのか、その直接的な意味の分かりにくさ、明確な結末や教訓の汲み取りにくさ、端的に言えば「難解さ」ゆえに、カフカ作品はさまざまな作家や思想家たちを刺激するようである。エーコの「開かれた作品」という概念を理解すると、カフカをどう読めばいいかの手がかりになる気がする。カフカ作品は何かを暗示しているのでも、寓意的な意味を持つのでもない。おそらくカフカ自身も何を書いているのか分かっていなかったに違いない。それは永遠に「開かれた」ままの作品なのであり、読み手の積極的な関与を前提としており、作者とテキストと読み手がその都度、創造的に構成的に関与しあって意味を形成してく作品なのである。