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記事を寝かす意味

極力毎日書きたいと思いつつも、無理に書かない。

具体的には、「23時から書き始めれば連続投稿続けられる!」という場面でも、すぐには投稿しない。毎日投稿を諦め、次の日に投稿する。

以前は、「まだ間に合う、書いて投稿しよう」という気持ちで書いていた。さらにその前は「もう無理だ諦めよう」だった。

最初は「書くことすらしない」だったのが、「書く」に変わり、さらに「書いて寝かす」になった。

記事のクオリティを高めるという点ではいいことだと思う。ここでいうクオリティは内容ではなく、誤字脱字やつながりを確認するという意味を指している。

いい文章と聞くと真っ先に思い浮かべるのは内容。私もそう思う。しかし、内容を気にしてばかりでは筆は一向に進まない。何も書けない。

これは負の連鎖を生む。

「いい文章を書けない。」→「自分は書く価値がない。」→「自分には才能がない。」

どんどん気持ちが書かない方向に進んでいく。

自己啓発書でも言われていることだが、まずは書くことが大切。とにかく「行動」する。

「書いて投稿することがめちゃくちゃ恥ずかしい」。その気持ちはよく分かる。

noteはありがたい環境で、初めてすぐの投稿でも何かしら反応をもらえる。

YouTuberのヒカルが言ってたことだが、「投稿しても誰も見ないから恥ずかしくない」と。

これもまた正解で、Xだと全く反応はない。Instagramやtiktokはやったことがないので分からないが、とにかくXは見向きもされない。インプレッションが3とか5が当たり前の世界。

別に「行動」は世の中に見せることだけが行動ではない。

自分の中だけで始めてもいい。

世の中に「〇〇始めます!」と宣言する人がいる。

この意味について思いつくことは3つある。

1つ目は思いつきやすい承認欲求。

「頑張ってる私を応援してほしい」「頑張っている私を認めてほしい」

人気ものになりたいという考えでSNSを利用する。今はSNSの投稿が仕事にもつながる。

2つ目はサボれなくするため。

「〇〇始めます!」と宣言することによって、「あいつ〇〇するって言ってるのに、報告しないからやってないじゃん」と言われることを思わせるため。

YouTuberの毎日投稿なんかもそうだろう。投稿してなければ、「毎日投稿するって言ってたのに投稿していない」とSNSで書かれる。

ここには心理的なテクニックも使われている。

人間は一貫性を持つように行動する性質がある。

以前の発言を元に「あなた以前こう言いましたよね?」「今やっていることはそれに沿ってるんですか?」と言われること「えっ、と…」と苦しくなる。

身近に考えてみても、コロコロ意見が変わる人を信用できるだろうか。「そういう人」という認識がつくまで長い期間一緒にいれば分かってくれる人もいる。けれども、中々そうはいかない。

3つ目は複合。ストーリー作り。

つまり、承認欲求を満たしつつ、自分をサボれなくする。

以前、関連したことを書いた。

SNSは自分のありたい姿に近づくための手段だと。

読み返してみると、SNSに投稿している内容は自分がありたい姿であり、続ける(積み重ねる)ことによってその自分になるためのものだと。

投稿し続ける内にファンが増え、応援してくれる。これが自分の承認欲求を満たす。

自分は「こういう人」と、積み重ねた投稿の記録によって相手に思わせる。

ブランディングの形成過程を自分とファンが一緒に見守る。

私がオススメなのは承認欲求以外でSNSを使うこと。つまり、「サボれなくするため」「自分のありたい姿になるため」という目的でSNSを使うのが健全なんじゃないかと思う。

承認欲求はどちらかをやっていれば、自然とついてくるもので誰かがファンになってくれる気がしている。

ストーリー作りは意図的に「こういう人に見てもらい」とターゲットを作る事もできる。

私はこれがよく分からない。察してくれというタイプだと思っている。

だーいぶ、記事を寝かすことから脱線しているように思える。

少し振り返る。

「記事を寝かすようにしている」ということから始まった。そこに至るまでの私のこれまでを書いた。

「書かない」→「書いて投稿」→「書いて寝かせる」

「書かない」から「書く」が大変で、筆を動かさないとどんどん書けなくなる。だから、「行動」が大切だと。さらに「行動」は投稿だけじゃない。別に1人でやってもいい。

そこから、「行動」を投稿する(世の中に見せる)意味について3パターンに分けて書いた(承認欲求、サボれない、ストーリー作り)。

その中でストーリー作りが健全なSNSの使い方だと私が思っていることを書いた。さらに、私はターゲットを設定して投稿することが苦手なことも。

これまで投稿してきた内容もそれなりに散らばっていると思う。

ザックリと「読書」「挑戦」「考えるため」「習慣」というカテゴリーを分けているものの、何か特定の1つのことに対しての「読書」「挑戦」「考えるため」「習慣」ではない。

「投稿すること=なりたい姿に近づく」と書いた。明確にこれに成りたいと言える言葉はまだ見つかっていない。

しかし、投稿することはなりたい姿に近づくことに密接に関わっている。

ということは、1回1回の投稿が大切。そのクオリティ(誤字脱字・文のつながり)を高める必要があると考えている。

クオリティーに関して、考えやすい「内容」は棚上げにした。

これは、書いていく内に「何を書こうか?」と考えていくものだと思っている。

「行動」を投稿によって可視化させ、ストーリー作りは、サボらせないようにする仕組みにした。

ならば、何かしらを投稿しなければいけないわけで、投稿しなかったらありたい姿には近づけないし、サボっているということにもなる。
(もちろん、ありたい姿になる方法がこれだけではありませんが、1つの戦略としてこう決めたのだからこれに従うという意味で書いています)

そういう意味で、書く「内容」は自然と考えるようになる。考えなければありたい姿にはなれないとも言えるでしょう。

そういう意味で記事を寝かせています。








P.S.
無理やりつなげたような、偶然つながったような。ですが、書いてみてスッと腑に落ちた感覚もあります。書いてよかったと自分が思えるようなことを書くのも目的かもしれません。


以上、6/26の下書きでした。

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