千葉聡『ダーウィンの呪い』
進化という考え方は現在ではすっかり一般常識となっているように思われます。しかし生物学として議論と検証を重ねて確立した進化についての概念は必ずしも社会的な通念としての「進化」と一致するわけではありません。進化学が人類の生活の向上に大いに資するところもある反面、社会的な通念としての「進化」は、人類にとって負の側面ももたらしています。本書はそうした負の側面を「呪い」として、その所以を解き明かし、人類のあるべき未来について考察する、スケールの大きな一冊です。
本書では次に述べる3つの呪いが語られています。
「進化の呪い」ー「進歩せよ」を意味する“進化せよ”
「闘争の呪い」ー「生き残りたければ、努力して闘いに勝て」を意味する“生存闘争と適者生存”
「ダーウィンの呪い」ー「これは自然の事実から導かれた人間社会も支配する規範だから、不満を言ったり逆らったりしても無駄だ」を意味する、“ダーウィンがそう言っている”
いずれも現在の進化論では否定されていたり、ダーウィンの本人の言葉ではないことが明らかになっているのですが、強固な通念として浸透しているものです。本書の前半ではこれらの呪いの所以が説明されます。
本来、ダーウィンの進化論は進歩を否定するもので、進化の結果は「行き当たりばったりと偶然」によってしか決まらないので、進化すればバラ色の未来が待っているとは限らないということになります。これは努力・勤勉によって世界は理想的な姿に近づくという、19世紀のプロテスタント的倫理観とは真っ向から対立する「虚無の世界観」となります。
では彼らの倫理観と進化論によって導かれた「虚無の世界観」をどう両立させるのか。ハクスリーは生物の進化は倫理・道徳とは独立しているものとしました。対してクロポトキンは生物の世界と倫理・道徳に従うとして、相互扶助に向かって進化するとしました。果たして生物的進化の観点から倫理観や道徳を導き出せるのか。この問題は今なお解決しておらず、大きな課題となって残っていることが説明されます。
そして本書は後半になって、3つの呪いが人類にもたらした最大の悲劇である「優生学」の考察に向かっていきます。優生思想をもっとも悪用した存在は言うまでもなくナチス・ドイツですが、優生思想は決して彼らの専売特許だったわけではありません。
英国やアメリカでも優生思想が盛り上がりを見せた時期がありました。中でもアメリカのダヴェンポートとラフリンがヒトラーに与えた影響は大きく、ナチスが推進した優性政策は、ホロコースト以前はアメリカの優生支持者にも歓迎されていたことが語られます。
現在「優生」という言葉は姿を消しています。しかし、優生的な思考が姿を消したわけではありません。もともと優生思想の裏側には、この社会をより良くしたいという思いがあり、ナチスの所業や人種差別に嫌悪を示す人々の中にも、いつのまにか忍び込んでいくのです(もちろん私もその一人でしょう)。
本書の最終章はこの問題に遺伝的強化とトランスヒューマニズムの視点から考察を深めていきます。遺伝的強化を人種や民族全体に適用せんとするのは問題だが、例えば自分の子どもをより良くしたいという親の思いからなら良いのではとか、難病の治療になるのなら素晴らしいことではないかなど。
さらに筆者の思考は道徳の多面性やAIによる道徳判断の可能性にまで拡がっていきます。多くの事例や先人の思想を参照しながらも、視点や話題がさまざまに展開するので、まとまりには欠けるのですが、その混沌こそが、独善に陥ることをなんとか避けようとする筆者の学問的良心の表れではないかと思います。だからこそ最後に筆者がたどり着く人間の美しさ、素晴らしさについての結論は読者の胸を打つものになっているのでしょう。
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