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勝又清和『最新戦法の話』

2022年2月12日、第71期ALSOK杯王将戦第4局において、藤井聡太竜王が渡辺明王将に114手で勝利し、王将位を獲得。これまで羽生善治九段が持っていた最年少五冠達成の記録を22歳10カ月から19歳6カ月に塗り替えました。

その羽生善治九段は2月4日のA級順位戦8回戦で敗北。リーグ最終戦を待たずして29期連続で在籍してしていたA級を陥落となりました。もちろんすぐに復帰する可能性はありますが、ついにA級に在籍している羽生世代の棋士は佐藤康光九段のみとなってしまいました。月並みな表現ですが、ひとつの時代の終わりを実感せずにはいられません。

今後しばらく棋界は藤井五冠を中心に動いていくことは間違いないでしょう。今輝いている棋士達を応援するのは健全な状態です。けれども羽生世代が残した戦いの内実が風化してしまうのは悲しいものがあります(気が早いかもしれませんが)。

羽生世代の全盛期にはどんな将棋が指されていたのか?それにはどんな特徴があったのか?それを知るのに格好の資料となるのが本書です。この中で解説されている「最新戦法」とは90年代から00年代にかけて生まれ、流行したもの。これらの戦法が誰によって、いかなる理由によって生まれ、どのような特長があり、どんな場面で指されたのかを分かりやすく解説しているだけではなく、その戦法を生み出した棋士へのインタビューも収録しているので、既に「最新」ではなくなった現在でも、ひとつの時代を描いた優れたドキュメントとしての価値を保ち続けるものとなりました。

AIによる研究が主流となった現在と異なり、定跡とは研究、実戦による経験則によって生み出されるものでした。当然現代では結論が覆ったものもあります。象徴的なのが矢倉戦法でしょう。当時の矢倉といえば「4六銀・3七桂」型が中心。これは先手が4六銀と出る手が成立するとなったから流行しました。その結論を出したのは若き日の佐藤康光と森内俊之の対局。強くて勢いのあるもの同士の激突により、この形が成立する、とされたのです。

ところが人間とAIが対決した電王戦によってこの結論が覆ります。これによって現在の矢倉の様相は大きく変化しました。もう互いがじっくり堅陣を組み合うことはほとんどなく、これまで先手の攻めをひたすら耐えてきた後手が即座にて決戦を挑むようになりました。今の矢倉戦に慣れたファンが当時の矢倉戦を見るとずいぶんのんびりと指してたなあ、と感じるのではないでしょうか。

他にも現在と比較して楽しめるポイントはたくさんあってここでは書ききれませんが、例えば「丸太流」と称される佐藤康光九段は当時から丸太ぶん回しだったんだなあ、なんて楽しみ方もできます。羽生九段相手に棋聖位をフルセットで防衛した最終局が本書で取り上げられているのですが、局面図のキャプションは「まるで自玉がどこにあるのか忘れていたかのような佐藤の猛攻。ハードパンチを決めて棋聖を防衛」とあり、本文では『読者には「康光の真似などしないほうがよい」と申し上げておきます』と書かれています。現在の康光将棋のファンの感想とほとんど変わらないですよね。

そしてなにより、当時の全ての棋士が目標だったとしていた羽生九段の凄さが本書からありありと伝わります。本書では居飛車、振り飛車合わせて9つの戦法が解説されているのですが、その全ての戦法に登場する唯一の棋士が羽生九段なのです。

羽生九段自身は画期的な戦法を生み出したことはありません。しかし『羽生という棋士は、興味を持ったあらゆる戦術に出没し、問題を提起し、答えを出し、(多くの場合)結果まで持って去って』いく存在だったのです。居飛車でも振り飛車でもというところがすごいところで、この点ばかりは純粋居飛車党である藤井五冠はまだ及んでいないところです(あくまで今のところは、ですが)。

羽生世代全盛期は当時の常識を覆す戦法が続々と生み出された時代でもありました。同様にこれからの棋士達が藤井五冠を倒すため、画期的な戦法を次々と編み出す日が来るかもしれません。その時は新たな『最新戦法の話』が誰かによって書かれることでしょう。そんな日が来るのを楽しみにしながら、今の棋士達にエールを送りつつ、本書を折に触れ読み返していきたいと思います。

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