上り坂、下り坂、そしてまさか・・・
わたしと彼は東京と静岡で、いわゆる遠距離のお付き合いというものをしていた。
始めた頃からそれは結婚を前提として、という雰囲気のものだったが、コロナ禍の影響もあって半年以上会えないのは当たり前だったし、個人的には本当に自分たちが一緒になることなんてあるのだろうかと思うこともしばしばあった。
2022年の末、そろそろ話を進めようかと彼が言った。
東京もだんだん肌に合わなくなってきたし、静岡というこれまでよく知らなかった街で彼と新しい生活を始めるのはわりと楽しいかもしれないと思った。
しかし、2023年2月、わたしは間質性肺炎という病気を発症して6週間ほど入院した。
退院できたのはよかったけれど、呼吸器機能と筋力の衰えにより、わたしの体力はほとんどなくなっていた。
歩行は数メートルが限界。
会談の上り下りにも抵抗があったし、家の中でもほとんど横になっていた。
こんな状態で、結婚なんてできないと思った。
まず、視力がない分、新しい環境に慣れるには時間がかかる。
それに加えてこの体力のなさでは、知らない街に住むなんて絶対無理。
それを彼に伝えたけれど、「今はとりあえず体力つけることだけ考えて」と言われ、
わたしとしては白黒はっきりつかないことに少々もやもやとしたものを感じてもいた。
体が思うように動かないことにイライラして、電話をくれた彼に八つ当たりしては、
後になって自己嫌悪に陥った。
しかし、少しずつリハビリを重ねていくうちに思ったより早く体力がついてきた。
勿論、入院前の状態には戻すことはできなかったが、ゆっくり歩けば最寄り駅まで行けるようになり、電車に乗れるようになってくると生活も楽しくなってきた。
身体が回復してくると気持ちも変わってくるもので、
わたしの、とてもいやな面を見せても受け入れてくれたこと、
いつもわたしを笑わせようとしてくれて、笑わない日は心配してくれることなどに心を動かされたり、
真剣な説得もされたので、
「毎日家事なんてできません」、「一日中寝ている日もあります」、「病院には付き添ってほしい」などなど、いろいろなわがままを並べ立てたうえで、「結婚できるようにもう少し体力をつけられるようにがんばる」と、返事をした。
年が明けて2024年。
初詣した神社で、「今年は結婚したいです」と手を合わせた。
わたしの体調は多少不安定な時期もあったが、お互いの親への挨拶や家族の顔合わせも順調に済ませることができて、9月の誕生日に入籍した。
誕生日だから入籍した、というより、いつでもいいけどお互いに忘れにくい日にしたいと考えた結果であった。
しかし、わたしはまだ東京に一人で住んでいる。
引っ越しは12月だ。
この部屋には20年住んだ。
もうだいぶお耳の遠くなった大家さんに、結婚することを電話で伝えた時は、
結婚します!
結婚します!!
けぇっこんします!!!
と、ご近所中に響いてそうな大声で何度も宣言させられた。
今は、幸せではあるけれど、
この部屋、どうやって片付けるんだろうと
ちょっと途方にくれていたりもします。
人生いろいろあるけれど、せっかく生きているのだからやりたいようにやりたいし、いろいろと経験してみようと思います。